著者
小林 謙一
出版者
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

日本列島、韓半島、中国における武器・武具の資料を比較すると、それぞれの地域間の交流を示す資料が明らかになる一方で、各地域に特徴的な在地の独自性を示す資料の存在も明らかになった。日本列島に関しては、弥生時代以降、弓矢をはじめとする攻撃用武器と甲冑等の防禦具は、相互に関連しつつ変遷してきたが、5世紀中葉には、同時に、新式の攻撃用武器、防禦具が導入された。これらは基本的に騎兵装備であり、中国東北地方、高句麗から韓半島を経由して日本列島にもたらされたことが明らかになった。ただし、中国東北地方で4世紀に成立した、馬も鎧を着用した重装騎兵の装備は、韓半島南端においても出土しており、両者が同一の系譜であることが確認できるのであるが、日本列島では、馬甲・馬冑の出土が皆無に近い状況であることから、ほとんど普及しなかったと考えられる。このことは、騎兵装備が騎兵戦という戦闘方法と一体で導入されたのではなく、より性能の高い新式の武器・武具として取り入れられたことを物語っている。当時の日本列島において、重装騎兵の装備は、必要とされなかったのである。東アジア各地域における武装の相違は、戦闘方法の違いでもあった。一方、防禦施設についても、高句麗古墳の壁画に描かれた城壁や土城を巡る高い土塁は、日本列島で確認されていない。こうした点も、武器・武具は、日本列島内における戦いに対処する装備として整えられてきた一因と考えられる。さらに、騎兵と関連する馬に関して、日本列島においては、馬具の出現が、騎兵装備より時期的に先行している事実も加味すれば、その時点における必要なものを選択して取り入れるという、受容する側の状況があったことも考慮すべきであろう。