著者
徐 玉
出版者
日本映画学会
雑誌
映画研究 (ISSN:18815324)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.4-26, 2020-12-05 (Released:2022-07-04)
参考文献数
28

本稿は、増村保造の映画『華岡青洲の妻』(1967年)における女同士の欲望や絆の描き方に注目し、有吉佐和子による原作小説と比較しながら、その映画的表現の特色を考察する試みである。まず、この映画において、加恵と於継の心理や欲望が、二人のまなざしのやりとりと連動していることを検証した。続いて、欲望の三角形の概念を援用しながら、青洲、加恵、於継の三者関係を考察し、加恵の青洲への愛や献身は、於継のそれの模倣であると論じた。また、加恵と於継の愛憎を見守る女性「観客」としての小陸の視線を加え、女たちの間には、権力が奪われているがゆえに結ばれる連帯が存在していることを確認した。さらに、加恵が家制度における姑という身分と同一化するように描かれている原作に対して、映画の結末における円環構造は、一度は忘却した於継への愛の蘇生を示唆するものであり、女同士の絆を前景化させていることを指摘した。
著者
徐 玉
出版者
日本映画学会
雑誌
映画研究 (ISSN:18815324)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.4-26, 2021-12-04 (Released:2022-07-05)
参考文献数
35

本稿は、久我美子が主演した文芸映画『挽歌』と『女であること』における疑似母娘関係に着目し、原作小説とも比較しながら、〈母性〉を介した女同士の親密な関係の映画的表現の特色を考察した。また、久我美子のスター・ペルソナとこれらの作品の関係を探った。『挽歌』については、怜子という新しい女性像、および怜子のヴォイス・オーヴァーをはじめとする女たちの「声」の分析などを通して、怜子とあき子の親密さが原作以上に強調されていることを検証した。『女であること』については、さかえのセクシュアリティの揺らぎを表現するにあたって、川島雄三の独特な空間がもたらす効果を論じたうえで、映画ではさかえの欲望がつねに市子に向けられていることを指摘した。さらに、『雪夫人絵図』以降の久我のイメージを辿り、『挽歌』と『女であること』において疑似母娘関係が強化されたことが、「特殊児童」という久我のスター・ペルソナと結びついていることを確認した。
著者
徐 玉子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第46回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.68, 2012 (Released:2012-03-28)

本発表は在韓米軍基地村の米兵専用のクラブで「エンターテイナー」として働くフィリピン移住女性たちの生活に密着した参与観察とインタビューに基づいて、よく国際人身売買の犠牲者として表象される彼女たちが移住先の性産業で遂行する労働をミクロなレベルで考察する。それによって、これまであまり議論されなかったセックスワークにおける感情労働について論ずると同時に、労働過程で発現されるエイジェンシーを浮き彫りにする。
著者
徐 玉子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2012, pp.68-68, 2012

本発表は在韓米軍基地村の米兵専用のクラブで「エンターテイナー」として働くフィリピン移住女性たちの生活に密着した参与観察とインタビューに基づいて、よく国際人身売買の犠牲者として表象される彼女たちが移住先の性産業で遂行する労働をミクロなレベルで考察する。それによって、これまであまり議論されなかったセックスワークにおける感情労働について論ずると同時に、労働過程で発現されるエイジェンシーを浮き彫りにする。