- 著者
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藤田 達生
山本 浩樹
杉本 史子
播磨 良紀
福田 千鶴
三鬼 清一郎
- 出版者
- 三重大学
- 雑誌
- 基盤研究(A)
- 巻号頁・発行日
- 2001
本研究では、小牧・長久手の戦いを中心に取り上げた。この大規模戦争を、中世における戦争の最終段階として、すなわち関ヶ原の戦いにも比肩する「天下分け目の戦い」と位置づけて、その実態を総合的に追究することをめざしたのである。本能寺の変によって、信長家臣団が分裂して後、戦争は新たな段階を迎えることになる。主だった大名が二大陣営に結集し、その首将が天下人の座を競う大規模戦争の段階へと突入するのである。それに属するのが小牧・長久手の戦いと関ヶ原の戦いである。研究の結果、これらには次に示すような共通した特徴が認められた。I.両軍の首将がめざしたのは、天下人としての実権の掌握であったこと。小牧・長久手の戦いは、信長の後継者を決する最終戦であり、関ヶ原の戦いは豊臣体制の継続か徳川政権の成立かをめぐって争われた。II.直接関係のない大名・領主も、どちらかの陣営に属することを強制されたこと。小牧・長久手の戦いは、旧織田大名ばかりではなく、周辺の戦国大名や一揆勢力が巻き込まれた。関ヶ原の戦いは、直接・間接を問わず、全国的規模で大名を動員することになった。両戦争においては、参戦せねば敵方与同とみなされたのである。III.主戦(大会戦)ばかりか全国的規模で局地戦がおこなわれ、長期に及んだこと。いずれの戦争においても、主戦と局地戦のありかたが、相互規定的であり、高度な情報戦であったことが重要である。IV.戦後も支配秩序確立のために、戦争が続行されたこと。秀吉が「征伐」と称する諸大名に対する侵略戦を繰り返したこと、家康が大坂の陣を強行したことが指摘される。