- 著者
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山田 恵吾
- 出版者
- 一般社団法人 日本教育学会
- 雑誌
- 教育学研究 (ISSN:03873161)
- 巻号頁・発行日
- vol.66, no.4, pp.443-453, 1999-12-30 (Released:2007-12-27)
本稿は、1926年(大正15)年地方官官制改正への千葉県労務当局の対応を通して「自由教育」に対する統制策を検討するものである。 従来、この時期の初等教育実践に関しては、いわゆる「大正自由教育」の展開として師範学校附属小学校や私立校における新しい実践の試みと、それに対する文部省側の政治的抑圧という観点から検討がなされてきており、児童の自発的学習に配慮した教育実践とその研究・運動が体制側に否定されていく過程として捉えられてきている。一方、地域レベルでの初等教育実践の展開については、いくつかの成果が認められるものの、十分検討されることのないまま対立的構図、及び「大正デモクラシー」から「ファシズム」へという歴史的文脈の中に解消される傾向にあったといえる。 そこで本稿では、地域における初等教育のありようを地方政治や地方行政の動向との関わりから捉えなおすことに積極的意義を認め、1920年代に千葉県労務当局が推進した「自由教育」に対する統制策に焦点を当てることにした。とりわけ、1926(大正15)年地方官官制改正(郡役所廃止や学務部設置)が教育行政体制に如何なる変容をもたらし、またそれが「自由教育」への統制策にどう結実していくのかを検討した。その結果、次の点が明らかになった。すなわち、(1)この時期の教育行政の専門家を背景として、(2)1926年地方官官制改正、とりわけ郡役所廃止に伴う公立校の監督指導体制の確立の要請、さらに(3)郡指導監督下の不統一な教育状況に対する県の姿勢を厳しく質した県会の圧力等を諸要因として、県は「自由教育」に対する「統制」を図ったことが明らかとなった。その「統制」とは具体的に千葉県師範学校附属小学校の「自由教育」の模範としての存在感を低下させるとともに、教育実践の新たな基準の創出=「小学校教育改善要項」の制定を通じて、県下公立校の統制を図ることであった。後者では、特に「自由教育」が附小と基本的条件の異なる公立校で実践されることによって生ずる様々な問題を「改善」することを意味していた。一方、「小学校教育改善要項」の基本理念として設定された「教育の郷土化」は、その後、文部省の推進する郷土教育に呼応しつつ、郷土教育展覧会を開催するなど県主導の下に具体化が図られていく。つまり、県の教育行政の自立性は、中央の政策を強化する方向で機能を果たすことになるのである。こうして1920年代の新しい教育実践の試みは、その独自の活動性を後退させるとともに、次第に行政機構内に収斂されていったのである。