著者
剣持 久木 近藤 孝弘 西山 暁義 川喜田 敦子 吉岡 潤
出版者
静岡県立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01

本研究では、ドイツ、ポーランド、フランス各地で、歴史博物館、教科書対話そして学術交流の現状を視察し、各国から専門家を招請して、数多くのシンポジウムを開催してきた。その結果、ヨーロッパ公共圏の形成の展望とともに、現在依然存在している限界の実情も確認できた。本研究の成果は、2016年度中に公刊予定の論文集に掲載する予定である。そこでは、独仏(西山)、独ポ(吉岡)国境地域の歴史博物館、ドイツ(川喜田)とフランス(剣持)における歴史教養番組、さらには歴史娯楽教育(近藤)の分析に加えて、ドイツ、ポーランド、フランスの研究者からの寄稿も予定している。
著者
剣持 久木 西山 暁義 川喜田 敦子 中本 真生子
出版者
静岡県立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

2006年秋からフランスとドイツの教育現場に導入された、共通歴史教科書を、教科書成立に至る過程、歴史的背景から教科書の内容の分析、仏独両国での教科書の評価、現場での使用状況、さらには東アジアなど他地域への応用可能性を研究した。その結果、実際の使用状況は、二言語学級での使用など限定的であるという実情が明らかになったものの、ドイツ・ポーランド間でも同様の計画が具体化するなど、仏独の事例は限界をもちつつも国際歴史教科書対話のなかで一つのひな形の役割を果たしていることが確認された。
著者
剣持 久木
出版者
静岡県立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

1930年代のフランスについては、ファシズムの浸透度をめぐる論争がある。その際の焦点は、退役軍人フランソワ・ド・ラロック中佐の政治的位置付けである。本研究は、ラロックをめぐる実像と集合的記憶の乖離に注目した。ラロックは、1934年2月6日の反議会騒擾事件の際に最大の動員力を誇ったため、その秩序正しい行動にも関わらず、ファシズムの脅威の象徴的存在となった。「人民戦線の父」と呼ばれるゆえんである。一方、反人民戦線派にとっても、ラロックは逆の意味で「人民戦線の父」であった。2月6日以降の人民戦線結成の流れに対抗した、保守派大同団結の呼びかけにことごとくラロックは応じなかった。ラロックは、極右という左翼によるレッテルとは裏腹に、中道志向だったのである。とりわけ、1937年春の、ジャック・ドリオ提唱の自由戦線結成を拒絶したことで、保守派全体にとってラロックは「裏切り者」になった。かくして、左翼からのファシズム批判に加えて、ラロックには保守派からの、誹謗中腸の集中砲火が浴びせられことになる。それでもラロックは、大衆的な支持を飛躍的に伸ばし、その党勢は、仮に(戦争によって実現しなかった)1940年に総選挙が実施されていれば、第一党を獲得する可能性があった。ドイツ占領下のヴィシー体制のもとでラロックは、ペタン元帥を支持するもレジスタンスに関与するというスタンスをとる。結局ゲシュタポに捕らえられるが、解放後もフランス当局によって拘留が継続される。2年以上の獄中生活がたたってラロックは、レジスタンスの実績も認定されず、ファシストの汚名を背負ったまま病死する。本研究は、ラロックのファシズムイメージの形成過程に注目すると同時に、彼の死後に根強く残る集合的記憶としてのラロック像の推移にも光をあてた.とりわけ、「反論権」行使という形で、名誉回復に長年奔走するラロックの遺族の戦後の戦いに注目した.