著者
時安 邦治 平川 秀幸 西山 哲郎 宮本 真也 関 嘉寛 谷本 奈穂
出版者
学習院女子大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2010

本共同研究のテーマは、人々(特に子どもたち)が日常的に親しむ文化において科学がどのようなものとして描かれ、人々がそれをどう受容して、どのように「科学的なもの」を理解しているかである。子どもたちが接するコンテンツに描かれているのは、科学的な根拠を欠く「非科学」というよりは、科学的には実現されていない、いわば「未科学」である。これらのコンテンツには科学を批判的に見る視点が確かに含まれているが、最終的には科学技術のリスク認知よりもそれへの期待が上回るという分析結果となった。
著者
時安 邦治 Tokiyasu Kuniharu トキヤス クニハル
出版者
大阪大学人間科学部社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.20, pp.79-95, 1999

本稿はギデンズのセクシュアリティ論を「社会理論の再ジェンダー化」という視点から読む試みである。本稿では、まずギデンズの「反省能力(再帰性)」という鍵概念について検討する。それから、ギデンズのフーコー批判の論点を整理し、ギデンズの理論の特徴を明らかにしたい。ギデンズの『親密性の変容』によれば、反省能力の高まりは、一方で性の知識の社会への浸透を促し、生殖から自律した「柔軟なセクシュアリティ」の可能性を切り開いていく。それは他方で、人間関係に「親密性の変容」を生じさせる。カップルの関係は、従来のロマンティック・ラブを理想とする異性愛関係から、「溶け合う愛」による「純粋な付き合い」へと変わっていく。純粋な付き合いはパートナー同士の対等な関係であり、その意味で民主的な関係である。このような民主的な関係の可能性をフーコーは見落しているとギデンズは言う。ギデンズのセクシュアリティ論には、反省能力を通じてジェンダー関係を民主化する戦略が読み取れる。反省能力がどう作用して、どう社会が変容していくかは常に不確定性をもつという意味では、ギデンズの戦略がうまくゆく保証はないが、私は彼の意図をイデオロギー批判として評価したいと思う。