著者
小沢 一仁
出版者
日本青年心理学会
雑誌
青年心理学研究 (ISSN:09153349)
巻号頁・発行日
vol.31, no.2, pp.91-108, 2020-03-13 (Released:2020-04-05)
参考文献数
38
被引用文献数
4

This study reconsidered Erikson’s concept of identity from the subjective perspective to enhance self-understanding. Those experiences Erikson labeled as “identity crisis” elicited self-questioning in two instances: at times of memory loss and adolescence. Self-questioning in memory loss was comparable to the loss of personal identity, according to Erikson. Self-questioning during adolescence was comparable to the loss of ego identity. The concept of identity is regarded as “sameness and continuity,” given Erikson’s description of personal identity and ego identity. In this paper, Tatara’s view of “sameness and continuity” was reconsidered from the subjective perspective; leading to the idea that identity is “I am Me as an individual living in society, from birth to death.” Recognizing oneself according to the above definition due to the loss of personal identity proved impossible. Moreover, accepting oneself due to the loss of ego identity also proved to be impossible. This study’s notion of identity could provide ground for Erikson’s concept of identity from the subjective perspective. Further studies could address issues, including the theoretical clarification of existential considerations arising from identity crisis, the theoretical clarification of identity crisis that may shake the grounds of identity through various changes, and developing a theoretical methodology on phenomenological grounds examining the first two endeavors. Key words: identity, sameness, continuity, self-understanding
著者
小沢一仁
雑誌
日本教育心理学会第56回総会
巻号頁・発行日
2014-10-09

1.問題と目的 エリクソンのアイデンティティ概念は,青年理解や人間理解,自己理解に寄与している反面,日本語への翻訳者による小此木(1973)や西平直(2011)においてその難解さが指摘されている。本発表では,エリクソンの記述の中で,斉一性と連続性に着目する。エリクソンは,アイデンティティ危機(以下ID危機)において斉一性と連続性が問題になるとしている(Erikson,1959)。しかし,主観的視点で意識において捉えると,斉一性と連続性が完全に断絶してしまうと,記憶喪失及び多重人格となる。このことから,ID危機においても,喪失されない斉一性と連続性と,ID危機で喪失される斉一性と連続性のふたつのレベルが考えられる。本発表では,前者の斉一性と連続性について概念検討を行うことを目的とする。2.概念検討に現象学的方法を用いる 竹田(1989)は,現象学的方法について確信成立の条件を明らかにすると述べている。この捉え方をもとに,主観的視点で意識において確信・体験・意味という3つのステップを設定し,ID危機においても喪失されない斉一性と連続性に適用していくことを試みる。3.ID危機でも喪失されない斉一性と連続性を現象学的方法で捉える(1)斉一性①社会の中で自分は生きているという確信 客観的視点では,根本的には現在ここいる個人が他の空間に移動しても同じ人間であることが斉一性である。主観的視点においては,斉一性と連続性とは,様々な空間で社会の中で自分が生きているという確信であるといえる。②様々な空間における身体的及び心理的体験 社会の中で自分が生きているという確信の根拠として,様々な空間で自分及び他者との間の活動で,五感における身体的体験と,感情や思考などの心理的体験を見出すことができる。③社会の中で自分が生きているという意味 社会とは他者と共に生きている空間であるという意味づけが根底にあるからこそ,様々な空間における他者との間の活動における身体的及び心理的体験が根拠となり,社会の中で自分は生きているという確信が成立していると考えられる。(2)連続性①生涯の中で自分は生きているという確信 客観的視点では,根本的には過去と現在,そして,将来の個人は同じ人間であることが連続性といえる。主観的視点においては,過去から現在そして未来へと自分が生きているという確信であると捉えることができる。さらに,時間の中で起点と終点を考えると,誕生から死までの生涯の中で自分が生きているという確信であるといえる。②過去の想起及び将来の予期という体験と伝聞情報を受け取る体験 竹田(1989)は現象学において,記憶を思い出すことを想起といい,将来の予想を予期といい,共に確信の根拠である体験となるとする。また,伝聞情報を受け取る体験も確信の根拠となるという。このことから,過去の自分を想起する体験,将来の自分を予期する体験が時間の中で自分が生きているという確信の根拠となっている。さらに,記憶がなく想起できない過去については,親などの養育者から誕生時の様子を伝聞情報として受け取る体験も,誕生から自分は生きているとい確信の根拠となっているといえる。③誕生から死までの生涯を生きるという意味 自分が生きていることは,誕生から死までの間の生涯である意味づけがあるとえる。つまり,生涯の中で自分が生きているという確信において,すべての時間の流れの中での記憶は想起されず断片的な想起でも,また充分な予期がなくても,自分は生涯を生きていると意味づけているといえる。(3)斉一性と連続性 以上より,主観的視点においては,斉一性と連続性とは社会及び生涯の中で自分が生きていること捉えることができる。この確信はID危機においても失われることはないものである。この捉え方を元に,鑪(1990)による斉一性と連続性の二つの図式をひとつにまとめると,誕生という起点から,時間的経緯の中で,社会の中という空間的円環において,死という終点まで生涯の中で自分は生きているという図式を描くことができる。4.課題 本発表で,斉一性と連続性をまず根底のレベルで捉えたことは,アイデンティティ概念を検討する上での基盤となったといえる。この基礎をもとに,ID危機において喪失される斉一性と連続性とは何かを検討していくことが今後の課題である。
著者
小沢 一仁 Kazuhito OZAWA 東京工芸大学大学工学部基礎・教養
雑誌
東京工芸大学工学部紀要. 人文・社会編 = The Academic Reports, the Faculty of Engineering, Tokyo Polytechnic University (ISSN:03876055)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.94-106, 2000

The purpose of this study was to understand the concept of Identity Understanding the concept of Identity for self-understanding, it was pointed out that Identity was "I" was "Me." What is "I"and what is "me?". It pointed that "I" was the heart, the soul of a person and "me" was the physical person, with all of one's environment, personality, limits, destiny, and potentials that lay within. And a person had some "ibasyo"-places in a society". It was discussed that in the places In a society he or she had a sense of identity.