著者
島本 多敬
出版者
一般社団法人 人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.7-28, 2019

<p>本稿は,19世紀中期以前,近世の本屋仲間(書肆の同業組合)の活動期に出版された災害図を取り上げ,災害図の出版・改訂に影響を与えていた書肆の版権と出版活動について検討したものである。享和2年(1802)7月の淀川水害の後に大坂で出版された「摂河水損村々改正図」系統の水害図は,諸本を書誌学的に検討した結果,3つの版が存在していたことが判明した。大坂本屋仲間記録の記述によれば,この3つの版は,本屋仲間非構成員によって非公式に2つの版が出版された後,本屋仲間に所属する書肆が板木を買収し,4軒の書肆の連名で改めて公式に出版されることによって成立した。同図の板元は大坂町奉行所の御用絵師の名前を図中に示して,情報の信頼性を謳っていたとみられる。また,4書肆のうちの1軒は,本屋仲間に所属していない板元による水害図の出版を,自店の出版大坂図・河川図に対する版権侵害を理由に差し止めていた。同図の検討結果から,19世紀初頭当時の本屋仲間所属書肆は,自店の地図・地理書と関連付けた商業的な論理のもと,本屋仲間に所属しない板元による災害情報の出版をコントロールし,より詳細で「正確」な災害情報の出版を志向していたと評価される。</p>
著者
島本 多敬
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

<p>滋賀県立公文書館には,1874年(明治7)頃に滋賀県内各村から県に提出された村絵図を綴じた,合計1174編からなる10冊の簿冊(明へ1〜9,68)が所蔵されている.これらは,1873年(明治6)12月,県令松田道之の指示で各村の普請所(土木施設)を村絵図に描かせ提出させたものとして知られている(滋賀県県政史料室編 2017,古関 2015: 26-27).しかし,その作製・提出過程や記載情報の規定などの詳細は明らかにされていない.</p><p> 本報告ではそれら基礎的事項を明らかにし,明治初期の治水政策の動向に即して,県によるこれら絵図群(以下「普請所調査絵図」)の作製事業の含意を考察する.</p><p></p><p> 村による絵図の作製・提出は,1873年12月8日付の布令(滋賀県立公文書館所蔵,明な275-1編次5)に基づいている.布令によれば,提出期限は翌年1月20日で,各村が属する区の区長が取りまとめて県に提出するよう定めている.また,土地利用に応じた彩色区分や記すべき文字情報などが例記され,記載を求めた主な項目には,</p><p> ・堤防の長さ,直高(堤内・堤外),馬踏と根敷の幅</p><p> ・河川および用水路の幅</p><p> ・水制工(杭,牛など)の規模</p><p> ・堰・樋の法量</p><p> ・往還・脇往還の長さ・幅</p><p> ・橋の材質(板・土・石)と法量</p><p> ・川筋の名称,水源と流末の地名</p><p>が挙げられている.そして,堤防などの土木施設に,普請費用の官費・自費の別を付記するよう指示している.滋賀県立公文書館に収められた普請所調査絵図は一部を除き,概ねこの布令に準拠して作製されていた.</p><p></p><p> 1873年8月に政府が公布した河港道路修築規則は,利害の広域性に即して河川・港湾・道路を一等から三等に分け,その等級に従って国,府県,関係地域の土木工事への関与と費用負担のあり方を定義した法令である(松浦1994).同規則の施行を前に,滋賀県では同年12月7日付の県令への伺で,等級分けに妥当性を期するため,また,土木施設の配置・規模や普請に関する官・民の費用負担区分を記録し,水論の発生や新規の水制工設置の出願に備えるために絵図提出による普請所調査が提案され,実施が決まった.県は,河港道路修築規則による新しい治水制度が,これまで幕藩領主の公認をともなって現状とその秩序が維持されてきた村々の水利土木のあり方を覆し得るものであると認識していた.</p><p></p><p> 村から提出された絵図には,山腹の「砂留」(砂防堰堤)や用水路に設けられた沈砂池,堤防の素材など,布令が求めていない情報や景観を描くものも複数みられる.当時の村々は県の想定以上に,近世から廃藩置県までに確立していた,御普請・自普請という費用負担の区分と不可分に公認されてきた村の普請所の全体像を自己表象していた.</p><p></p><p> 一方,布令の前後に県令松田は,旧来の錯綜所領を単位に設定された県内の普請所の費用負担や水害対策を最適化する意志を表明していた.普請所調査絵図の作製事業は,県が水利土木の既存の秩序に留意しつつ,所領という単位から滋賀県という地理的スケールでの治水へと再編を進めるための情報収集行為であったと評価できる.</p>
著者
島本 多敬
出版者
一般社団法人 人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.7-28, 2019 (Released:2019-04-23)
参考文献数
60

本稿は,19世紀中期以前,近世の本屋仲間(書肆の同業組合)の活動期に出版された災害図を取り上げ,災害図の出版・改訂に影響を与えていた書肆の版権と出版活動について検討したものである。享和2年(1802)7月の淀川水害の後に大坂で出版された「摂河水損村々改正図」系統の水害図は,諸本を書誌学的に検討した結果,3つの版が存在していたことが判明した。大坂本屋仲間記録の記述によれば,この3つの版は,本屋仲間非構成員によって非公式に2つの版が出版された後,本屋仲間に所属する書肆が板木を買収し,4軒の書肆の連名で改めて公式に出版されることによって成立した。同図の板元は大坂町奉行所の御用絵師の名前を図中に示して,情報の信頼性を謳っていたとみられる。また,4書肆のうちの1軒は,本屋仲間に所属していない板元による水害図の出版を,自店の出版大坂図・河川図に対する版権侵害を理由に差し止めていた。同図の検討結果から,19世紀初頭当時の本屋仲間所属書肆は,自店の地図・地理書と関連付けた商業的な論理のもと,本屋仲間に所属しない板元による災害情報の出版をコントロールし,より詳細で「正確」な災害情報の出版を志向していたと評価される。