著者
堀口 和久 Kazuhisa Horiguchi 千葉経済大学 CHIBA KEIZAI UNIVERSITY
雑誌
千葉経済論叢 = The Chiba-Keizai ronso (ISSN:0915972X)
巻号頁・発行日
no.47, pp.1-26,

現存する古英語期の文献には,詩や宗教的散文,法律等の実用的文献以外に,ラテン語に対する古英語の注解(gloss)や,ラテン語の文章の行間に古英語を書き込んだ行間注解(interlineargloss)が存在する。古英語期の代表的な行間注解としては,写本美術についてケルト文化の影響を受けた,その装飾写本の芸術的価値の高さが有名なリンディスファーン福音書,ラッシュワース福音書そして詩篇の行間注解が現存する。現代英語の進行形に対応する古英語の文法形態は,拡充形と呼ばれ,これまでにMosse(1938),Nickel(1966)等の包括的研究がある。しかしこのNickel(1966)やRaith(1951)ではリンディスファーン福音書のごく一部の例が部分的に例示的に扱われているにすぎず,この二つの福音書の行間注解の比較や包括的記述及び分析はなされていない。Kotake(2006)の研究は,部分的に拡充形を扱っているが,語順に着目した研究である。この論文では,リンディスファーン福音書及びラッシュワース福音書の古英語の行間注解を包括的に扱い,かつ用例の分布やラテン語との関係,意味・機能等を分析しようとするものである。結果的に,本論文では約490例の拡充形が存在することが分かり,かつラッシュワース福音書の複数の翻訳者の間で拡充形の出現頻度に大きな差があること,そして,行間注解と後期古英語の散文の福音書の間に,拡充形の用い方について類似面があることが明らかになった。
著者
粟沢 尚志 Takashi Awasawa 千葉経済大学 CHIBA KEIZAI UNIVERSITY
出版者
千葉経済大学
雑誌
千葉経済論叢 = Chiba keizai ronso (ISSN:21876320)
巻号頁・発行日
no.50, pp.67-76,

本稿の目的は、西千葉における地域通貨「ピーナッツ」に始まるまちづくりの意義を、ポジショニング理論とコーペティション理論から考察することである。第1節では、地域通貨を牽引してきた経営者たち(ピーナッツクラブ西千葉)が渋沢栄一の唱えた論語と算盤の経営倫理観と整合的な考え方から行動してきたことをみる。第2節では、地域通貨の意義を経営学的にみると、コーペティション経営の協調(つまり市場拡大)にあたることをみる。第3節では、経営革新のために立ち上げられた異業種経営研究会の意義をポジショニング理論から考える。第4節では、2014年に始まった「ようこそ西千葉へ」プロジェクトの概要を紹介する。そこには、地元事業者の経営革新と地元事業者と学生との協働が両輪で進められるという新しいまちづくりのモデルがみられる。
著者
中嶌 剛 Tsuyoshi Nakashima 千葉経済大学 CHIBA KEIZAI UNIVERSITY
雑誌
千葉経済論叢 = Chiba keizai ronso (ISSN:21876320)
巻号頁・発行日
no.48, pp.23-39,

本研究は、近い将来、就職活動を控える学生の心理状態に注目し、キャリア教育(キャリア形成支援)を通じて顕在化する潜在意識が、彼らのキャリア形成にとってどのような役割を果たし得るのかを、複数大学(4年制大学、女子大学)の学生の自由記述回答データを用いたテキストマイニング手法により探ったものである。厳しい新卒採用状況下、先行き不透明かつ不安感に満ちた学生心理に立脚した計量テキスト分析により、教育現場おいて、いかなる潜在意識への働きかけが学生の主体的行動にとって重要となるかを明らかにした。こうした結果は、「行動してからようやく物事を理解する」という体験学習が人生を切り拓くヒントになり得ると同時に、潜在意識の有効活用が自己のキャリア形成に寄与することを論じたものである。
著者
小野 正芳 Masayoshi Ono 千葉経済大学 CHIBA KEIZAI UNIVERSITY
出版者
千葉経済大学
雑誌
千葉経済論叢 = Chiba keizai ronso (ISSN:21876320)
巻号頁・発行日
no.50, pp.27-48,

2000年以降、社会保険・税ともにその負担は増してきた。社会保険料は年々増加し、減税措置はなくなり、所得控除も縮小されている。したがって、絶対額としての各個人の負担は高まっている。その一方で、その負担は高所得者に多く課されており、標準世帯全体としては、格差がより小さい状態へと向かっているといえる。どの世帯においても負担が増えながらも格差が小さくなっているということは、高所得者にかなりの負担がかかっているということでもある。
著者
ほりぐち かずひさ Kazuhisa Horiguchi 千葉経済大学 CHIBA KEIZAI UNIVERSITY
出版者
千葉経済大学
雑誌
千葉経済論叢 (ISSN:0915972X)
巻号頁・発行日
no.44, pp.49-60, 2011-07

The main purpose of this paper is to criticize, for the following three reasons, a recent trend in Japanese universities where the paragraph theory is taught as if it were the sole universal way of writing, whether in English or Japanese. First, the paragraph theory was primarily established by Alexander Bain (1818-1903) and it has survived and dominated American education for only a century and a half. Second, according to some previous studies, eminent writers do not necessarily follow paragraph-writing rules when writing in English. Third, as some surveys on contrastive rhetoric suggest, each culture has its own organizational or structural pattern of writing documents. The paragraph-writing method should not be applied directly to education in writing Japanese or be imposed on Japanese students writing Japanese. When we teach English or Japanese writing in Japanese universities, the teachers should explain these situations. Explaining only prescriptive rules that are mentioned in English composition textbooks is confusing to many Japanese students.