著者
平松 携
出版者
尾道大学経済情報学部
雑誌
尾道大学経済情報論集 (ISSN:13469991)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.75-120, 2009-12

1 戦前の運動活動 戦前に開校したのは、尾道商業学校、尾道高等女学校、尾道中学の3校である。運動会は、3 校とも創立後の早い時期に開催している。このことから運動会は学校教育の範疇で重要な行事の一つであった。寒中稽古は、3 校とも1 月の寒期に武道の寒稽古を10 日間程実施している。寒中稽古は、心身の鍛練を目的にしたもので3校とも学校教育で価値ある行事の一つであった。3 校の運動の特長ある行事をみると、尾道商業学校は大遠泳であった。尾道高等女学校の運動は女性らしいバレーボールとテニスに人気があった。尾道中学校は、毎週、尾道中学から千光寺まで3キロメートルのマラソン、月に1度の10 キロメートルのマラソン、年に1度の18 キロメートルのマラソンであった。2 戦前から体操・体練から今日の保健体育へ尾道高等女学校の教科をみると、開学からの昭和17 年まで体操科、昭和18 から21 年まで3年間の教練、戦後の昭和22 年から23 年の2年間の体育、24 年から今日までの保健体育と変遷してきた。3 戦後の運動部の活躍広島県高等学校総合体育大会の団体優勝、総合優勝を学校別にみると、各校が運動部の隆盛が読み取れた。昭和20 年代は尾道北高等学校の独占から、昭和30 年代は尾道商業高等学校の独壇場と移った。昭和40 年代以降は尾道高等学校の黄金時代となっていった。広島県高等学校野球連盟で甲子園に尾道商業高等学校が7回出場し、準優勝2回を数えた。また、尾道高校の水泳男子は全国大会、国際大会で優秀な成績を残した。昭和20 年代と30 年代において、好成績をあげた運動部指導教員は、母校に赴任し指導した教員が多かった。Ⅰ 学校の開校と研究目的Ⅱ 戦前中等教育の身体活動から1 戦前における各校の運動会(1)尾道商業学校の運動会(2)尾道高等女学校の運動会(3)尾道中学校の運動会2 寒中稽古(1)尾道商業学校の寒稽古(2)尾道高等女学校の寒稽古(弓道)(3)尾道中学校の寒稽古(柔道、剣道)3 尾道商業学校の大遠泳4 尾道高等女学校のバレーボール5 尾道中学校のマラソン・中国駅伝Ⅲ 戦前の体操から戦後の保健体育へ1 尾道高等女学校から今日の尾道東高等学校の教科の変遷 2 尾道高等女学校の開校から100 年間の保健体育担当教員Ⅳ 戦後の運動部活動1 広島県総合体育大会優勝校の変遷2 尾道商業高等学校の野球部の活躍3 尾道高等学校の水泳部の活躍4 各高等学校の運動部の活躍Ⅴ 終わりに
著者
平松 携
出版者
尾道大学地域総合センター
雑誌
尾道大学地域総合センター叢書 (ISSN:18830943)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.57-87, 2008-08

戦後の市民スポーツは、地域の運動会から始まった。高度成長期のスポーツ教室から今日の生涯スポーツヘ変容してきた。さらに2市3町の広域合併によって、運動やスポーツ文化はどのように変容するのであろうか。地域スポーツ活動から考えます。
著者
平松 携 山崎 昌廣 塚本 真紀
出版者
尾道大学経済情報学部
雑誌
尾道大学経済情報論集 (ISSN:13469991)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.113-124, 2005-12

高所において、中・高年者のトレッカーがトレッキング中にどのような心理的変化を示すかについて、トレッキング前とトレッキング後の心理的変化も含めて検討することを目的とした。方法としては、男性3名(60歳代2名、50歳代1名)を被験者として、標高1,440mを出発点として標高3,650m、標高5,000mの3地点で心理検査を行った。検査には、ダウニー意志気質検査8を使用し、その拡散度から下記のような結果を得た。1 被験者2名の開眼時の拡散度を100とした時の閉眼時の拡散度は、標高1,440m、標高3,650mおよび標高5,000mにおいて被験者2名は100を越えた。他1名の被験者の拡散度は、標高1,440m、標高3,650mおよび標高5,000mとも80台で低値であった。2 標高1,440mの拡散度を基準にすると、被験者2名の拡散度は標高5,000mになると高くなり、他1名の被験者の拡散度は、標高5,000mで逆に低くなった。3 トレッキング前とトレッキング後の拡散度は、被験者3名ともトレッキング後が高かった。特に1名は開眼、閉眼ともトレッキング前を拡散度100とするとトレッキング後の拡散度が200を越えた。
著者
平松 携
出版者
尾道大学
雑誌
尾道大学経済情報論集 (ISSN:13469991)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.105-121, 2008-06

歩行による健康づくりの基礎資料を得るため、男性を対象に1988年(44歳)から2007年(63歳)まで20年間の万歩計で測定した結果は、次のようになった。1.20年間の歩行数は、93,553,052歩であった。1年間平均歩行数4,577,652歩で、1年間で最も歩行数が多かった年は5,920,020歩(1992年)であった。最も歩行数が少なかった年は3,434,702歩(1995年)であった。1ヶ月で歩行数の多かった月は、四国遍路をした1992年3月の1,209,190歩になった。1日平均歩行数をみると、1992年の16,175歩、1993年の15,246歩で多かった。また、20年間の1日の平均歩行数は12,993歩であった。季節の歩行数をみると、春期、秋季、冬季、夏季の順に多かった。2.登山の歩行数をみると、2000m以上の登山は、八ヶ岳縦走(2泊3日)が97,615歩で多かった。1000m以上の登山は、石鎚山縦走(2泊3日)が84,941歩で多かった。里山は、六甲山縦走が46,080歩で多かった。3.トレッキングの歩行数をみると、ネパールのエベレスト街道の1日当たりの平均歩行数は14,443歩であった。一方、チベットのエベレスト(チョモランマ)BCの1日当たりの平均歩行数は、ラウンドクルーザでの移動のため、3,810歩に過ぎなかった。このように、20年間で健康づくりの目標である1日に1万歩の歩行数は確保している結果を得た。
著者
平松 携 Hiramatsu Sugaru ヒラマツ スガル
出版者
尾道大学経済情報学部
雑誌
尾道大学経済情報論集 (ISSN:13469991)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.75-120, 2009-12

1 戦前の運動活動 戦前に開校したのは、尾道商業学校、尾道高等女学校、尾道中学の3校である。運動会は、3 校とも創立後の早い時期に開催している。このことから運動会は学校教育の範疇で重要な行事の一つであった。寒中稽古は、3 校とも1 月の寒期に武道の寒稽古を10 日間程実施している。寒中稽古は、心身の鍛練を目的にしたもので3校とも学校教育で価値ある行事の一つであった。3 校の運動の特長ある行事をみると、尾道商業学校は大遠泳であった。尾道高等女学校の運動は女性らしいバレーボールとテニスに人気があった。尾道中学校は、毎週、尾道中学から千光寺まで3キロメートルのマラソン、月に1度の10 キロメートルのマラソン、年に1度の18 キロメートルのマラソンであった。2 戦前から体操・体練から今日の保健体育へ尾道高等女学校の教科をみると、開学からの昭和17 年まで体操科、昭和18 から21 年まで3年間の教練、戦後の昭和22 年から23 年の2年間の体育、24 年から今日までの保健体育と変遷してきた。3 戦後の運動部の活躍広島県高等学校総合体育大会の団体優勝、総合優勝を学校別にみると、各校が運動部の隆盛が読み取れた。昭和20 年代は尾道北高等学校の独占から、昭和30 年代は尾道商業高等学校の独壇場と移った。昭和40 年代以降は尾道高等学校の黄金時代となっていった。広島県高等学校野球連盟で甲子園に尾道商業高等学校が7回出場し、準優勝2回を数えた。また、尾道高校の水泳男子は全国大会、国際大会で優秀な成績を残した。昭和20 年代と30 年代において、好成績をあげた運動部指導教員は、母校に赴任し指導した教員が多かった。Ⅰ 学校の開校と研究目的Ⅱ 戦前中等教育の身体活動から1 戦前における各校の運動会(1)尾道商業学校の運動会(2)尾道高等女学校の運動会(3)尾道中学校の運動会2 寒中稽古(1)尾道商業学校の寒稽古(2)尾道高等女学校の寒稽古(弓道)(3)尾道中学校の寒稽古(柔道、剣道)3 尾道商業学校の大遠泳4 尾道高等女学校のバレーボール5 尾道中学校のマラソン・中国駅伝Ⅲ 戦前の体操から戦後の保健体育へ1 尾道高等女学校から今日の尾道東高等学校の教科の変遷 2 尾道高等女学校の開校から100 年間の保健体育担当教員Ⅳ 戦後の運動部活動1 広島県総合体育大会優勝校の変遷2 尾道商業高等学校の野球部の活躍3 尾道高等学校の水泳部の活躍4 各高等学校の運動部の活躍Ⅴ 終わりに
著者
平松 携
出版者
尾道大学
雑誌
尾道大学経済情報論集 (ISSN:13469991)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.101-126, 2006-06

1946年(昭和21年)に尾道市体育協会が設立され、初代会長に商工会議所会頭の金尾馨が就任している。当時の競技団体は、陸上競技、庭球、野球、バレーボール、柔道、剣道、スキー、山岳、水泳等である。また、1958年(昭和33年)に地区体育協会が設立ている。2004年(平成16年)の尾道市体育協会の傘下団体は、24競技団体、17地区体育協会、23スポーツ少年団で構成されている。尾道市体育協会は、スポーツフェスティバルなど全市民のスポーツ活動を担い、1970〜1980年代に尾道市民スポーツの基盤ができたといえよう。競技団体の活動は、60年間に変遷が伺えるが、各種目の大会を開催するなどスポーツの普及・振興の役割を果たしてきた。地区体育協会は、設立当初から町民運動会、地区バレーボール大会等の地域のニーズに応じたスポーツ活動に応え、地域住民意識を高揚してきたことの貢献度は高い。スポーツ少年団は、スポーツ種目別に情熱を注ぎ、スポーツを通して、たくましい青少年に育成の目的を果たしてきた。このように尾道市体育協会および傘下団体は、スポーツを市民に提供してきた役割は高く評価され、市体育協会の存在が尾道市民に徐々に浸透し、尾道市民に貢献してきた。