- 著者
-
伊勢本 大
- 出版者
- 日本教育社会学会
- 雑誌
- 教育社会学研究 (ISSN:03873145)
- 巻号頁・発行日
- vol.102, pp.259-279, 2018-05-31 (Released:2020-03-13)
- 参考文献数
- 27
本稿の目的は,研究協力者である教師たちの〈語り〉から「教師である」という物語がいかに構成されるのかを明らかにすることである。 日本社会において,批判対象として教職を捉えようとする論理が根強く存在する一方,教師の働き方を見直し,彼/女たちを救済しようとする動きも広まっている。これらのことからも示されるように,教師に対する世間のまなざしは錯綜している。そうした今日的状況において必要となるのが「教師であるとはどういうことなのか」という根源的な問いに,教師たちの〈語り〉から回答を示す試みである。 本稿を通して描かれるのは「教師である」ということが,教師個人が「献身的教師」をめぐる物語と対話し,その物語といかに折り合いをつけながら自らの職業アイデンティティを語ることができるのか,というフレキシブルな解釈・交渉実践だという側面である。それはつまり,教師たちが「教師である」ことを表現する個別の物語は,それぞれの形で紡がれる,開かれた可能性を有していることを意味する。 近年,教師の長時間労働の問題改善に向けて学校現場の働き方を見直すという方向で議論が進められている。しかし,教師の生きやすい現実を形作る上では,まず彼/女たちを一人の人間として理解することが何よりも重要となる。本稿の議論は,これまで教育社会学において十分に関心が寄せられてこなかった,教師の個別性を保障するための枠組みの意義を示唆している。