著者
冨田 太一郎
出版者
東京大学
雑誌
新学術領域研究(研究領域提案型)
巻号頁・発行日
2011-04-01

環境変化の情報が実際に生きた動物体内でどのような形で伝達されて、さらにどのような情報処理が行われるのかはほとんど理解が進んでいない。生体内で生じる微弱な反応を単に眺めるだけでは、生きた動物体内で生じている情報処理のメカニズムを理解することは難しい。そこで線虫の塩応答の感覚神経ASERをモデルに、システム工学の手法とin vivoイメージングの手法とを組み合わせたアプローチによって、代表的な環境応答シグナル分子のMAPキナーゼ(MAPK)の制御機構の解明を目指した。具体的には、動物個体にパルス状の塩濃度変化を一定の周波数で与えながら、ASER神経のMAPキナーゼ活性をFRET法でリアルタイムにモニターし、環境変化からMAPKに至る過程でどのような情報処理が行われるのかを解析した。その結果、効率よくMAPK活性化を生じさせるためには、環境からの刺激が多すぎても少なすぎてもだめで、環境変化が一定の頻度で、かつ一定の持続時間で繰り返し生じる場合に限られることが明らかになった。さらに、イメージング実験と変異体解析の結果から、細胞内カルシウムがMAPK活性化に至る情報のフィルターとして機能するメカニズムを見いだした。そこで数理モデルを用いて、細胞内でどのような情報処理をうけると実際に観察されたMAPKの挙動に至るかを計算機上でシミュレーション解析を行った。その結果、比較的単純な積分器によってカルシウムシグナルの刺激応答特性が複雑なMAPKの刺激応答特性に変換されていることを見いだした。がんや異常免疫などの病態解明や記憶学習の鍵としてMAPK制御の理解は重要であるが、従来の遺伝学や生化学に加えて、新規の光学的なアプローチから生きた動物の単一細胞の中で生じている複雑な情報処理システムを解き明かすことに成功した点に意義がある。今後例えば疾患モデル動物にも適用ができれば非常に有効と思われる。