著者
大沼 久夫
出版者
共愛学園前橋国際大学
雑誌
共愛学園前橋国際大学論集 = Maebashi Kyoai Gakuen College ronshu (ISSN:2187333X)
巻号頁・発行日
no.16, pp.9-30, 2016

1957(昭和32)年1月30日、当時の米軍群馬県相馬が原演習場内で弾拾い中の日本人農婦を米兵ジラード(William S. Girard)が射殺した事件、「ジラード事件」(当時の外務省は相馬ヶ原事件と呼称、また相馬が原演習場事件とも呼称)が起きた。事件は日米両政府(岸信介政権とアイゼンハワー=Dwight D. Eisenhower政権)間で、政治外交問題化し、特に刑事裁判権をめぐり両国政府と世論が対立した。これまでこの事件に関する先行研究 は極めて少数であった。事件の発生から裁判に至る詳細な経緯、日米両国政府の対応やマスコミ報道等の検証はほとんど行われていない。わずかに日米行政協定研究関連での検討、日本外務省公電による論究、米国議会の事件対応に関する研究、そして事件解決への日米両政府の「密約」の存在批判などである。しかし、最近、事件の全貌を解明しようとする本格的な研究書 (以下、山本2015と略)が刊行された。本論文では、山本(2015)の研究をふまえ、1950年代後半の米ソ冷戦当時の日米両政府の「ジラード事件」への対応、協議、合意、両国の世論、さらに日本をはじめとした米軍基地(米軍駐留)をめぐる問題等について、公開されている米国国務省の米国外交文書(U.S. Department of State, Foreign Relations of the United States, 以下、FRUSと略) 、公文書、新聞報道等により具体的に論述し、事件の意義と日米関係について検討を加える。
著者
呉 宣児 大沼 久夫 徐 相文
出版者
共愛学園前橋国際大学
雑誌
共愛学園前橋国際大学論集 (ISSN:2187333X)
巻号頁・発行日
no.17, pp.71-90, 2017-03-31

植民地期(日帝強占期)に、日本人が韓国に渡って集住し、日本人町を形成していた。植民地解放(終戦)後、日本人は突然日本に戻ることになり、そこには韓国人が入り住むことによって、日本的な雰囲気は自然に色褪せたかわざと壊してきた経緯がある。しかし、近年韓国では「暗い歴史も歴史として直視する」という考え方を持ち、かつての日本人集住地区や日本的な建築物を修理・復元して観光や教育の素材として活用する動きが出てきた。代表的には、西海岸の群山市と東南部海岸の浦項市の九龍浦地域である。本研究ノートでは、1)慶尚北道の浦項市の九龍浦地域を取り上げ、フィールドワークによって見えてきた現況を整理し、2)かつての日本人集住地区・建築物の再整備について現地の行政と住民が考える意味や議論されている内容を考察することを目的とする。これらの作業は、かつての日本人居留地である九龍浦に住んでいた人々(日本人と韓国人)や現在そこに住んでいる人々にとっての原風景を検討していくための準備過程として意義がある。研究ノート