著者
平野 秀秋
出版者
法政大学
雑誌
社会志林 (ISSN:13445952)
巻号頁・発行日
vol.51, no.4, pp.1-47, 2005-03

5)プラトンは『国家』のなかに哲学者による理想国家論を書き残し、理想国家は理性により構築されるものであり感覚によってはならないと指摘した。これがいわゆる「詩人の追放」問題である。グノーシス宗教やその中の新プラトン主義の影響の元に『神の国』を書いて真理と善悪とのすり替えを行ったのがキリスト教進学者アウグステイヌスである。ニーチェはこれを蛇蜴のごとく嫌ったが無理もない。真理と善悪とは相互補完して多元的習俗・文化を構成すべきものだから。近代にいたって西欧文明の中で、この誤った認識はヘーゲル『法哲学』やマックス・ウェーバーを含む新カント派を通じて修復不能になった。こうして二〇世紀理論は甚だしく混迷した。当然これへの反作用も成立する。現象学の中で認識を数学に還元するというフッサールに対抗し、ハイデッガーは問題の本質を、正しく文明による世界の破壊に見ようとした。フランスで現象学者と近縁とされるベルグソンは「生の跳躍」という神秘主義の中に飛躍した。こうした事実を踏まえてスペンサー、ジンメル、レビ=ストロースなどの重要な寄与があった社会学は見直すべきである。見直しの中心には西欧文明による多元的文化の圧殺という事実を置くべきである。
著者
平野 秀秋
出版者
法政大学
雑誌
社會勞働研究 (ISSN:02874210)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.116-211, 1994-02

和語にいう「ことわり」には、人間の関与しえない天然の「理」と、とくに人間の社会に関係するひとの「性」とが共存する。「理」と「性」とが相合い相通じる「会通」の様相は、文化の個性を形成する。東西文化の間にはこの様相に根本的といえる対立がある。たとえば西洋近世以後「自然法」と呼ばれるものは実は神の法という意味の人性論であり自然の法ではないがこれは東洋には見られない、など。これを論じながら、両者の混淆を含まない西洋近世の見落とされた出発点として17世紀のライプニッツを上げ、彼の自然学と倫理学との調和を論じようとしたもの。
著者
Hirano Hideaki 平野 秀秋
出版者
法政大学社会学部学会
雑誌
社会労働研究 (ISSN:02874210)
巻号頁・発行日
vol.44, no.1, pp.1-63, 1997-09

4)This article was published at the same time on my website,its URL beeing(http://prof.mt.tama.hosei.ac.jp/~hhirano/).So, I write this abstruct in Japanese mostly. My articles preceeding and related this are article 1) and article 3). If interested, please read these Japanese articles, too.この論文は1)にはじまり3)に至った筆者の論旨を拡充し断定的に述べた英文論文である。西欧文化圏における「理性的文化一元論」に決して含まれなかった論客は、G.W. ライプニッツその人であった。この事実に注目しえていたのは20世紀ドイツの倫理学者アルベルト・ハイネカンプ等を除くとほとんど居ない。しかしライプニッツ思想が晩年に到達したこの側面はもっと注目されてよい。かえって『自然のフラクタル幾何学」で有名な数学者であるブノア・マンデルブロートのような論者の方が、かえってライプニッツの断片の中に散見される彼のこの「多元主義・相対主義」の思考様式に深い興味と関心を告白している。彼は単にニュートンと微分法の発見を争うだけの思想家ではないのである。