著者
張 永嬌
出版者
千葉大学大学院人文公共学府
雑誌
千葉大学人文公共学研究論集 = Journal of Studies on Humanities and Public Affairs of Chiba University (ISSN:24332291)
巻号頁・発行日
no.40, pp.49-70, 2020-03-27

[要旨]一九二〇年代に草野心平の活動で、宮澤賢治のテクストが中国の広州に送られたことをはじめとして、第二次世界大戦下、宮澤賢治テクストの中国への紹介は少なくはない。一九二〇年代や戦時下の中国における宮澤賢治の受容と一九八〇年代以降の中国における宮澤賢治受容との差異とその原因を考察することが本論の問題意識となる。このような視座に立つ際に、「中国での宮澤賢治研究・翻訳」という現象そのものを研究対象とする「中国における宮澤賢治受容」について通時的に論じることが重要であると思われる。本論は広州・旧満州・上海における宮澤賢治テクストと関わった媒体を取り上げ、それに伴う「賢治像」を明らかにする上で、一九八〇年代以降に中国で再紹介されている際の「宮澤賢治像」も考察する。その具体的なイメージとして、日本のアンデルセン・教育的な機能・サブカルチャー(宮崎駿)・国民的な作家といったイメージが挙げられる。その上に、宮澤賢治受容が多様化されつつある現在において、従来の「宮澤賢治讃頌論」から脱していないという問題も残っていることを提起する。本論は中国における宮澤賢治の受容の変遷を辿る作業を通じて、全面的な作家像を浮かび上がらせることを試み、中日の文化に関する相互理解を深めるための一つの糸口として位置づけたい。