著者
兒玉 州平
出版者
社会経済史学会
雑誌
社會經濟史學 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.349-371, 2014-11-25

日本政府は,ドイツ企業の特許「ハーバー・ボッシュ法」を1917年,敵国財産として接収し複数の企業からなる組合に払い下げた。先行研究は,その後組合が設立した東洋窒素工業株式会社(以下,東洋窒素)は結局合成硫安製造を行わず,唯一の業務は,ドイツ硫安の輸入に際して,自身の持つハーバー・ボッシュ法特許権侵害を理由にロイヤルティーを徴収することだったとしてきた。しかし,東洋窒素のロイヤルティー徴収は1932年に中止されており,ここに東洋窒素は敗戦に至るまで存続したという事実との矛盾がある。本稿は,東洋窒素の存在意義は,1930年以前は,ドイツ硫安の需給調整によって国内企業を守ることにあったとした。1930年以降は硫安の輸入が許可制となり,また既存企業が明示的なカルテルである硫安配給組合を結成する中で,需給調整を行うことはなくなったものの,東洋窒素は配給組合の中で,配給組合に対するアウトサイダーが出現したとき,特許権侵害を仄めかし,さらには内部留保したロイヤルティーで株式を取得して直接経営に関与することで協調的な関係を築くことを可能にしたと結論づけた。
著者
兒玉 州平
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.349-371, 2014-11-25 (Released:2017-06-03)

日本政府は,ドイツ企業の特許「ハーバー・ボッシュ法」を1917年,敵国財産として接収し複数の企業からなる組合に払い下げた。先行研究は,その後組合が設立した東洋窒素工業株式会社(以下,東洋窒素)は結局合成硫安製造を行わず,唯一の業務は,ドイツ硫安の輸入に際して,自身の持つハーバー・ボッシュ法特許権侵害を理由にロイヤルティーを徴収することだったとしてきた。しかし,東洋窒素のロイヤルティー徴収は1932年に中止されており,ここに東洋窒素は敗戦に至るまで存続したという事実との矛盾がある。本稿は,東洋窒素の存在意義は,1930年以前は,ドイツ硫安の需給調整によって国内企業を守ることにあったとした。1930年以降は硫安の輸入が許可制となり,また既存企業が明示的なカルテルである硫安配給組合を結成する中で,需給調整を行うことはなくなったものの,東洋窒素は配給組合の中で,配給組合に対するアウトサイダーが出現したとき,特許権侵害を仄めかし,さらには内部留保したロイヤルティーで株式を取得して直接経営に関与することで協調的な関係を築くことを可能にしたと結論づけた。