- 著者
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時安 邦治
Tokiyasu Kuniharu
トキヤス クニハル
- 出版者
- 大阪大学人間科学部社会学・人間学・人類学研究室
- 雑誌
- 年報人間科学 (ISSN:02865149)
- 巻号頁・発行日
- no.20, pp.79-95, 1999
本稿はギデンズのセクシュアリティ論を「社会理論の再ジェンダー化」という視点から読む試みである。本稿では、まずギデンズの「反省能力(再帰性)」という鍵概念について検討する。それから、ギデンズのフーコー批判の論点を整理し、ギデンズの理論の特徴を明らかにしたい。ギデンズの『親密性の変容』によれば、反省能力の高まりは、一方で性の知識の社会への浸透を促し、生殖から自律した「柔軟なセクシュアリティ」の可能性を切り開いていく。それは他方で、人間関係に「親密性の変容」を生じさせる。カップルの関係は、従来のロマンティック・ラブを理想とする異性愛関係から、「溶け合う愛」による「純粋な付き合い」へと変わっていく。純粋な付き合いはパートナー同士の対等な関係であり、その意味で民主的な関係である。このような民主的な関係の可能性をフーコーは見落しているとギデンズは言う。ギデンズのセクシュアリティ論には、反省能力を通じてジェンダー関係を民主化する戦略が読み取れる。反省能力がどう作用して、どう社会が変容していくかは常に不確定性をもつという意味では、ギデンズの戦略がうまくゆく保証はないが、私は彼の意図をイデオロギー批判として評価したいと思う。