著者
新澤 祥惠 川村 昭子 中村 喜代美
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.32, 2021

<p>【目的】石川県における行事食の特徴あるものを検討した。</p><p>【方法】平成25〜27年に実施した「次世代に伝え継ぐ日本の家庭料理」の聞き書き調査(穴水町、金沢市、野々市町、白山市、小松市、白峰村)及び文献等により検討した。</p><p>【結果】1)「あえのこと」は田の神様に感謝をするものとして能登一帯で今も行われている行事で地域の季節の食材で調理された料理が用意され、田の神様をもてなした後、家族の直会が行われる。 2)「報恩講」は浄土真宗の行事であり、多くは小豆汁が用意されるが、白峰村ではなめこ汁が作られ、これに、大盛りのごはんと厚揚げ、堅豆腐や山菜などを使った精進料理が用意されている。 3)「祭り」の料理としてえびすがあり、金沢、加賀では塩魚を使った押しずしが作られた。 4)「婚礼」の料理として鯛に炒りおからを詰めて蒸した唐蒸しがある。特に婚礼では大鯛を一対腹合わせに盛り付けて供される。また、五色生菓子が準備される。これは、日・月・山・海・里にみたてた5種の菓子を近所や親戚に配るものであるが、徳川家より玉姫が輿入れした題に献上されたものといわれる。 5)「氷室」は江戸時代、冬に雪を氷室に貯蔵し、旧六月朔日に氷室を開きこれを江戸の将軍家に届け、庶民はこの時期収穫される麦で饅頭を作ったという故事にちなみ、現在は7月1日に白、赤、緑の饅頭やはぜ、ちくわを食べている。 6)正月の雑煮は能登、金沢、加賀で差異がみられる。おせち料理で地域性のあるものとしては、棒だらの煮付け、ぶりなます、鮒の甘露煮があり、能登ではあいまぜも準備される。正月菓子としては前田家の家紋梅鉢にかたどった紅白の最中に砂糖をまぶした福梅(ふくんめ)や福徳がある。 以上、石川県では、信仰にちなんだ行事と武家文化に影響された行事食がみられた。</p>
著者
新澤 祥惠 中村 喜代美 川村 昭子
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.27, 2015

【目的】日本調理科学会特別研究「次世代に伝え継ぐ日本の家庭料理」の石川県における調査として実施したもののうち、穴水町、金沢市、白峰村のものを報告する。<br>【方法】平成25~27年、穴水町は80歳女性、金沢市は85歳男性、70歳女性、白峰村では74歳、69歳、67歳女性より、特別研究ガイドラインに沿って聞き取り調査を行った。<br>【結果】1)穴水町は能登内浦海岸に位置し、新鮮な魚介類が入手できる地域であり、魚介類が多様に利用されていた。特にイワシは漁獲に時期には釜でゆで、酢醤油で一人8~9尾も食べ、冬は糠漬けにしたコンカイワシに大根を加えて鍋物にしている。この他特産のぼらやいさざの料理、トビウオから作られたアゴだしが使われた。さらに、もずくやかじめ、テングサからところてんを作るなど海草の利用も多かった。 2)金沢市は地物や遠所物など多様な食材が得られる所である。主食は白飯であるが、冷やごはんを利用した大根飯や夏主食の残ったソーメンとなすを合わせた煮物が夕食に供された。夏はドジョウのかば焼きや、色つけ、いかの鉄砲焼きを購入した。じぶ煮は鴨肉や鶏肉ばかりではなく魚も使った。刺身では昆布締めや鱈の子つけにした。漬け物では蕪ずしのほか大根ずしがよく作られていた。 3)白峰村は白山麓地域のひとつで、山間部としての食文化が育まれているところである。昭和30年代以降は米を作るようになったが、それ以前は雑穀、おからなどを入れたおかゆや麦飯が主食であった。米粉に雑穀を入れた団子やかまし粉を番茶で掻いたものも食べていた。藁縄で括っても崩れない堅豆腐があり、狩猟で得た肉を熊鍋、熊汁、うさぎ汁にしていた。 4)以上、海岸部、都市部、山間部の地域差が示唆された。
著者
新澤 祥惠 川村 昭子 中村 喜代美
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集 平成29年度大会(一社)日本調理科学会
巻号頁・発行日
pp.226, 2017 (Released:2017-08-31)

【目的】石川県におけるおやつの特徴を検討した。【方法】平成25~27年に実施した「次世代に伝え継ぐ日本の家庭料理」の聞き書き調査(穴水町、金沢市、野々市町、白山市、小松市、白峰村)及び文献等により検討した。【結果】1)石川県全域で出現するものは「かき餅(欠餅とも書く)」がある。1月下旬に寒の餅をつき、赤、青の色をつけたり、黒豆、切り昆布、胡麻など混ぜてトボ型に入れ、薄く切ったものを縄で結んで屋内で乾燥するものである。これを1年中焼いて食したが、細かく切って煎り、砂糖や黒砂糖をまぶした「はぜ」としても利用した。「かき餅」は農山村では自家製であるが、都市部では菓子屋で搗いたもちを切ってもらい、自宅で干した。 2)「かき餅」以外にも餅類は多く、正月の終わりには、お鏡をおろして「善哉」とし、春と秋の彼岸、報恩講にはご飯を半殺し(半分だけつぶす)にした「おはぎ」を作った。また、春にはよもぎ団子、初夏になるとササゲを塩味にゆでてもちにまぶした「ささげ餅」が、また、笹のあるところでは笹の葉に包んだ笹餅が作られた。この他、春や秋に訪れるパクーン業者(パクーンとは米を煎り砂糖をまぶしたもの)に煎り米を作ってもらった。 3)夏は、スイカ、まくわ瓜、みの瓜を、秋は柿、ぐみ、栗、イチジクなどの果実がよく食べられた。渋柿は干してさわし柿とした。 4)以上の他に、大麦粉に砂糖を入れて水で掻いた「おちらし」、さつまいもを蒸して細く切り乾燥させた「干しいも」、さつまいもやじゃが芋(砂糖を加える)をつぶした「茶きん絞り」やテングサから作ったところてん、ザラメから作ったカラメル焼きなどが出現した。 5)白峰村では炒り豆や豆板、びやゆり・じゃが芋のデンプンに砂糖を入れ湯でかいた葛湯、かまし粉を番茶で掻いて砂糖を入れたおちらしや、栃の実の粉で作ったとち餅などこの地域独特のものがみられた。