著者
山田 厳子
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.165, pp.205-224, 2011-03-31

「障害」をもつ子どもが、家に福をもたらすという、いわゆる「福子」「宝子」の「伝承」は、大野智也・芝正夫によって、民俗学の議論の俎上に載せられた。この「伝承」は、この著作以前には、ほとんど記述されていない「伝承」であった。そのため、一九八一年の国際障害者年を契機として、新たに「語り直された」「民俗」であるという批判があった。筆者は、さきに「民俗と世相―『烏滸なるもの』をめぐって―」と題する小稿の中で、このことばの「読み替え」は、「障害」を持つとされる「子ども」の保護者の間で、一九七〇年頃には既に起こっていたこと、問われるべきは、このようなことばが「伝承」として可視化され、語るに足るものとして捉えられるという、認識上の変化・変質の方ではないか、と論じた。本稿では、この問題の残された課題について検討した。まず、この本の作者の一人、芝正夫という人の研究の背景について示した。東洋大学で民俗学研究会に属し、卒業後、障害者福祉関係の仕事に就いていた芝は、「障害」を持つ子の親の手記から「福子」「宝子」ということばを知り、このことばのマイナスの語義を知りつつも、「障害」を持つ人々が地域に当たり前に暮らすことを可能にすることばとして、再生させようとした。その結果、このことばを「昔の人の知恵」「伝承」として、人々に提示してみせた。次に「障害者」としてラベリングされる以前に、「福子」や「宝子」ということばが、どのような文脈に置かれたことばだったのかを考察した。「障害者」という概念のもとに、集まってきたことばが、「愚か者」「役に立たない者」「家から独立できない者」という語義を持つことばであったことを示し、「障害者」とは別種のカテゴリーであったことを示した。これらのことを明らかにすることで、①「伝承」や「民俗」という枠組みを、目的のために戦略的に使う人物(芝 正夫)が民俗学的「知識」の形成に関与したこと、②「障害者」をめぐる認識のかわりめにあって、過去の別種のカテゴリーにあったことばが、かつての文脈を失って再文脈化したこと、を示した。
著者
山田 厳子
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.165, pp.205-224, 2011-03

「障害」をもつ子どもが、家に福をもたらすという、いわゆる「福子」「宝子」の「伝承」は、大野智也・芝正夫によって、民俗学の議論の俎上に載せられた。この「伝承」は、この著作以前には、ほとんど記述されていない「伝承」であった。そのため、一九八一年の国際障害者年を契機として、新たに「語り直された」「民俗」であるという批判があった。筆者は、さきに「民俗と世相―『烏滸なるもの』をめぐって―」と題する小稿の中で、このことばの「読み替え」は、「障害」を持つとされる「子ども」の保護者の間で、一九七〇年頃には既に起こっていたこと、問われるべきは、このようなことばが「伝承」として可視化され、語るに足るものとして捉えられるという、認識上の変化・変質の方ではないか、と論じた。本稿では、この問題の残された課題について検討した。まず、この本の作者の一人、芝正夫という人の研究の背景について示した。東洋大学で民俗学研究会に属し、卒業後、障害者福祉関係の仕事に就いていた芝は、「障害」を持つ子の親の手記から「福子」「宝子」ということばを知り、このことばのマイナスの語義を知りつつも、「障害」を持つ人々が地域に当たり前に暮らすことを可能にすることばとして、再生させようとした。その結果、このことばを「昔の人の知恵」「伝承」として、人々に提示してみせた。次に「障害者」としてラベリングされる以前に、「福子」や「宝子」ということばが、どのような文脈に置かれたことばだったのかを考察した。「障害者」という概念のもとに、集まってきたことばが、「愚か者」「役に立たない者」「家から独立できない者」という語義を持つことばであったことを示し、「障害者」とは別種のカテゴリーであったことを示した。これらのことを明らかにすることで、①「伝承」や「民俗」という枠組みを、目的のために戦略的に使う人物(芝 正夫)が民俗学的「知識」の形成に関与したこと、②「障害者」をめぐる認識のかわりめにあって、過去の別種のカテゴリーにあったことばが、かつての文脈を失って再文脈化したこと、を示した。The tradition of fukugo and takarago a child with disability brings the family a fortune was brought into folkloric discussion by Tomoya Ono and Masao Shiba. This "tradition" has hardly been described before their work. Therefore, on the occasion of the International Year of Disabled Persons in 1981, it was criticized as a "reinterpreted folklore."In the paper entitled "Folklore and Social Conditions : Over the word oko," this paper argues that such "reinterpretation" of the word had already taken for granted parents of "children with disabilities" in 1970. Thus, we should rather discuss the change of recognition by which such a word became visible as a "tradition" and regarded as something worth mentioning.This paper presents the background of the studies of Masao Shiba, who is one of the authors of the book. Shiba was a student member of the folklore society at Toyo University and took a job in the welfare of handicapped persons after graduation. He learned about the words fukugo and takarago from the notes of the parents of children with disabilities. While knowing the negative meaning of those words, he tried to resuscitate them as words that enable people with disabilities to live normally in local communities. As a result, he presented those words to people as "wisdom of people in the past" and "tradition."Next, this paper studies the context in which the words fukugo and takarago were placed before they were labeled as a person with disability. It shows that the words that gathered under the concept of a "person with disability" had the meaning of a "fool," a "useless person," and a "person who cannot be independent from parents," and that they belonged to a different category from a "person with disability."By clarifying the above, this paper shows the following: [1] A figure (Masao Shiba) who used the framework of "tradition" and "folklore" strategically to attain his purpose became involved in the formation of the folkloric "knowledge"; [2] By the change of recognition over the "person with disability," the words that belonged to a different category in the past lost their former context and were placed in a new context.
著者
山田 厳子
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
no.54, pp.p267-294, 1993-11

通常とは違った特徴を持つ子どもが生まれることは民俗社会の中では歓迎されざることであった。そのことは、民俗社会の中で語られるさまざまな話の中からもうかがうことができる。しかしこのような子どもが却って富をもたらすと説明する話もある。ここでは現実との関わりによって語られる、しかも事実そのものとはいえない話(世間話)を例として検討しながら通常とは違う子どもに対する「過剰な意味づけ」を問うていきたいと考えている。「歓迎される」異常児として「福子」が、「忌避される」異常児として「鬼子」が挙げられる。「福子」には自身を犠牲にして「家」の繁栄をもたらすイメージがある。一方「鬼子」には「富」とともに「他界」からもたらされるイメージと、歓待されることによって「富」をもたらすイメージがある。異常児が、富とともに他界からもたらされるというイメージは、異常児の去来によって家の盛衰が決定されるという話へとつながるであろう。また異常児の誕生という不幸によって「富」の獲得という幸福とのバランスをとろうとする家の外部の者の心意もうかがうことができる。子どもの「異常」の説明のために「富」の推移が語られ、家の盛衰の説明のために「異常児」の誕生が語られたことが推測される。その際に「異常児」は家の盛衰と密接に結びついた霊的な存在と受け取られていたといえるであろう。It can be said that a child with a distinctive feature different from the normal was an unwelcome existence in the traditional folklore society of Japan. However, there are signs that, due to the distinctive feature which part it in the minority, such a child was regarded as an existence close to the Other World, determining the ups and downs of its family.In this paper, the author takes up stories regarding children connected with "wealth" from rumors called Seken-banashi (small talk), and aims to clarify the image people had of such children.When a child different from ordinary children is favorably accepted, it is called "Fukugo" (lucky child), literally meaning a child who brings happiness. However, if we look back to the origins of this tradition, we find that the "lucky child" was thought to bring happiness to the family through the sacrifice of the child itself. On the other hand, an unwelcomed "abnormal" child was called "Onigo" (devil child). Though a devil child was detested, it seems to have been believed that people would have a devil child after they had obtained wealth, or would be able to obtain wealth by welcoming a devil child.A child born with an abnormality was thought to be sent from the Other World, together with wealth. Therefore, stories about children who were born with an abnormality and left home were stories hinting at the decline of the fortunes of the family concerned.Also, in relation to wealth, there were examples in which people regarded children born with abnormalities as serving spirits to be used for the wealth of the family ; or identified such children with a dangerous god (God of Plague) bringing wealth to the families that welcomed the child.Rumors about children born with abnormalities can be considered to have arisen in two ways as follows : One was to explain, when a child was born with an abnormality, why such a child was born : The other was to see the reason for a sudden rise or decline in a family's fortunes in the birth of the abnormal child. In the latter case, there seems to have been examples in which the "abnormality" of the child was exaggerated more than necessary. The stories of children born with abnormalities should be examined with a wider vision, with consideration also given to rumors of "Zashikiwarashi" and animal spirits.
著者
山田 厳子
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.267-294, 1993-11-10

通常とは違った特徴を持つ子どもが生まれることは民俗社会の中では歓迎されざることであった。そのことは、民俗社会の中で語られるさまざまな話の中からもうかがうことができる。しかしこのような子どもが却って富をもたらすと説明する話もある。ここでは現実との関わりによって語られる、しかも事実そのものとはいえない話(世間話)を例として検討しながら通常とは違う子どもに対する「過剰な意味づけ」を問うていきたいと考えている。「歓迎される」異常児として「福子」が、「忌避される」異常児として「鬼子」が挙げられる。「福子」には自身を犠牲にして「家」の繁栄をもたらすイメージがある。一方「鬼子」には「富」とともに「他界」からもたらされるイメージと、歓待されることによって「富」をもたらすイメージがある。異常児が、富とともに他界からもたらされるというイメージは、異常児の去来によって家の盛衰が決定されるという話へとつながるであろう。また異常児の誕生という不幸によって「富」の獲得という幸福とのバランスをとろうとする家の外部の者の心意もうかがうことができる。子どもの「異常」の説明のために「富」の推移が語られ、家の盛衰の説明のために「異常児」の誕生が語られたことが推測される。その際に「異常児」は家の盛衰と密接に結びついた霊的な存在と受け取られていたといえるであろう。
著者
山田 厳子
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.165, pp.205-224, 2011-03

「障害」をもつ子どもが、家に福をもたらすという、いわゆる「福子」「宝子」の「伝承」は、大野智也・芝正夫によって、民俗学の議論の俎上に載せられた。この「伝承」は、この著作以前には、ほとんど記述されていない「伝承」であった。そのため、一九八一年の国際障害者年を契機として、新たに「語り直された」「民俗」であるという批判があった。筆者は、さきに「民俗と世相―『烏滸なるもの』をめぐって―」と題する小稿の中で、このことばの「読み替え」は、「障害」を持つとされる「子ども」の保護者の間で、一九七〇年頃には既に起こっていたこと、問われるべきは、このようなことばが「伝承」として可視化され、語るに足るものとして捉えられるという、認識上の変化・変質の方ではないか、と論じた。本稿では、この問題の残された課題について検討した。まず、この本の作者の一人、芝正夫という人の研究の背景について示した。東洋大学で民俗学研究会に属し、卒業後、障害者福祉関係の仕事に就いていた芝は、「障害」を持つ子の親の手記から「福子」「宝子」ということばを知り、このことばのマイナスの語義を知りつつも、「障害」を持つ人々が地域に当たり前に暮らすことを可能にすることばとして、再生させようとした。その結果、このことばを「昔の人の知恵」「伝承」として、人々に提示してみせた。次に「障害者」としてラベリングされる以前に、「福子」や「宝子」ということばが、どのような文脈に置かれたことばだったのかを考察した。「障害者」という概念のもとに、集まってきたことばが、「愚か者」「役に立たない者」「家から独立できない者」という語義を持つことばであったことを示し、「障害者」とは別種のカテゴリーであったことを示した。これらのことを明らかにすることで、①「伝承」や「民俗」という枠組みを、目的のために戦略的に使う人物(芝 正夫)が民俗学的「知識」の形成に関与したこと、②「障害者」をめぐる認識のかわりめにあって、過去の別種のカテゴリーにあったことばが、かつての文脈を失って再文脈化したこと、を示した。The tradition of fukugo and takarago a child with disability brings the family a fortune was brought into folkloric discussion by Tomoya Ono and Masao Shiba. This "tradition" has hardly been described before their work. Therefore, on the occasion of the International Year of Disabled Persons in 1981, it was criticized as a "reinterpreted folklore."In the paper entitled "Folklore and Social Conditions : Over the word oko," this paper argues that such "reinterpretation" of the word had already taken for granted parents of "children with disabilities" in 1970. Thus, we should rather discuss the change of recognition by which such a word became visible as a "tradition" and regarded as something worth mentioning.This paper presents the background of the studies of Masao Shiba, who is one of the authors of the book. Shiba was a student member of the folklore society at Toyo University and took a job in the welfare of handicapped persons after graduation. He learned about the words fukugo and takarago from the notes of the parents of children with disabilities. While knowing the negative meaning of those words, he tried to resuscitate them as words that enable people with disabilities to live normally in local communities. As a result, he presented those words to people as "wisdom of people in the past" and "tradition."Next, this paper studies the context in which the words fukugo and takarago were placed before they were labeled as a person with disability. It shows that the words that gathered under the concept of a "person with disability" had the meaning of a "fool," a "useless person," and a "person who cannot be independent from parents," and that they belonged to a different category from a "person with disability."By clarifying the above, this paper shows the following: [1] A figure (Masao Shiba) who used the framework of "tradition" and "folklore" strategically to attain his purpose became involved in the formation of the folkloric "knowledge"; [2] By the change of recognition over the "person with disability," the words that belonged to a different category in the past lost their former context and were placed in a new context.