著者
北原 斗紀彦
出版者
尚美学園大学総合政策学部総合政策学会
雑誌
尚美学園大学総合政策論集 (ISSN:13497049)
巻号頁・発行日
no.13, pp.35-53, 2011-12

戦後日本における原子力発電を中心とする原子力「平和利用」に関する朝日新聞と読売新聞の社説を時期を区分して分析し、両紙の論調の推移の考察と比較を行った。6 つの時期に区分される戦後日本の原子力開発利用史のうち、原子力研究が禁止・休眠していた1945 ~ 53 年の時期(第期)において、両紙の関心はまだ低調であり、「平和利用」への漠然とした期待と夢を表明するにとどまっていた。日本の原子力利用推進体制が整備された1954~65 年の時期(第期)において、読売新聞は1954~57年の4年間にわたり「平和利用」促進の大キャンペーンを行い、原子力が将来のエネルギー源として重要であり、原子炉導入を急ピッチで図らなければならないと主張した。これに対し、朝日新聞は「平和利用」を肯定する立場に立ちつつ、原子力利用推進行政の拙速さを批判する論調を掲げた。
著者
北原 斗紀彦 Tokihiko KITAHARA 日本マス・コミュニケーション学会
出版者
尚美学園大学総合政策学部総合政策学会
雑誌
尚美学園大学総合政策論集 = Shobi journal of policy studies, Shobi University (ISSN:13497049)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.43-65, 2012-06-30

日本の稼動可能な原発50基は全国13道県に立地しており、そこでは県紙とブロック紙計17紙が発行されている。これら原発立地県の地方紙は、東日本大震災によって東京電力福島第一原子力発電所で起きた事故や、地元の原発についてどのように報道してきたか、3.11後の1年余にわたる社説を分析した。その結果、(1)脱原発の明確な主張を掲げる新聞は少数派であり、半面、原発維持の積極的主張を掲げる新聞はない、(2)各紙が一致して最も強調しているのは地元の原発の徹底的な安全確保であり、事故後、政府が打ち出した安全対策に厳しい批判の眼を向けている、(3)地元に原発が存在することへの強い不安とともに、原発が地元自治体にもたらしてきた各種交付金や雇用なしに地域住民の生活が成り立つのか不安を表明している-ことが分かった。これは原発が「よそごと」「他人ごと」でなく、足元に原発が存在することによっていやおうなく「当事者」の立場に立たされる地方紙の特性の表れであり、それが原発是非論への新たなアプローチの視点を提供する可能性を指摘した。Japan has 50 nuclear power plants workable in 13 prefectures, where 17 regionalnewspapers publish. The purpose of this essay is learning how the unique experience oflocal residents living in proximity to nuclear power plants is reflected in the viewpointsof these regional newspapers. By analyzing editorials which refer to Fukushima nuclearaccident and their local nuclear power plants, published after 3.11 for more than oneyear, those points as follows come to appear. (1)The number of newspaper that advocatesreducing reliance on nuclear power is a few. On the other hand, opinions that promotenuclear power, are hard to be found out in those newspapers. (2)All of those newspapersput maximum stress on the necessity to keep safety of their local nuclear power plants,and are very critical to the governmental measures taken after 3.11 to ensure safety. (3)Those papers express strong anxiety to the existence of nuclear power plants, and at thesame time are skeptical of the possibility for residents to earn a livelihood without plants,they depend on economically.