著者
古荘 匡義
出版者
宗教哲学会
雑誌
宗教哲学研究 (ISSN:02897105)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.48-60, 2021-03-31 (Released:2021-11-02)

To place Tsunashima Ryosen’s thought in the context of the philosophy of religion in Japan, the study clarifies the development of his philosophy of religion with the deepening of his religious experience. Until 1903, his philosophy of religion intendedto elucidate the reasons behind the objective reality and authority of religious symbols created by subjectivity. However, as he began to feel the existential God in 1903, he considered such thought unnecessary. Instead, he aimed to verbalize the human conditions of the Son of God by means of Christian and Pure Land Buddhist ideas. Furthermore, he began to practice Christian and Pure Land Buddhist prayer. In this manner, he developed his philosophy of religion as a post-religious philosophy that utilized the philosophy of religion and religious traditions. To the best of my knowledge, such thought is worthy of being placed at the origin of the philosophy of religion in Japan.
著者
古荘 匡義
出版者
京都大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2008

平成20,21年度の研究では、中期ミシェル・アンリの実践および世界の概念を、平成20年度は前期思想との関係において、平成21年度は晩年のいわゆる「キリスト教の哲学」との関係において考察した。平成22年度は、二年間の研究をさらに掘り下げるべく、彼の「キリスト教の哲学」そのものの構造を解明し、その上でアンリの他者論、共同体論を検討した。三年間の研究を通じて、彼の思索全体における倫理概念の意義を通時的に解明できた。晩年のアンリにとって、倫理とはまずもって「キリスト教の倫理」である。それは、神の〈掟〉を守り、キリストの生と同一化して行為することであり、神の絶対的〈生〉のうちで生きることである。よって、他者関係とは、絶対的〈生〉のうちでの純粋に情感的な体験において他者と共に生きることであり、これこそが倫理的なのである。しかしアンリの倫理は、単にユートピア的な他者との合一ではない。アンリは他方で、固着した律法を守る行為の非倫理性や、表象や対象が媒介することによる他者関係の失敗についても考察している。この他者関係の「失敗」それ自体がもう一つの他者関係である。この「失敗」は純粋に情感的な他者関係に基礎づけられて成立しつつも、純粋に情感的な他者関係に影響を与える。アンリの哲学は、二つの他者関係の絡み合いによって倫理を表現する。このような表現を可能にするのが、「キリスト教の哲学」の行為遂行性である。この哲学は聖書解釈ではなく、聖書によって促された哲学的思索である。つまり、聖書のうちに絶対的な〈真理〉がある、とまず宣言し、この〈真理〉を哲学的に解明しようとする。このような思索は、それ自身が情感的な実践である。この思索が読者に向けて語られるとき、不可避的な誤解に晒されつつも、情感的に受容され得る。この行為遂行性こそが、純粋に情感的な事柄を言語で表現するという行為を可能にしている。