著者
鎌谷 紀子 勝間田 明男
出版者
公益社団法人 日本地震学会
雑誌
地震 第2輯 (ISSN:00371114)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.11-28, 2004-08-25 (Released:2010-03-11)
参考文献数
30
被引用文献数
5

In recent years, improved seismic networks in Japan have detected low-frequency events near the Mohorovicic discontinuity, but away from volcanoes. These can be classified as two types: low-frequency earthquakes (LFE) and low-frequency tremors (LFT). Source regions for LFE are distributed in isolated locations throughout Japan, while those for LFT are distributed within a belt in western Japan. Although LFE immediately below volcanoes have been previously recognized, LFE away from volcanoes represent new observations. These LFE are found specifically both in the back-arc of the volcanic front in northeastern Japan, and to the north of the LFT belt in western Japan. LFE and LFT have long durations, suggesting the involvement of fluids in their generation. This study considers the source processes that trigger LFE and LFT, using the results of high pressure and temperature experiments on water-saturated oceanic basalt and peridotite as a model. Such materials are representative of those in and around the descending slab. In the case of LFT in western Japan, the model provides, as a possible trigger, the water released by the dehydration of chlorite and forming clinopyroxene in the basalt of the descending Philippine Sea Plate. On the other hand, in the case of LFE throughout Japan, not only water from the slab but also magma generated in the slab and mantle wedge and high temperature fluid derived from the magma are possible triggers. Because LFE have clear P-wave onsets, some sort of fracture is likely to be involved in the generation of LFE. LFE and LFT are expected to be indicators useful in earthquake prediction, but the relationships between large earthquakes or earthquake swarms and the occurrence of LFE and LFT are yet to be determined.
著者
勝間田 明男
出版者
気象庁気象研究所
雑誌
Papers in Meteorology and Geophysics (ISSN:0031126X)
巻号頁・発行日
vol.44, no.2, pp.57-71, 1993 (Released:2006-10-20)
参考文献数
19

伊豆半島の伊東市川奈崎沖では、1978年から群発地震活動が年1~2回程度の回数で活発化、沈静化を繰り返してきた。伊豆半島北東部を中心に1978年秋から異常隆起が始まり、ほぼ一様な隆起を継続してきた。1989年にも6月30日に群発地震活動が始まった。このときの地震活動は、それ以前の活動に比べても活動的なものであった。群発地震活動は7月4日にピークをむかえたが、そのピークを過ぎた7月11日に、1978年からの活動において初めて連続微動が観測され、7月13日には海底噴火が起きた。1989年6~7月の群発地震活動において最大の地震は1989年7月9日に起きたM5.5の地震である。この地震は噴火口である手石海丘に隣接して発生した地震である。群発地震活動はマグマの貫入によると考えられており、そのマグマの貫入がその周辺の応力場に影響を与えていたと推定される。7月9日の最大地震もそのような場において発生しており、火山活動地域における地震発生の場について検討する上でも重要と考え、この地震の破壊開始点について調べた。用いたデータは、気象庁87型電磁式強震計の記録及び周辺の高感度地震計により観測された波形記録である。P波の到着時刻、破壊開始点の位置と地震波形との関係、初動の振動方向等から破壊開始点の位置について検討した。その結果最大地震の震央は噴火地点から西側の離れた場所にあり、また、破壊は断層下部から始まったと推定した。
著者
勝間田 明男 中田 健嗣 藤田 健一 田中 昌之 西宮 隆仁 小林 昭夫 吉田 康宏
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-03-14

1998年7月にパプアニューギニアにおいて発生したMw 7.0の地震の後に10mを超える津波が沿岸に押し寄せ、この津波により2,200名を超える犠牲者が出ている(Tappin et al., 2008).この津波は,地震の規模に比べて高すぎること,津波の発生が地震の発生よりも10分ほど遅れているとみられること,海底地形において地すべりを起こしたとみられる場所が確認されていることなどから,海底地すべりが発生源であるとみられている(例えば,Tappin et al., 1999; Synolakis et al., 2002).通常の地震による津波の場合には,地震計で記録される地震波が警戒の最初のトリガとなることが多い.しかし,この1998年のパプアニューギニアのような事例が発生した場合には,地震波から予測される規模の津波には備えるものの,それを超える規模の津波への警戒は通常なされない.もし,海底地すべりが地震計で捉えられるならば,この種の津波に備えることが可能となる.以前の調査(勝間田・他, 2016)に,調査対象の観測点の追加,理論波形の再検討を行ったので報告する. 海底地すべりが発生した地点から900km離れた場所にPMG観測点がある.PMG観測点の地震データをIRISより入手し,0.2秒から50秒までの様々な帯域のフィルターを施して特異な信号有無を確認したが,直前のMw 7.0の地震の後続波の振幅を超える特別な相は確認されなかった.PMG観測点において,海底地すべりに対応した相が確認できないことはSynolakis et al.(2002)によって既に指摘されている.東京大学地震研究所の海半球観測研究センターにPMGよりも更に地すべり地点に近いJAY観測点(約150km)のデータがアーカイブされている.JAY観測点のデータについても確認したが,顕著は相は確認されなかった. Watts et al. (2003)の津波発生源モデルによると,この規模の津波を発生させることができる地すべりは長さ4.5km,幅5km,厚さ760m(半楕円体)の規模のものであった.それが傾斜角12度の下で特性時間32秒の地すべりを起こしたとされる.地すべりが進行している時にはそれまで摩擦力で支えられていた地塊が加速度運動をしていると考えられる.それ以前に地塊を支えていた力が減ずるのでその分の地面に加わる力が変化したと考えられる.その力を,密度(2.15×103kg/m3)×体積(9 km3)×加速度(0.36m/s2)として見積もると7×1012Nとなる.この程度の力が作用したと仮定した場合の理論波形をTakeo (1985)により計算した.震源時間関数として数十秒程度の継続時間のものをいくつか仮定してみた.その結果,理論波形は直前の地震の後続波に比べて同程度以下の振幅にしかならず,理論波形からみても地すべりにる地震波は検知可能レベル未満であると見積もられた(図).海底地すべりによる津波の検知には,沖合い津波計のような別の手段が望まれる.謝辞IRIS及び東京大学地震研究所海半球観測研究センターに保管されていた地震記録を用いた.理論地震波形の計算にTakeo (1985)を用いた.
著者
勝間田 明男 橋田 俊彦 三上 直也
出版者
公益社団法人 日本地震学会
雑誌
地震 第2輯 (ISSN:00371114)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.81-89, 1999-06-30 (Released:2010-03-11)
参考文献数
32
被引用文献数
2

Old seismograms of the Tokyo earthquake in the Meiji era (June 20, 1894) were analyzed to retrieve source parameters. This earthquake gave considerable damage on the Tokyo metropolitan area. The focal depth was estimated to be about 50km or about 80km from S-P times of several seismograms observed at Tokyo. The magnitude, which was calculated from data of maximum amplitudes, was 6.6. The focal mechanism and the seismic moment were inferred from waveform fitting with seismograms observed by a Ewing-type strong motion seismograph and a Gray-Milne-Ewing-type seismograph. The estimated moment is 1-3×1018Nm (Mw=6.0-6.3). The earthquake is considered to have a nearly vertical nodal plane with N-S strike, and to have occurred in the Pacific plate or the Philippine Sea plate. Stress drop of the event was larger than the average value in the region.