- 著者
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小山 奈穂
- 出版者
- 麻布大学
- 巻号頁・発行日
- 2012-03-15
近年、飼育下におけるゾウは野生個体に比べ、寿命が短く繁殖成功率も低いことが明らかにされており、動物園では飼育環境の福祉的改善が求められている。しかし、日本ではこれまでゾウの飼育環境に関する福祉評価はほとんど行なわれてこなかったため、飼育環境における改善点の抽出や長期的な繁殖計画を立てるために必要な基本的知見が不足している。そこで本研究では、国内のゾウの飼育状況を把握し、飼育下における社会的環境、物理的環境および人的環境からどのような影響を受けているのか行動学的に明らかにすることによって、福祉に配慮したより持続可能なゾウの飼育管理法について検討した。 第1章では、国内のゾウの社会環境、飼育施設および飼育管理に関する基礎的情報の収集を目的として、全国のゾウの飼育施設を対象にアンケート調査を行なった。その結果、国内47ヵ所のうち40ヵ所の飼育施設で飼育されている87個体のデータが得られた。アジアゾウは50頭(オス10頭、メス40頭〉、アフリカゾウは37頭(オス8頭、メス29頭)であった。繁殖歴のある成熟個体は7頭で、飼育下で生まれた個体は5頭であった。各施設における飼育個体数は、単独または2頭規模が大半を占め、特にメスを単独で飼育している施設は全体の3分の1に達した。また、高齢になるほど社会的規模が小さく単純になることが明らかとなった。屋内展示室の床面積は種間で差がなく、中央値は約45m^2であった。屋外放飼場の床面積は、アフリカゾウ舎(中央値340m^2)の方が、アジアゾウ舎(中央値270m^2)に比べて有意に広く設計されていた(P<0.05)。放飼場における地面の材質には、主にコンクリートや土が採用されていた。放飼場内の複雑性は、地面の材質と有意な関連性が見られ、プールや砂浴び場、泥浴び場は、コンタリートのみの放飼場よりも人工物と自然物からなる放飼場に設置される傾向が見られた(P<0.01)。取り扱い方法に関しては、メスは直接飼育、オスは間接飼育で管理されることが多く、性別により有意な違いが見られた(P<0.05)。また、夜間の繋留や一日3回以下の給餌が行なわれている個体は、全体の4~5割を占めた。9割以上の個体に対して日常的にトレーニングが実施されており、その主な目的はゾウの健康管理およびゾウと管理者の安全管理であった。トレーニング時は声がけや接触を伴っていたが、直接飼育の個体に対してはより多様な手法が用いられていた。また一日の実施時間は、間接飼育の個体では30分未満であったのに対して、直接飼育の個体では1時間以上と、より長い時間をかけて行なわれていた(P<0.01)。以上の結果から、国内のゾウは全体的に社会的規模が小さく、多くの成獣メスにおいて社会的接触の機会の不足が懸念された。また、基本的に複数頭での利用が可能な施設面積を設定している欧米の基準に比べて、国内の施設は屋内外に関わらず面積が小さく、特に屋内展示室や寝室は単頭で収容する作りになっていた。一方、放飼場の複雑性が地面の材質に依存していたことや、ゾウの取り扱い方によってトレーニングにおける方法の選択肢や実施時間に違いが見られたことから、飼育施設や飼育管理には園間で大きく異なる部分も混在していることが明らかとなった。 第2章では、飼育環境に含まれる社会的要因、物理的要因および人的要因を明らかにし、それらの因子がゾウの行動にどのような影響を及ぼしているか検討した。7ヵ所の施設で飼育されている計12頭の成獣メスを対象に、各個体につき3日間のデータを収集するために、展示時間中に見られた11項目の行動カテゴリーについて、1分間隔の瞬間サンプリングで記録した。利用場所および管理者の関わりについても同時に記録した。環境要因については、互いに独立した因子として、社会的規模(社会的要因)、展示場の利用可能面積(物理的要因)、給餌回数およびトレーニング回数(人的要因)が抽出された。日中の休息は、社会的規模の水準が上がるに従い有意に高い割合が示された(β=0.780, P<0.01)。また展示場の面積が大きいほど、採食行動は有意に多く発現したが(β=0.687, P<0.05)、反対に移動の発現割合は少ない傾向を示した(β=-0.537, P=0.06)。一方、人的要因の一つであったトレーニングにおいても、有意ではないもののいくつかの行動と関連が見られた。しかし、複数施設の比較では、社会的要因や物理的要因が強く作用することから、人的要因による影響を明確に表せなかった。そのため、各飼育環境内において対象個体を特定し、長期的な調査を行なうことが必要と考えられた。 そこで第3章では、ゾウの社会性や精神的健康性に福祉的効果をもたらしうる、日常管理や管理者の関わりについて明らかにすることを目的とした。飼育環境の社会的要因および物理的要因による影響を排除するため、名古屋市東山動植物園において1年間の行動調査を行なった。 第1節では、アジアゾウの成獣メス(38歳)1頭を対象に、管理者がゾウに対して日常的に関わることで、個体の社会性に対する配慮となる可能性を検証した。1年のうち3ヵ月を1期とし、各期につき7日間、計28日間のデータを収集するために、前章と同様、展示時間中に見られた11項目の行動カテゴリーおよび利用場所について1分間隔の瞬間サンプリングで記録した。また、管理者の関わりは、指示を伴う「トレーニング」と指示を伴わない「ハンドリング」に分けて連続記録した。一日のトレーニングの回数や1回のトレーニング時間と、常同行動の発現頻度との間には有意な相関は見られなかった。ハンドリングと常同行動の発現頻度との関連性については、1回の接触時間との間には有意な相関がなかったが、一日の接触回数とには有意な負の相関が見られた(γ_s=-0.26, P<0.05)。よって、トレーニング時以外にも関わる時間を設け、1回の接触時間を長くすることよりも一日により多く関わることが常同行動を抑制する可能性が示された。また、ハンドリングの目的には、給餌が含まれており、常同行動の発現抑制に影響を及ぼしている可能性が考えられたが、給餌目的の接触頻度の高い日と低い日における常同行動の発現頻度に有意な差は見られなかった。以上から、管理者が給餌の有無に関わらず日常管理の中でゾウと関わる機会をより多く作ることは、社会的エンリッチメントとしても効果をもたらす可能性が示唆された。 第2節では、同種他個体の死亡により単独飼育となったアフリカゾウの成獣メス(36歳)を対象に、その後1年間におけるゾウの日中の行動パターンが、飼育管理の変更によってどのような影響が及ぼされるのか調査した。単独飼育となってから週1回、展示時間中の行動カテゴリーおよび利用場所について1分間隔の瞬間サンプリングで記録し、計52日間のデータを収集した。同時に、管理作業の変更内容についても随時記録した。各観察日における行動発現割合についてクラスター分析を行った結果、行動パターンの特徴から各観察日は5つのクラスター(C1~C5)に分類できた。C1は、全クラスターの中で休息割合の最も高い行動パターンで、他個体が死亡した後および夜間の寝室を変更した後に観察された。C2は、他のクラスターに比べ常同行動の発現割合が最も高く、新奇環境への馴致を開始した後に現れた。また、管理スケジュールが不規則に変更された時にも、常同行動が頻繁に観察された(C2、C4)。対象個体の左後肢に跛行が見られた時期は、休息する傾向の行動パターンが現れた(C3)。C5は活動性が最も高まった行動パターンであり、安定した管理スケジュールの下でなじみの場所を利用することができた時に現れた。以上のことから、社会環境の変化に伴う日常管理の変更は、個体の行動パターンに大きく影響を及ぼすことが明らかとなり、早い段階で管理スケジュールを安定させ、飼育環境内に利用場所の選択肢や採食機会をもたらすことが重要であると考えられた。 本研究は、ゾウを飼育する全国47ヵ所の施設を対象にアンケート方式で実態調査を行ない、その結果を基に、複数の園においてゾウの行動や管理者を含む環境との関係を長期にわたり調査したものである。これにより、飼育下における社会環境や物理的環境は、ゾウの活動性に強く影響を及ぼすことが確認された。また、日常管理におけるゾウの行動学的、生理学的欲求に応じた環境エンリッチメントの実施や、管理者による親和的な関わりも、ゾウの精神的安定や社会性の発揮に寄与する可能性が示された。日本においてゾウの飼育環境を改善するうえで、飼育個体の導入や飼育施設の改修は不可欠であるが、同時に飼育管理を通した福祉的配慮や行動学的知識に基づいたトレーニング技術の構築にも努めることによって、ハードとソフトの両面からゾウの繁殖が可能な飼育環境への発展を目指すことができるだろう。これらのことは、動物園で動物を飼育管理するうえでの基本的な姿勢であるが、その必要性について飼育環境におけるあらゆる側面から科学的に証明し提言することに意義がある。さらに、日常管理や管理者の関わりといった人的要因の福祉的効果を明らかにすることは、ゾウだけでなく全ての展示動物における人と動物の関係性というテーマを扱ううえで重要であることから、今後の動物園における福祉研究の発展に大きく貢献するものと期待される。