著者
矢ケ﨑 太洋 竹下 和希 松山 周一 川添 航 竹原 繭子 曾 宇霆 玉 小 益田 理広
出版者
Association of Human and Regional Geography, University of Tsukuba
雑誌
地域研究年報 = Annals of Human and Regional Geography (ISSN:18800254)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.75-103, 2018-04

日本の高度経済成長期に「ニュータウン」と呼ばれる新興住宅地が郊外地域で多数形成された.今日,ニュータウンの課題として住民の高齢化や空き区画の増加などが指摘され,ニュータウンの再開発や再生が求められている.そこで本研究は,土浦協同病院の移転によって発展が加速する茨城県土浦市おおつ野を対象に,ニュータウンの再開発について考察した.聞き取りおよびアンケート調査を実施して,おおつ野の開発史,土浦協同病院の移転経緯,住民のライフコースと日常生活の変化を明らかにする.茨城県南部におけるニュータウンは,バブル崩壊後の都心回帰の傾向が強まる中で,東京大都市圏の郊外としての機能が低下し,地方都市の郊外として戸建住宅の用地を供給する役割を持つように変化した.その結果,おおつ野では空き区画が増加したが,土浦協同病院の移転により,商業施設が立地し,生活環境が改善され,ニュータウンとしての再発展が始まった.
著者
川添 航 矢ケ﨑 太洋 玉 小 松山 周一 曾 宇霆 竹原 繭子 竹下 和希 益田 理広
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100107, 2017 (Released:2017-10-26)

日本の高度経済成長期における急激な経済発展は,数々の恩恵をもたらした。一方で,経済発展を支えた人口増加により,首都圏における都市の過密化が大きな課題となった。その解決策として,ニュータウンと呼ばれる大規模な住宅団地の開発が郊外部で積極的に行われた。しかし,これらのニュータウンはバブル崩壊以降,高齢化や空き家・空地の増加などの問題を抱えることになった。これらの問題を抱えたニュータウンの再編成の過程を捉えることは,今後の住宅団地の開発にとって重要である。本研究では,空地が卓越したニュータウンの再生に着目する。茨城県県南地域は首都圏の最縁辺部に位置しており,常磐線沿線を中心に様々な規模で宅地開発が行われた。対象地域である茨城県土浦市おおつ野地区は比較的後期に宅地開発が行われ,長期間の開発の停滞とその後の大規模医療機関の進出による宅地の再生を経験した。本研究ではおおつ野地区におけるニュータウン開発の事例から,人口減少期におけるニュータウンの再生の現状を考察することを目的とする。おおつ野地区は田村・沖宿土地区画整理事業によって開発が行われた。この造成事業は1990年に始まり,一括業務代行方式によって当時の川鉄商事(現JFE商事)が開発し,2000年に事業が完了した。しかし,事業完了はバブル崩壊以降であったことから,住宅用地の購入者は少なく,空地が目立つ状態であった。 そのような状況が転換したのが,2013年の土浦協同病院の移転の決定である。土浦協同病院は災害リスクが低いこと,街路やインフラが整備されていたこと,国道354号バイパス線の開通により,県南・鹿行各地域からのアクセスが向上したこと   などを理由に,移転先をおおつ野地区に決定した。 また,土浦協同病院の付属施設である保育園,看護専門学校,関係施設である薬局なども相次いでおおつ野地区へ移転した。加えて,土浦協同病院の移転の決定以降,不動産開発が再開し,スーパーマーケットやホームセンターなどの商業施設も地区内に進出した。土浦協同病院の移転以降,おおつ野地区には高齢者,医者,看護師などの転入が進み,2008年時点では200世帯ほどであったが,現在は約500世帯まで増加した。おおつ野地区では分譲開始以降に自治会が組織され,老人会,防災訓練,防犯パトロール,子供育成会などの活動を実施している。 一方で,急激な世帯の増加により活動が硬直化し,住民の関係性も希薄化していることが課題となっている。住民のおおつ野地区への転入動機として,良好な子育て環境,定年後の居住地,などがあげられる。また,職場は土浦市内や県内各地域に位置していた。住民は病院移転による商業施設やバスの便数の増加に恩恵を感じている一方で,中心市街で買い物を行うためそのような影響が少ないという意見もあった。