著者
北村 一親
出版者
岩手大学
雑誌
Artes liberales (ISSN:03854183)
巻号頁・発行日
vol.81, pp.1-35, 2007-12

岩手大学人文社会科学部紀要Ἦταν στρυϕνός, οἱ ϕίλοι του ἦταν λίγοι( Σεϕέρης( 1979: 266))本稿は筆者が「人文学の終焉,或いは過去との訣別」という副題を供し,1998年9月28日に行った岩手言語学研究会における研究発表を基に,その後の東京外国語大学大学院での集中講義,筆者が独自に企画したロマンス語学セミナー,更に岩手大学人文社会科学部で筆者が担当する講義・演習等の中で学生諸君に語ったことを再構成したものである。 向後,知性が軽視され,曲解され,若い世代が貧弱な知性に曝されることになるとしたら,また彼等がそのような状況の中で成長し,更に次世代を育てていくとしたら,燦然とした人類の未来を望むことは難しいであろう。我々は知性の時代の終焉を阻み,豊かな知性を眷養すべく全身全霊を賭して学道に情熱を注ぐ必要がある。マクス・ヴェバ(ウェーバー)が„Nun kann man niemandem wissenschaftlich vordemonstrieren, was seine Pflicht als akademischer Lehrer sei. Verlangen kann man von ihm nur die intellektuelle Rechtschaffenheit"「大学で教鞭をとるものの義務はなにかということは,学問的にはなんぴとにも明示しえない。かれにもとめうるものはただ知的廉直ということだけである」( Weber( 1919:24),邦訳はウェーバー( 1980:49)6 bis))と嘗て説いたのと同じく現在の我々,大学人に求められるものは,「知的な誠実さ,公正さ」である。 「大学は,政治的には,いつの世でも,無力であり,大学の武器は,精神力と真理だけ」(滝川(1960:28))であるからこそ時流に流されることなく,あらゆる感覚を鋭敏にして時局に臨む覚悟が我々に要求される。人文学的知見は当にこの感覚を涵養せしむるものである。 周知の如く,劣僕なる筆者は諸彦諸賢には及ぶべくもないが,弱才乍らも研究及び教育を行う上で経験し思料したことを人文学の発展のために微力ながら供することができれば幸甚であると考え,本拙文を起稿した次第である。故に本稿にて筆者が所懐を述べるに僭越な点,数多あれども,平に御容赦あれかし。 以下,先んじて現在の日本における知性の悲況を一瞥し,人文学的知見を涵養することが如何に大切であるかを提示する所存である。本稿は晦渋な措辞,並びに煩多な憑拠の多用にも拘らず耐忍の上,読過される聖哲諸氏に供せんとするものである。"And he said unto them, He that hath ears to hear, let him hear." 「人文学」に対する概念定義は「人文学方法論(別稿)」にて行うが,本導論を通読する上で必要な程度の定義をここに示しておくことにする。本稿でいう「人文学」とは「自然科学」Naturwissenschaft と対立する概念であり,方法論においてハインリヒ・リケルトが相対的に「一般化的」であるとした「自然科学」と対立させて,相対的に「個性化的」であるとした非自然科学の諸学を統括した「文化(科)学」Kulturwissenschaft と等価である。但し,本稿では「人文諸学」という観点から正確にはKulturwissenschaften と対応するが,「人文諸学・文化諸学」とはせずに,総称的に「人文学」という名称を用いた。誤解の無いように付言するならば,Kulturwissenschaften と言っても本稿は文献学的伝統を基盤に据えることをあくまで重視するという点で当代の「文化科学」cultural studies とは一線を画する。アラン・ソウカルの『ソウシャル・テクスト』誌事件が本稿の意趣を代って表しているのでここでは更なる説明を省略する。(ソーカル / ブリクモン(2000)。当代の「文化科学」に対するゲルマニストからの批判は木村(2003)を参照) アルヴィン・カーナンが言及する領域は本稿とは異なり,「社会科学」分野が含まれないが,最も判りやすい言葉で「人文学」の核となる概念を説明しているのでここに引用しておく。(その邦訳で「人文科学」としている英語の原語はhumanities である。) カーナン曰く,「人文科学とは,人間が語る物語,人間の思考方法,人間の過去の姿,言葉によるコミュニケーションや説得,そして,なかでも人間の存在の奥底を突き動かす音楽などの研究からなる。これらの学問領域は,換言すれば,最も根本的な人間的な知の方法についての研究であり,日常生活を送るうえだけでなく,人間が生きるうえで最も役に立つものである。」(カーナン(編)( 2001:3)) 筆者としては極度にスコラ学Scholastik に傾くのを避けながら,Logica(論理)として統括されるArtes sermocinales, logicae, verbales のトリウィウムTrivium を中心に,Physica(自然) として纏められたArtes reales のクワドリウィウムQuadrivium をも包容させて,つまり「人文」と「自然」を連繋すべくアルテス・リベラレスArtes liberales( Freien Künste) を常に視野に収めて人文学研究を進めたいと念じている。これは人間が宇宙をも含む壮大な自然と調和するための欠くべからざる視点であると考える。(アルテス・リベラレスにおける諸学に関してはKoch(hrsg.)( 1959) の諸論文を参照。) なお,外国語の固有名を片仮名表記する場合,『外来語の表記(内閣告示・内閣訓令)』等を参考にしながらも原語の発音を可能な限り忠実に写すことを旨とした。外来語音ということで日本語の音韻体系の枠組みから外れることがあることも明記しておく。よって,筆者の表記が翻訳者の表記あるいは一般に普及している表記と異なる場合も生じたが,翻訳書の書誌的記述では当然ながら翻訳者の表記法を踏襲した。(但し,今更,如何ともし難い国名等の表記においては慣用に従わざるを得なかった。)
著者
北村 一親
出版者
岩手大学
雑誌
Artes liberales (ISSN:03854183)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.1-16, 1999-12
著者
北村 一親 KITAMURA Kazuchika
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
アルテスリベラレス (ISSN:03854183)
巻号頁・発行日
no.82, pp.17-42, 2008-06

本稿の標題は「障害者の権利に関する条約」Convention on the Rights of Persons withDisabilities 第2条の同条約における「言語」に関する定義の一部から採ったものである。この条約は2001年12月の第56回国際連合総会においてメキシコ合衆国提案の決議案を採択した決議 A/RES/56/168に基くもので,8回に亘る特別(アドホック)委員会を経て,2006年12月13日,第61回国際連合総会本会議にて採択されたものである。日本政府も2007年9月28日(現地時間)に署名したが,2008年1月現在,未だ国会には提出されていない。 この条約において「言語」とは次のように定義されている。"Language" includes spoken and signed languages and other forms of non-spokenlanguages即ち,signed language「手指によってなされる言語」も「言語」とするということが明示されているのである。 本稿は「手指によってなされる言語」,つまり「手話」sign languageに関して筆者が研究を行うに際してのprolegomenaとなるものである。
著者
北村 一親 KITAMURA Kazuchika
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
アルテスリベラレス (ISSN:03854183)
巻号頁・発行日
no.83, pp.1-27, 2008-12

かつては言語学者が言語の起源を追究することは学界において世界的に忌避されており,50年ほど前の日本の言語学会においても同様で,鈴木孝夫が記号論的視点から「鳥類の音声活動」と題する講演を行った際,出席者から「たしか100年前にフランスの言語学会で,人類言語の起源は今後言語学では一切扱わないことを宣言したが,それを知っていますか」という旨の質疑を受けたという。2 bis) しかし,時は移り,幸いにも現在ではこのような軛から解放されて言語の原初の姿を模索する様々な試みがなされるようになってきており,例えば,手話言語3) やクレオール諸語4) に言語の原初形態を見出そうとする動きがある。筆者は将来的にクレオール諸語における注目すべき諸点を考察するために,さまざまなクレオール諸語,すなわち大航海時代および植民地主義時代の所産であるフランス語,英語,ポルトガル語やオランダ語(そしてこれらの諸言語に付け加えるならばスペイン語やその他の非印欧語)を基体とするクレオール諸語を言語の原初形態を探求しうるのかどうかも含めて研究することを企図している。しかし,研究を始めるにあたり「クレオール語」を定義する必要があり,またその前に統一的な理解が難しい「クレオール」という概念の検討が必要不可欠と考え本稿を起稿する次第である。なお,クレオール諸語の中でも特にカリブ海に浮かぶ大アンティル諸島イスパニョーラ島の西3分の1を占め,1804年にラテンアメリカで最初に独立したハイチ共和国の国語であるハイチ・クレオール語およびフランスの海外県である小アンティル諸島のマルチニーク,5) グワドループ等におけるフランス語を基体とするクレオール諸語(フランス語系クレオール語)を他のクレオール諸語と比較することを中心に据えたいので本稿の欧文標題をハイチ(・クレオール)語で表した。また,本稿標題が「クレオール語で」という表現で止めているのは今後の研究も想い描きながら,この言語,すなわち「クレオール語」であらゆる可能性を示したいという筆者の願望の故であることをここに明記しておく。