著者
堀部 猛
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.130, no.7, pp.43-60, 2021 (Released:2022-07-20)

古代の日本では、官人への出身や得度に際し、戸籍を勘検して身元を確認する勘籍が行われていた。その勘籍に関する木簡が、二〇〇五年、徳島県の観音寺遺跡ではじめて出土し、注目を集めた。阿波国名方郡に本貫をもつ資人の勘籍について、国司が解で報告するという内容をもつ。この木簡が示す勘籍の手続きは、後に『延喜式』(式部上)の条文にもなる帳内・資人特有の勘籍方式である。すなわち、本貫の京・国が保管する戸籍でもって勘籍を行い、その結果を式部省に報告し、それを受けて省が補任する。通常の勘籍が人事を所管する式部省・兵部省と民部省との間で行われるのに対し、帳内・資人の場合、戸籍の勘検そのものを本貫地で行い、民部省が介在することはない。 こうした特殊な勘籍のあり方は、本主との関係と、トネリとしての歴史性に由来する。貴人の従者である帳内・資人は、本主との強固な主従関係を有し、人選から任用まで一貫して本主が主導していた。勘籍も本主が牒を発給して本貫の国郡に働きかけて実施される。一般の官人の奉仕が天皇に集約されるのに対し、帳内・資人は第一義的には本主に奉仕し、それを通じて天皇に奉仕するという関係であった。それゆえ、本主が主導する任用過程のなかで勘籍を完結させる方式がとられた。 王族や豪族の家政機関的組織を律令国家機構に包摂していくなかで、王族・豪族のもとにいた従者を律令官人制のなかに組み込み、広義のトネリから分化させ再編したのが帳内・資人であった。本主に奉仕するという本質は、そのまま律令官人制のなかに持ち込まれたため、考選など細かな規定が令で定められ、勘籍もまた通常の官人とは異なる方式が策定されたのである。
著者
堀部 猛
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.218, pp.279-298, 2019-12-27

古代の代表的な金属加飾技法である鍍金は、水銀と金を混和して金アマルガムを作り、これを銅製品などの表面に塗り、加熱して水銀を蒸発させ、研磨して仕上げるものである。本稿は、『延喜式』巻十七(内匠寮)の鍍金に関する規定について、近世の文献や金属工学での実験成果、また錺金具製作工房での調査を踏まえ、金と水銀の分量比や工程を中心に考察を行った。古代の鍍金については、今日でも小林行雄『古代の技術』を代表的な研究として挙げることができる。専門とする考古資料のみならず、文献史料も積極的に取り上げ、奈良時代の帳簿からみえる鍍金と内匠式の規定を比較することを試みている。しかしながら、内匠式における金と水銀の分量比をめぐっては、明快な解釈には至っていない。氏の理解を阻んでいるのは、奈良時代の史料が鍍金の材料を金と水銀で表すのに対し、内匠式が「滅金」と水銀を挙げていることにある。「滅金」が何を指し、水銀の用途は何であるのか、また、なにゆえこうした規定となっているのかが課題となっている。内匠式では「滅金」は金と水銀を混和した金アマルガムを指し、その分量比は一対三としている可能性が大きいこと、それに続く水銀は「酸苗を着ける料」として梅酢などで器物を清浄にする際に混ぜ、また対象や部位によりアマルガムの濃度を調節するのに用いるものとして、式が立てられていると解した。鍍金の料物を挙げる内匠式の多くの条文では、水銀が滅金の半分の量となっており、全体に金と水銀が一対五の分量比となるよう設定されている。この分量比は、奈良時代の寺院造営や東大寺大仏の鍍金のそれとほぼ同じである。以上のような滅金と水銀による料物規定は内匠式特有のものであり、実際の作業工程に即して式文を定立したことによると評価できる