- 著者
-
日向 一雅
- 出版者
- 明治大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 1995
平成7、8年度にわたり、奈良円成寺の「円成寺縁起」・「弥陀霊応伝」・「知恩院縁起」・「円成寺伽藍宝物略縁起」・「円成寺略言志」の調査と翻刻、内容の検討をおこなうとともに、中将姫説話の検討を行った。その成果は明治大学人文科学研究所紀要に発表するところである。「円成寺縁起」と「弥陀霊応伝」は内閣文庫と東京大学史料編纂所にそれぞれ明治期の写本があるが、内閣文庫本は漢字カタカナ交じり文に直され、特定の字を誤読しているが、東大史料編纂所本は大本の美麗な影写本である。「円成寺縁起」と「弥陀霊応伝」は同一人の筆跡であり、ともに慶長十七年(1612)直後の成立と見られる。内容は「円成寺縁起」が円成寺の正史というべきもので、鑑真に従って来朝した虚瀧和尚による創建から慶長十七年までの寺史を記す。「弥陀霊応伝」は円成寺の本尊阿弥陀如来に帰依した十六人の僧侶たちの深い信仰生活を記す。「知恩院縁起」は円成寺と知恩院の略史、並びに師命によって僧侶二人が文明十三、十四年(1481〜2)に朝鮮に渡り、大蔵経を請来した経緯を記す。この時の航海記録である二合船日記の残簡が存する。これらは従来その内容を紹介されることのなかった資料であり、近世における縁起として、また朝鮮との交流史料として特色のある貴重な資料であるといえる。中将姫説話については、これが『観無量寿経』の韋提希夫人の説話の翻案として成立し、後に継子譚と習合して独自な成長を遂げたことを検証した。この中将姫の極楽往生を演出するのが当麻寺の迎講であるが、円成寺においては十二世紀末に四天王寺から菩薩面などを譲り受けて、池上に橋を渡して迎講を行ったという。これは大変珍しい形式で「二河白道」との習合を示すとみられる。