- 著者
-
斉田 浩見
- 出版者
- 一般社団法人 日本物理学会
- 雑誌
- 日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
- 巻号頁・発行日
- vol.76, no.11, pp.705-713, 2021-11-05 (Released:2021-11-05)
- 参考文献数
- 24
ブラックホールとは,重力が極めて強く光すら脱出できない(つまり原理的に観測不可能な)時空領域である.そのため,既知のブラックホールと思われる天体は「ブラックホール候補天体」というのが正しい.ブラックホールの定義に「重力が強くて光も脱出できない」とあるが,これは「光の軌道も重力で曲がる(質量をもたない光子にも重力が働く)」ことを意味する.このような挙動はニュートン重力では不可能なので,ニュートンの理論よりも正確に重力現象を記述する理論でなければブラックホールを理解できない.現実の重力現象を正しく記述する理論の最有力候補は,一般相対性理論である.しかし,一般相対論の検証は,例えば太陽系の弱い重力場で実施されてきたが,もっと強い重力場での検証はまだ不十分である.そのため,一般相対論を修正したさまざまな修正重力理論も生き残っている.それら理論の中から最適なものを探す研究を,重力理論の「探査」ということにしよう.重力理論の探査はこれまで主に,太陽系の弱い重力場と宇宙全体の規模の平均的な重力場でおこなわれてきた.星など個々の天体規模で,太陽系より強い重力場における重力理論の探査は,次の三つでようやく緒についたところである:(a)2015年に初検出された重力波イベント,(b)2018年に実現した我々の天の川銀河中心の巨大ブラックホール候補天体(いて座Aスター,Sagittarius A*,Sgr A*)の重力場に起因する重力ドップラー効果の検出,(c)2019年に成功したM87銀河中心の巨大ブラックホール候補天体の影の撮像.このうち(b)はもっとも地味な研究だが,太陽の400万倍の質量をもつSgr A*を周回する星々(S-starsという)の観測を米国と欧州のグループが1990年代後半から始めた(これが2020年ノーベル物理学賞の50%になった).筆者(理論)と共同研究者(観測)も2013年から,すばる望遠鏡でS-stars観測を進めている.そして,観測技術の革新を経て,S-starsの一つの星S0-2がSgr A*に最接近した2018年に,S0-2から届く光の分光観測でSgr A*の重力に起因する重力ドップラー効果が測定できた.これは一般相対論と矛盾せず,ニュートン重力の却下を意味する.そして現在,重力理論の探査を計画中である.一般相対論を始め多くの重力理論では,重力とは時空が曲がる効果だと考えて,時空の形を決める計量テンソルgμνを重力場とみなす.そして,Sgr A*周辺のS-stars観測による重力理論の探査でカギとなるのは,ブラックホール時空の計量gμνが含むパラメータをいかに測定データから決めるかである.一般相対論のブラックホール時空計量のパラメータは,ブラックホールの質量(ブラックホールに落ちた質量)と自転角運動量(重力場の向きが中心軸周りに回転する向きに傾く効果)である.修正重力理論では他にも未知パラメータや,計量とともに重力を担う未知の場も含む.こういったパラメータや場に観測データの測定精度の範囲で制限を付けることで,修正重力理論の可能性を調べることができる.この研究はこれから深まっていくところであり,理論も観測も手がついていないテーマは沢山ある.興味をもった若手の皆さんの参加を大歓迎したい.