著者
佐々木 長生 ササキ タケオ
出版者
神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター
雑誌
非文字資料研究 = The study of nonwritten cultural materials (ISSN:24325481)
巻号頁・発行日
no.18, pp.35-63, 2019-09-30

農書は、わが国では元禄時代(1688~1703)を境に上層農民や下級武士等によって著述されてきた農業技術書である。若松城下近くの幕内村(会津若松市)の肝煎佐瀬与次右衛門は、貞享元年(1684)に『会津農書』を著述している。会津地方の自然に即した農法を、著者自らの体験と「郷談」と呼ばれる旧慣習を中心に著述している。わが国の農書の代表とされる宮崎安貞の『農業全書』(元禄10年1697)より13年も早く、古典的価値を有する農書といえる。 農書は、稲作や畑作また農民の生活に関る内容を主に著述されたものが多く、本来は「非文字資料」であったものが、「文字をもつ伝承者」の著者によって、「文字資料」化された存在といえる。『会津農書』は、著者佐瀬与次右衛門という「文字をもつ伝承者」が江戸中期に会津地方の農法や農耕儀礼等の「非文字資料」を農書という「文字資料」化された形に達した一例と位置づけることもできる。 本稿は、こうした視点に立って『会津農書』にみる「非文字資料」から「文字資料」化への一例を、麦の栽培技術と民俗を軸に述べることを目的とする。麦は雑穀のひとつでもあるが、米に次ぐ主穀的な存在として、全国的に栽培されてきた。麦は、「クリーニングクロップ」とも呼ばれ、麦を栽培した跡地は病虫害防除の性質もあるという。 『会津農書』でも麦を栽培した跡地に煙草を植えると、ネギリムシが付きにくいと記載されている。『会津農書』には麦栽培に関する農耕儀礼も多く、「麦穂掛」なども記載されている。同様の儀礼は、埼玉県内では近年まで行われてきた。また、麦に関する食習や食物加工など、麦に関る民俗が多く行われてきた。麦の栽培が全国的に廃止され、麦に関する農法や民俗も消滅しつつある。「文字をもつ伝承者」により農書という形をとり、「非文字資料」が「文字資料」として、その歴史・文化的価値を現在に遺しているともいえる。
著者
佐々木 長生
出版者
神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター
雑誌
非文字資料研究 = The study of nonwritten cultural materials (ISSN:24325481)
巻号頁・発行日
no.18, pp.35-63, 2019-09

農書は、わが国では元禄時代(1688~1703)を境に上層農民や下級武士等によって著述されてきた農業技術書である。若松城下近くの幕内村(会津若松市)の肝煎佐瀬与次右衛門は、貞享元年(1684)に『会津農書』を著述している。会津地方の自然に即した農法を、著者自らの体験と「郷談」と呼ばれる旧慣習を中心に著述している。わが国の農書の代表とされる宮崎安貞の『農業全書』(元禄10年1697)より13年も早く、古典的価値を有する農書といえる。 農書は、稲作や畑作また農民の生活に関る内容を主に著述されたものが多く、本来は「非文字資料」であったものが、「文字をもつ伝承者」の著者によって、「文字資料」化された存在といえる。『会津農書』は、著者佐瀬与次右衛門という「文字をもつ伝承者」が江戸中期に会津地方の農法や農耕儀礼等の「非文字資料」を農書という「文字資料」化された形に達した一例と位置づけることもできる。 本稿は、こうした視点に立って『会津農書』にみる「非文字資料」から「文字資料」化への一例を、麦の栽培技術と民俗を軸に述べることを目的とする。麦は雑穀のひとつでもあるが、米に次ぐ主穀的な存在として、全国的に栽培されてきた。麦は、「クリーニングクロップ」とも呼ばれ、麦を栽培した跡地は病虫害防除の性質もあるという。 『会津農書』でも麦を栽培した跡地に煙草を植えると、ネギリムシが付きにくいと記載されている。『会津農書』には麦栽培に関する農耕儀礼も多く、「麦穂掛」なども記載されている。同様の儀礼は、埼玉県内では近年まで行われてきた。また、麦に関する食習や食物加工など、麦に関る民俗が多く行われてきた。麦の栽培が全国的に廃止され、麦に関する農法や民俗も消滅しつつある。「文字をもつ伝承者」により農書という形をとり、「非文字資料」が「文字資料」として、その歴史・文化的価値を現在に遺しているともいえる。論文
著者
佐々木 長生 Sasaki Takeo
出版者
神奈川大学 国際常民文化研究機構
雑誌
神奈川大学 国際常民文化研究機構 年報 (ISSN:21853339)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.107-126, 2012-09-28

民具名称のなりたちについて、自然環境および歴史的背景からの多様性の一例として、会津地方の山袴の名称を取り上げる。調査対象地は、福島県南会津郡只見町の民具名称を中心に、会津地方と隣接する新潟県魚沼地方を主な範囲とする。また、民具名称の歴史的背景については、貞享元年(1684)の『会津農書』や翌年の会津各地の風俗帳、文化4年(1707)の風俗帳、紀年銘のある農耕図絵馬や農書類に描かれた絵画資料を分析資料とする。新潟県魚沼地方の天保7年(1836)に著述された鈴木牧之の『北越雪譜』の記述と、併せてそこに描かれた絵図も比較資料として用いた。一方、民具としての資料としては只見町所蔵の重要有形民俗文化財指定「会津只見の山村生活用具と仕事着コレクション」(2333 点)や、会津民俗館所蔵の福島県指定重要有形民俗文化財指定「会津の仕事着コレクション」(476 点)なども資料として用いた。特に只見地方の民具については、『図説 会津只見の民具』を中心に使用方法等を写真で示し、『北越雪譜』に描かれた民具の使用風形や形態の比較資料とした。 以上の研究方法から、近年まで着用されてきた会津地方の仕事着姿、「ジバン(上衣)にサルッパカマ(下衣)」という一般的な名称のなりたちについて、その民俗的・歴史的な視点から考察することが本稿の目的である。特に、サルッパカマと呼ばれる山袴については、会津平坦部での名称である。一方、大沼郡の山間部から南会津郡西部地区ではユッコギ・カリアゲユッコギ、またはホソッパカマ等の名称が一般的である。ユッコギは「雪こぎ」からの名称とみられ、深雪地方に存在するとするという仮説もある。サルッパカマの名称も文化4年の『熊倉組風俗帳』(喜多方市熊倉付近)等に初出して、その30 年ほど前から着用され始まったとある。それ以前の農耕図には、山袴類の着用は確認することができない。このように民具名称を歴史的に確認できることは、民具名称のなりたちを考えるうえで、きわめて有効な資料であろう。会津地方の山袴の名称、サルッパカマやカリアゲユッコギはその一例である。論文