著者
岡本 亮輔
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.23-45, 2007-06-30

本稿では、現代宗教論の重要テーマの一つである宗教と個人について、より一般性の高い議論を行うために私事化論を再構築する。従来のルックマン流の理論では、私事化は宗教の拡散化と私的領域への撤退を招くとされた。だが世俗化論修正派の論著では、当該地域の社会文化的文脈との交渉も含めた私事化が論じられる。つまり、私事化とは個人が意味調達のために支配的文脈と駆け引きする中で生起する過程だと言える。本稿は、これを従来の私事化の個人主義モデルに対する文脈依存モデルとして提示した。両モデルの本質的差異は意味の問題にある。個人主義モデルは近代世界における意味の問題を捨象し、そこから私事化による宗教の細分化の議論を導いた。一方、文脈依存モデルの観点からは、私事化した宗教も、よりマクロな次元との連関の下に捉えられ、宗教と個人の関係性をめぐる問いも、より大きな問題系の中に定位される。
著者
岡本 亮輔
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
no.15, pp.3-22, 2009-06-06

テゼは超教派の修道会として1940年代にロジェ・シュッツによって始められたが、現在では、宗教に無関心とされる世代を多く集める巡礼地として知られている。本稿ではテゼの「若者の聖地」としての側面に注目し、そのダイナミズムについて考察する。テゼの巡礼地としての聖性は、聖人の出現譚や奇跡の泉といった既成の宗教資源に依存しない。むしろ、テゼには宗教的・歴史的慣性を捨象する傾向が見出せ、テゼは「聖地の零度」を構成している。いかなる教派的レトリックにも服さないことで、テゼはあらゆる巡礼者が出入り可能な聖地空間を構成しているのである。本稿では、従来の聖地巡礼が超越的な出来事や人物を重視する垂直方向への交感を強調するのに対して、テゼを各巡礼者の参加と相互作用という水平方向への交感を重視するものとして位置づける。テゼは、多様な巡礼者たちの相互作用の中で、その都度立ち現れる不安定な聖地なのである。
著者
岡本 亮輔
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.94, no.2, pp.57-80, 2020 (Released:2020-12-30)

二一世紀以降、サンティアゴ巡礼路には様々な背景を持った世界中からの巡礼者が集まるようになったが、その多くは信仰なき巡礼者である。彼らにとって大聖堂の聖遺物は巡礼の目的にはなり得ず、巡礼過程での交流体験とそれがもたらす気づきや自己変革が重視される。本稿では、こうした状況を伝統宗教の枠組みからの離脱という意味で、信仰の背景化として捉える。そして、サンティアゴ巡礼をモデルとして展開する日本の聖地巡礼にも、信仰を過去のものとし、現在についてはスピリチュアルな語りをするパターンが見出せ、さらに、この種の言説が、伝統信仰の担い手である宗教者によっても紡がれることを確認する。
著者
岡本 亮輔
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.23-45, 2007-06-30 (Released:2017-07-14)

本稿では、現代宗教論の重要テーマの一つである宗教と個人について、より一般性の高い議論を行うために私事化論を再構築する。従来のルックマン流の理論では、私事化は宗教の拡散化と私的領域への撤退を招くとされた。だが世俗化論修正派の論著では、当該地域の社会文化的文脈との交渉も含めた私事化が論じられる。つまり、私事化とは個人が意味調達のために支配的文脈と駆け引きする中で生起する過程だと言える。本稿は、これを従来の私事化の個人主義モデルに対する文脈依存モデルとして提示した。両モデルの本質的差異は意味の問題にある。個人主義モデルは近代世界における意味の問題を捨象し、そこから私事化による宗教の細分化の議論を導いた。一方、文脈依存モデルの観点からは、私事化した宗教も、よりマクロな次元との連関の下に捉えられ、宗教と個人の関係性をめぐる問いも、より大きな問題系の中に定位される。