著者
桐村 喬
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100020, 2017 (Released:2017-10-26)

I 研究の背景・目的  日本においては,地名に由来する名字が8割を占めるとされている(丹羽, 2002).そのため,名字の分布は,由来となる地名の存在する地域と一定の関連性を備えたものになると考えられ,どの名字がどの地域に多いのかが電話帳や名簿データなどに基づき詳細に調査されてきた(矢野, 2007など)。一方,名字からは,様々な地理的情報を得ることができる.例えばMateos(2014)は,名字に基づき,主にロンドンにおける言語や民族別の人口分布を明らかにしている.どの名字がどの地域で多いのかという従来的な視点からではなく,出身地あるいは祖先が居住していた地域(以下,これらを「出身地等」と呼ぶ)を知るための手がかりとして名字を捉えることで,有用な知見を新たに得ることができるものと考えられる.  そこで本研究では,地域ごとに特有の名字を求めるために名字の分類を行った上で,名字の類型別の構成比に基づいて地域を分類し,名字を通して観察できる出身地等別の人口構成に基づく地域間の結び付きを明らかにすることを試みる.出身地や出生地別の全国的な居住人口統計は,1950年の国勢調査結果以降作成されておらず,本研究で得られる知見は,一定の重要性を持つものと考えられる.II 名字の類型化  名字に関するデータとして,東京大学空間情報科学研究センターとの共同研究により提供された2014年版の「テレポイント Pack!」(以下,電話帳データと呼ぶ)を用いる.電話帳データからは,2013年末時点の電話帳に掲載されている1,600万件の個人の名字を把握できる.分析対象とするのは,全国で100件以上のデータを持つ,9,985種類の名字である.  名字の類型化のために,2013年末時点の市区町村単位でそれぞれの名字の件数を集計し,名字ごとに市区町村別の構成比を求める.この構成比を,SOM(自己組織化マップ)とWard法を用いて類型化し,名字に関する33類型を作成した(以下,名字類型と呼ぶ).名字類型は,主に分布する地域が類似している名字のまとまりである.例えば,名字類型のS33は沖縄県に分布が集中する名字の類型であり,S10は,関東地方が分布の中心であるものの全国で1万件以上のデータを持つ名字の40.8%が含まれるなど,分布範囲の集中傾向が弱い名字の類型である.  地域ごとに名字類型別の名字件数の構成を求めることで,各類型の名字が主に分布する地域を出身地等とする人口の構成を推定できる.この推定の妥当性を検証するために,各類型の名字が主に分布する地域を都道府県単位で特定し,これらの都道府県を出生地とする1950年時点の人口を都道府県別に求めて出生地別人口比率を算出し,都道府県別の名字類型の構成比と比較した.これらの間には有意な一定の相関関係があることから,名字類型を通して,出身地等別の人口構成をある程度把握できると考えられる.III 名字類型別の構成比に基づく地域分類  市区町村単位で名字類型別の構成比を求め,SOMおよびWard法を用いて類型化し,市区町村を分類する12類型(以下,地域類型と呼ぶ)を得た(図).大部分の地域類型は,複数の都道府県にまたがっており,北海道を除けば飛び地の少ない分布となっている.近畿および四国はおおむね同じ地域類型R08に含まれる一方で,東北および関東はそれぞれ3類型(東北:R01・R02・R04,関東:R02・R03・R06)に,九州は2類型(R10・R12)に分かれており,必ずしも地方単位の分類にはなっていない.沖縄については単独の地域類型R09を構成している.北海道は,道南を中心とする地域が北東北と同じ地域類型R04に含まれる一方,札幌市を含めた残る地域の大部分が北陸と同じ地域類型R05に含まれており,明治以来の開拓に伴う人口移動の結果が地域類型の分布に現れている.  一方で,東京や大阪などの大都市圏では,12の地域類型としては,それ以外の地域からの大規模な人口移動の結果と考えられるような分布パターンを十分に認めることができなかった.名字類型の段階で,すでに2013年時点の名字の分布が反映されているためと考えられる.ただし,栃木・茨城県と福島県がR02に,群馬・埼玉県と山梨・長野県がR03にそれぞれ属するなど,大都市圏の一部とその後背地とも考えられる地域のまとまりが抽出されており,人口移動に基づく地域間の結び付きの一端を示している可能性が示唆される.
著者
三上 岳彦 永田 玲奈 大和 広明 森島 済 高橋 日出男 赤坂 郁美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100193, 2017 (Released:2017-10-26)

筆者らの研究グループでは、東京首都圏におけるヒートアイランドと短時間強雨発生の関連を解明する目的で、気温・ 湿度(143地点)、気圧(49地点)の高密度観測(広域METROS)を行っている。2015年7月24日の14:00-15:00に、東京南部の世田谷区を中心に時間雨量が約50mmの短時間強雨が発生した。そこで、この日の短時間強雨について、事例解析を行った。この事例解析から、世田谷付近で増加傾向を示す短時間の局地的豪雨の要因として、降雨開始3時間前頃に高温域が形成されると、その約1時間後に熱的低気圧が発生し、さらに2時間後には、南からの海風進入による湿潤空気の流入で水蒸気量が急激に増加して豪雨となると考えられる。豪雨開始と同時に急激な気圧の上昇が起こるが、これは発達した積乱雲内部での強い下降流によるものと推察される。
著者
平野勇二郎 勇二郎 一ノ瀬 俊明
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100205, 2017 (Released:2017-10-26)

今後の人口減少と高齢化に備えて、居住域の交通計画について検討が必要である。スプロール化が進行した現在の空間構造のまま人口減少した場合、広域的に人口密度が低下し、とくに地方部では過疎化が深刻化する。この結果、生活の利便性の低下や、環境負荷の増大が懸念される。とくに交通に関する問題は重大である。利便性を維持するためには公共交通の充実が不可欠であるが、過疎化した空間構造の中ではインフラの維持管理コストが見合わない。このため、人口密度が一定以下になれば自動車が不可欠となるが、運転困難な高齢者の生活がますます困難となる上、一人当たりCO2排出量の増加などの環境負荷にも結び付く。このため、今後の人口減少に備えて居住域をコンパクト化する提案も多い。こうした背景から、今後の居住域の空間計画を検討する上で、都市条件と交通手段の関係について把握することが不可欠である。そこで本研究では、家計調査などの統計データから交通手段ごとに移動距離を算出し、都市間での比較を行った。この結果から、全体として自動車の移動が多く、大半の都市において半分以上は自動車が占めていることが示された。大都市では鉄道の割合が相対的に高いが、地方部では大半の移動を自動車が占めている。また鉄道、バス、タクシーの合計を公共交通とし、自動車との関係を調べたところ、若干の負の相関が生じた(R=-0.650、1%有意)。この結果から、自動車と公共交通の間に代替性が定量化された。また、自動車と公共交通を合わせた移動距離は公共交通の利用が多い地域の方が若干短く、都市域において高密度化した都市構造に伴い、移動が効率化されている可能性が高い。今後、各都市の人口密度や土地利用などの詳細な都市構造を踏まえて、さらに解析を進める予定である。
著者
太田 慧 菊地 俊夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100153, 2017 (Released:2017-10-26)

1.研究背景と目的 多摩地域に位置する東京都小平市は市域が東西に広がっており,市内の東西で土地利用や産業構造に異なる特徴がみられる.本研究は2016年度に実施した小平市産業振興計画に基づく基礎調査のアンケート結果に基づいて,東京都小平市における消費行動の傾向を品目別に検討し,それらの地域的な特徴について明らかにした.2.東京都小平市における購買行動の地域特性 図1および図2は,小平市の東部,中部,西部の地域別に生鮮食品および娯楽サービスの主要な購入・利用先の回答割合を線の太さで表現したものである.図1のように,小平市の東部地域における生鮮食品購入先の回答は,「花小金井駅周辺地区」で購買する割合が最も高い.一方,中部地域の回答では「一橋学園駅周辺地区」,西部地域は「小川駅周辺地区」などのそれぞれの地域から近い場所で購入する割合が高いほか,一部では「新宿駅周辺地区」や「吉祥寺駅周辺地区」などの都心方面の回答もみられた.娯楽サービスについては,小平市の東部地域は「新宿駅周辺地区」,中部地域と西部地域は「立川駅周辺地区」を利用する割合が最も高くなる一方で,相対的に小平市内における娯楽サービスの回答割合は低い傾向となっていた(図2). さらに,アンケート調査回答の購入・利用割合について,生鮮食品,紳士服・婦人服,娯楽サービス,教育サービス,外食サービス,医療・介護サービスの6項目について検討した.その結果,生鮮食品,教育サービス,医療・介護サービスなどの市民が日常的に利用するものに関しては小平市内やその近隣で購入・利用されていることが示された.一方,紳士服・婦人服,娯楽サービス,外食サービスについては,「新宿駅周辺」や「吉祥寺駅周辺」などの都心方面に加えて,「国分寺駅周辺」や「立川駅周辺」などの中央線沿線の商業地域がよく利用されていた.全体的にみれば,小平市東部地域の住民は「新宿駅周辺」や「吉祥寺駅周辺」などの都心方面において商品・サービスを購入・利用する傾向があるのに対して,西部地域の住民は「立川駅周辺」を回答する傾向があった.また,中部地域の住民は「国分寺駅周辺」の回答がやや多いが,おおむね東部地域と西部地域の購入・利用傾向の中間的なものとなっていた.以上のような小平市内で購入・利用先に差異がみられる傾向は,娯楽サービスでより顕著にみられた.つまり,服の購入,娯楽,外食などの週末の利用が想定される項目に関しては,小平市内よりも新宿や吉祥寺,立川などの中央線沿線の商業地域がよく利用されているといえる.
著者
貝沼 良風
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100143, 2017 (Released:2017-10-26)

<はじめに>地域では様々な祭りが執り行われているが,そうした祭りの多くは,地域社会との強い結びつきのもとにあるといえよう.これまで祭りと地域社会との関係に関しては豊富な研究蓄積がみられる.中でも地理学の研究に目を向けると,たとえば,古田(1990)は,新住民の流入により,祭りの意味が伝統的な行事から子どものための行事へと変容したことを明らかにしている.また,平(1990)は,地域社会において祭りの担い手が不足する中,祭りを執り行うスケールを広域化することで,祭りが維持されることを示唆した.こうした祭りと地域社会との関係をめぐる研究では,主として存続している祭りに焦点があてられてきた.しかし,地域社会が変容する中,そうした変容に適応し,存続する祭りがある一方で,中断や消滅に至った祭りも多く存在する.そのため,今日における祭りと地域社会の関係をより詳細に理解するためには,そうした祭りにも目を向ける必要があるだろう.<BR> そこで本研究は,地域社会の変容により中断したものの,再生され,再度中断に至った祭りを事例とし,従来と再生後の祭りの比較を通じ,祭りと地域社会の関係を考察することを目的とする.具体的には,秩父市荒川白久地区の天狗祭りを対象とする.<BR> 本研究で使用するデータは,実行委員長をはじめとする天狗祭りの中心人物や,荒川白久地区の住民10名に対して実施したインタビュー調査により収集した.また,従来の天狗祭りの郷土資料やフィールド調査で得られた情報も分析に使用する.なお,本研究では,荒川白久地区の中でも,天狗祭りの再生において中心的な役割を担った後述の上白久町会に特に注目する.<BR><対象地域と地域住民組織の概要>本研究の対象地域である荒川白久地区は,2005年に秩父市に編入された旧荒川村の一部で,中山間地域として特徴付けられる.2015年の国勢調査によると,人口は846人で,高齢化率は41.1%と,高齢化の進んだ地域といえる.荒川白久地区では,40から70世帯ごとに集落区という地域住民組織が編成されている.同地区にはこの集落区が7つ存在する.他方で,上述の編入合併の際に,2から3の集落区をまとめた,町会という地域住民組織が新たに設けられた.<BR><天狗祭りの再生と中断>天狗祭りは,山の神をやぐらに迎え入れ,やぐらを燃やすことで山へと返すという儀礼的な意味を持つ民俗行事で,小・中学生の男子が中心となって,毎年11月に開催されていた.従来,同祭りは旧荒川村の集落区ごとに執り行われてきたが,中でも原区という集落区のものは,埼玉県の無形民俗文化財に登録されている. 1960年代頃になると,同祭りは夜遊びや火遊びとして捉えられるようになり行われなくなっていった.1970年代以降は上述の原区でのみ継続されていたが,同区でも2011年を最後に休止となった.<BR> そうした中,2015年に地域住民の呼びかけにより天狗祭りが再生された.その際,従来の集落区ではなく,より広域な地域住民組織である町会において祭りが執り行われた.しかし,住民の一部から祭りに対する異論が投げかけられ,翌年,天狗祭りは再度中断となった.<BR> 再生された天狗祭りは,祭りの意味や活動内容が従来のものとは異なる点が多くみられた.従来は,主に子どもたちを中心に集落区を単位に行われていた.また,祭りに必要な諸経費は住民からの灯明料によって賄われていた.しかし,再生された天狗祭りは,60から70歳代の住民を中心に,町会を単位に実施された.そして,諸経費は,灯明料ではなく,有志の住民からの協賛金というかたちの寄付で賄われた.また,従来の天狗祭りでは,祠への参拝をはじめ,神事に関わる活動が重視されたが,再生された天狗祭りでは宗教色が極力排除され,地域内外の人々の交流が重視された.その重視する点の違いから,開催場所も人家から離れた場所から,住宅地付近へと変更された.天狗祭りの再生において,祭りを執り行う単位が集落区からより広域な町会となったことは,結果として祭りの再生に賛同し活動に参加する地域住民を集めやすくなったといえる.地域住民からは,再生された天狗祭りに対して懐かしいという声がきかれた一方で,内容や開催場所が従来とは異なることや,火を炊くことに対して否定的な声もきかれた.<BR><まとめ>天狗祭りは,祭りを執り行う単位の広域化や子どもが不在でも実施可能なものへと内容が変更されたことで,一度中断したものの,再生まで至ることができた.しかし,神事であることや子どもが主体といった従来,住民が重視していた点が失われたことで,当時の様子を知る住民が少なくない中,地域社会が一枚岩となって祭りを支えることはできず,新しいかたちの天狗祭りは継続することはできなかったと考えられる.
著者
宋 苑瑞
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100169, 2017 (Released:2017-10-26)

近年韓国で最も懸念されている環境問題は大気汚染である.毎年春先に中国大陸からの黄砂の影響で,視界が悪くなることはしばしばあったが,現在は季節に関係なく視界が悪くなる日が増えている.大気汚染により,外出を控え,洗濯物を外で干せなくなるなど,日常の生活が制限されるようになり,PM2.5などの大気汚染物質が注目されるようになった. 韓国では1960年代からの高度成長期を経て工業化が進んできた.一部の製造業の工場は日本と同様に海外へ移転したが,製鉄・精油など大規模の重化学工業は,現在でも国内の主要産業の一つである.大気汚染の主要な発生源は産業施設から排出される汚染物質と車からの排気ガスである.このような状況において,韓国の国立環境科学院は1999年から120余の関連企業から約300項目の資料を収集し,大気汚染物質の排出量を算定している.2011年から新しい項目としてPM2.5の測定を開始した.現在韓国内のPM2.5を含む大気汚染物質の測定所は322箇所あり(首都圏には143箇所),毎時間のデータをオンラインで配信している.韓国の主要大気汚染物質の排出量の推移を図1に示す.汚染物質のうち最も高い割合を占めているのは窒素化合物(NOX)で,近年再び増加傾向にある.その排出源のうちの道路移動汚染源は前年度比約8%増加,非道路移動汚染源(建設装備及び航空運航便数)は前年度比約18%増加した.次に多いのは揮発性有機化合物(VOC)であるが,エネルギー産業での燃焼量が前年度比約10%減少し,生産工程からの排出が約4%増加したことから,全体では前年度比約1%減少した. 韓国における車の登録台数は2017年6月現在約2200万台で,近年も毎年3%前後で増加している(韓国国土交通部,2017).韓国のディーゼル車の割合は全体の42%を超えている.特に,近年は燃費の割安さからディーゼル車が人気を集め,ディーゼル車が急増していて,現在登録されているディーゼル車の54%が自家用車である.ディーゼル車はガソリン車より数倍も多く窒素化合物(NOX)を排出することから,世界的には排気基準を厳しく制限され,出荷台数や占有率も減少傾向にあるが,それとは異なる状況である.2014年に排出されたNOXの排出量113.6万トンのうち,最も高い割合を占める排出源は道路移動汚染源で,36.1万トンが排出された. 韓国の大気汚染物質について排出地域別に見ると,首都圏と発電所,製鐵製鋼,燃焼施設など大型施設が位置する忠清南道,全羅南道,慶尚北道の一部地域で汚染物質の排出量が大きかった. 2014年の韓国のPM2.5の排出量は6.3万トンで,主な排出源は製造業における燃焼と非道路移動汚染源で,年間排出量はそれぞれ3万トンと1.4万トンに至る.韓国のPM2.5の大気環境基準は1日平均で50 μg/m3, 年平均で25 μg/m3で,日本(1日平均35 μg/m3と,年平均15 μg/m3)と中国(1日平均75 μg/m3,年平均35 μg/m3)の中間値を取っている.しかし,この基準値はWHOの指針基準やアメリカあの年平均基準値より2倍以上高い基準値であり,大気汚染を減らすための今後のさらなる努力と改善が必要である.    参考文献 韓国国土交通部(2017),車の登録資料統計. 韓国国立環境科学院(2015),2013年全国の大気汚染物質の排出量,133p.
著者
池谷 和信
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100210, 2017 (Released:2017-10-26)

1.はじめに これまで家畜(家禽を含める)の生産や流通を対象にした地理学的研究では、乾燥地域・高山地域・極北地域の牧畜や日本や欧米の畜産業を対象にした文化地理・経済地理的研究が多かった(池谷2006ほか多数)。その一方で、熱帯アジア地域の村では稲作や焼畑農業が生業の中心であり、家畜飼育についての体系的な研究は行われていない。そこで、本報告では、熱帯アジアにおける家畜生産と流通に関するこれまでの研究動向を整理することがねらいである。ここでは、熱帯アジアとは、日本の琉球列島から東南アジアの大陸部・島嶼部、および南アジアにかけての湿潤地域を対象の中心としてみなしている。また、対象となる家畜は、牛、水牛、豚、ヤギ、羊、鶏、アヒル、ミツバチなどである。筆者は、過去数年間のあいだ、バングラデシュのベンガルデルタの豚の遊牧やタイやベトナムでの鶏飼育などの現地調査を重ねてきたが、ここでは、熱帯アジアの家畜生産と流通に関する既存の研究論文を対象にする。 2.結果 これまで、日本語において熱帯アジアの家畜生産と流通の研究は多くはない。 パキスタンは中里、インドでは中里、篠田(2015)、渡辺、バングラデシュは池谷、タイは高井、増野、中井、ラオスは高井、中辻、インドネシアは黒澤、中国は野林、菅、西谷、台湾は野林、琉球列島は高田・池谷(2017)、黒澤、長濱などの事例研究が挙げられる。 まず、家畜生産については、個々の家畜や民族集団(カム、モン、ミエンほか)ごとの放牧や舎飼いなどの家畜飼養の方法、放牧地利用(慣行権ほか)、餌利用、生殖技術、社会関係(牛飼いカースト)など、家畜流通については家畜市場での取引状況、大都市の肉屋での販売、犠牲祭にかかわる家畜の消費などが注目されてきた。これらは、集落単位でのミクロな研究事例が多く、国家の家畜振興政策と家畜飼育とのかかわり、村の生産地と大都市の消費地とのつながり方の研究はあまり活発ではない。 家畜生産と流通を対象にしては、歴史地理的研究も多くはないが、現状分析には欠かせない視点である。熱帯アジアにおける個々の集落が、どのように歴史的に地域や国家のなかに結合してきたか否かの解明が必要である。筆者が研究をしているバングラデシュの豚飼育については、グローバルな動向(欧米からの豚の導入、遊牧から舎飼いへの移行など)にどうして結合していかないのかも課題として残されている。 3.考察 世界的な視野でみると、熱帯アジアの家畜(ゾウやミタンほか)は、世界のなかで最も種類が多く、遊牧、移牧、舎飼いなど飼養形態も多様である。また、家畜はイスラーム教の犠牲祭とのつながりも深く、現在でもヒンズー教の牛など宗教とのかかわりを無視することはできない。つまり、家畜生産と流通の研究には、経済、文化、歴史的視点を統合することが必要である。現在、ますます国境を越えての家畜にかかわる大企業の活動を無視することはできない。熱帯アジアにおける各地域での大企業と小規模農家とのかかわり方など、世界経済の動向や肉食需要の拡大などをみすえながら考察する。
著者
河本 大地 板橋 孝幸 岩本 廣美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100045, 2017 (Released:2017-10-26)

Ⅰ.背景と目的 日本では公立学校の統廃合が加速化している。文部科学省による2015年「公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する手引」では、学校規模の適正化として、クラス替えができるかどうかが判断基準とされている。また、学校の適正配置として、スクールバス等でおおむね1時間以内を目安にするという基準が加えられた。 へき地小規模校の数は著しい減少には、以下の問題があると考えられる。第一は、地域社会の維持・発展に制約がもたらされることで、従来から多く指摘されている。第二に、通学する児童・生徒に大きな負担を強いる。第三に、へき地に暮らす子どもたちの地域学習の機会の減少・喪失が挙げられる。第四に、自然に即した暮らしの可能性を大きく制限してしまう。 へき地小規模校は、都市部の大規模校ではできない教育実践が多々ある中、それらのアンチテーゼの存在であり得る。また、学校統廃合に関して1か0かの二択ではない適応力と弾力性に富む実践や工夫が地域には存在するはずであり、それらに光を当てることには社会的な意義がある。 本研究では、地域多様性を守り育む学校教育システムとして、沖縄島の北端に位置する沖縄県国頭郡国頭村の事例を把握する。国頭村には村立の小学校が7校、中学校が1校ある。へき地小規模校5校(いずれも小学校)で学ぶ魅力を高めつつ、規模の比較的大きな2つの小学校や1校に統合されている中学校をも含めた教育システムを構築し、学力向上を含むさまざまな成果を出している。それに対し、筆者らの所属する大学のある奈良県をはじめ全国各地では学校の統廃合が進み、1自治体に小学校と中学校が各1校か2校、あるいは併置の形で1校となっている場合も多い。両者は小規模な小学校の維持・発展に関して対照的であるが、学校の統廃合が地域多様性の観点からマイナス要因となることも多い中、国頭村の事例は全国的に持続可能なへき地教育の体系を構築していくためのヒントとなり得る。   Ⅱ.方法 2017年3月に国頭村を訪問し、教育委員会指導主事、各へき地小学校の校長のほか、教職員や児童、地域住民にも随時、地域事情や教育に関する聞き取りを行った。訪問校では、施設の見学や授業参観も実施した。教育委員会では地域学習副読本も入手した。さらに、地域学習で扱われる村内の施設や場所を視察した。 事前・事後には、各校のウェブサイトに掲載されている情報の収集や、国頭村の教育事情や人口・産業・生活等に関する文献資料の収集を行い、発表者間で議論をし、考察を加えた。   Ⅲ.結果と考察 国頭村では、持続可能なへき地教育の体系を実現すべく、地域の持続と子どもの能力向上を図るための多大な努力が払われている。そこにおいて鍵になるのは、各校および各校区の努力のみに任せず、村全体としての教育システムをつくりあげている点である。具体的には、小規模校のへき地教育対策として、近隣の小規模校同士の集合学習や合同学習など日常的な教育活動、児童数の多い小学校2校との交流学習を推進し、子どもたち同士をつなげるさまざまな取り組みが行われている。さらに、子どもたちだけでなく、教育システムを支えるために教員研修も連携して実施され、同僚性の構築が進められている。小規模へき地小学校もそうでない小中学校も含んだ形で、村全体で「学びの共同体」理念を導入し成果を上げている点は、特筆に値する。また、村の公認のもと、多様な学校間連携の形を実現させ、小規模へき地校のメリットの伸長とデメリットの克服を同時に行っている。 国頭村の事例からは、小規模へき地校のよさを活かし地域多様性を持続させるには、各校・校区の自助努力にゆだねるのではなく、行政や教育委員会が小規模へき地校やそれが存在する地域の価値をきちんと理解したうえで、それらを維持・発展させる教育システムを構築することが重要と言える。
著者
山本 政一郎 尾方 隆幸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100116, 2017 (Released:2017-10-26)

1. 問題の所在 学校教育は,言うまでもなく,学術的な成果に基づいたものでなければならない.しかしながら,地理教育については,その母体となる地理学,さらには関連する地質学や地球物理学などの成果が適切にフィードバックされていない現状があり,特に大地形についてはいくつかの指摘がなされている(たとえば,岩田 2013;池田 2016). 高校「地理」「地学」で扱われる分野には,共通する内容が多い.両科目で共通する分野については,お互いに協調して対象を取り扱うことで,地球に対する理解をより総合的・系統的に身につけさせることができる.しかしながら,同じ内容を説明しているにも関わらず両科目間で用語が異なっていたり,内容の解説そのものに相違があったりする.さらに,同一科目内においても,同じ内容を示す用語が教科書会社によって異なっているなど,混乱がみられる. この現状は学校教育現場に混乱をもたらす.とりわけ,教育を受ける側の生徒にとっては,受験に伴う不公平さえ生まれかねない.これらの問題を即時に解消することは困難としても,教育者側が相違の現状を把握しておくことで,それらに留意した説明をするなど,教育現場での対応が可能になる.そのためには,まずは教育現場で実際に使用されている教科書を分析し,課題を可視化する必要があろう. 本発表では,高等学校「地理」「地学」において,教科書によって記載が異なる事項を中心に,2017年度に使用されている全ての教科書(地理B:3冊,地理A:6冊,地学:2冊,地学基礎:5冊,科学と人間生活:5冊,計21冊)を対象に,用語のブレを比較検討する.地形分野については,大地形および沖積平野,土砂災害に関する用語がどのように扱われているか,またそれらの発達史・プロセスがどのように扱われているかについて報告する.気象・気候分野については,大気大循環に関する用語・説明の範囲,および気候区分に関する記述の違いを中心に報告する.2. 用語問題の類型発表者らは用語問題を以下の3つの類型に分類している.類型I)科目内の違い……同一科目内において,同じ内容を示す用語が教科書会社によって異なっているもの.大学受験など,科目内で統一した知識が必要となる際に障壁となる.類型Ⅱ)間の違い……同じ内容を説明しているにも関わらず両科目間で用語が異なる.地理・地学の連携を行う際に障壁となる.類型Ⅲ)学術用語との違い……学術界で死語となった,あるいは変更されて現状で使用が不適切な語.大学での教育を含む日本国内の知識理解の向上のために使用を改めたい. この類型に加えて,異音同義語(同じ定義だが異なる用語)と同音異義語(異なる定義だが同じ用語)の分類も重要である.学習者にとってはどちらも混乱を生じるものであるが,前者の問題は同じ定義であることを確認できれば解消しうるものの,後者は学術的に極めて不適切といえる.  3. 改善に向けて 将来的には「地理」「地学」両領域にまたがって用語の用例・相違の状況を把握できるように,用語の状況を整理・統合して公表しているデータベースの構築が望ましい.文部省発行『学術用語集』のように一時点での情報で,かつ情報がその持ち手に限られる媒体のみではなく,情報を閲覧しやすく,更新しやすいオンライン形式であれば,教員,教科書会社,大学入試作問者,学習者である生徒も使えるものとなろう. 【文献】池田 敦 2016. 月刊「地理」, 61 (2): 98-105.岩田修二 2013. E-Journal GEO, 8 (1): 153-164.尾方隆幸 2017. 月刊「地理」, 62(8): 91-95.山本政一郎・小林則彦 2017. 月刊「地理」, 62(9): 印刷中.
著者
市川 康夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100018, 2017 (Released:2017-10-26)

1.インバウンド観光における歩くツーリズム インバウンド・ツーリストの増加と訪日観光の多様化を背景に、日本の非都市部の自然や文化を目的とするインバウンド旅行者が増加している。なかでも観光者が増加している熊野古道や富士山、そして本研究が取り上げる中山道では、「歩く」という行為を通じて景観美や自然、あるいは精神的な体験を得ることがインバウンド・ツーリストに注目されている。これら「歩くツーリズム」における大きな特徴は、ヨーロッパや北米・オーストラリアなど欧米系ツーリストがその多くを占めている点である。ハイキングやランドネなど農山村地域を歩くことが文化的に受容されてきた欧米諸国のツーリストは、訪日観光でも日本独自の自然や文化に触れられる歩くツーリズムを求めるようになってきている。 本研究は、日本のインバウンド観光における歩くツーリズムの先駆的事例ともいえる中山道の文化観光を事例に、欧米系ツーリストの意識に注目しその背景にある観光需要や彼らの動機を明らかにすることを目的とする。 2.中山道を歩くインバウンド・ツーリストの台頭 本研究の対象は、中山道の長野県と岐阜県にまたがる木曽路の峠にあたる馬籠宿〜妻籠宿間にある山間部の街道である。元々、この地域は1980年代前後から欧米ツーリストには知られた存在であったが、ガイドブック「ロンリープラネット日本版」に中山道が上位にランキングされたことを契機に、現在では世界中から訪日者を集めるインバウンド観光地となっている。 インバウンド・ツーリストは名古屋や松本方面から中津川駅へとアクセスし、そこから徒歩をメインに落合宿を経て約8km離れた妻籠宿へと向かう。彼らは宿場町で1〜2泊し、妻籠宿と馬籠宿の間にある約7.3kmの山間街道を歩き馬籠宿へと向かう。この道中では江戸期の石畳の佇まいや峠の集落の街並みのほか、番所跡の茶屋、滝や森林の風情などが見所となっている。 馬籠〜妻籠宿を歩くツーリストは2015年で年間約4万人であり、その約47%が外国人である。特にバカンスシーズンの7〜9月になると外国人の割合は60%を超える。このインバウンド・ツーリストのうち全体の約92%は欧米系、うち全体の60%はヨーロッパからの観光者であり、アジア系は全体の5%と非常に少ない(番所跡でのハイカー調査2013年より)。馬籠宿は島崎藤村の故郷として、妻籠宿は全国に先駆けた集落・街並み保存運動の地として1970年代以降国内を中心に観光者を集めてきたが、両者ともに2000年代以降はその数を大きく減少させてきた。一方、減少する国内観光者と比例して増加してきたのが歩くツーリズムを目的とする欧米系ツーリストであり、2009年に峠を歩く外国人が5848人であったのが2015年には16,371人まで急増している。 4. 欧米系ツーリストが求めるもの 本研究では、観光ホスト側として宿泊施設、中津川市役所観光課、観光協会、妻籠宿の町並み保存会、住民に聞き取り調査を行い、さらにメインの調査として観光ゲストである欧米系ツーリスト55組(80人)にアンケート及び聞き取り調査を行った。観光者に対しては、国籍や観光行動といった基本的情報だけではなく、彼らがこの場所に求める要素をなるべく細かく収集しデータを整理した。その結果、以下なようなことが明らかになってきた。 まず欧米系ツーリストの職業に特徴があり、全体(80人)のうち①弁護士や医師、研究者や教員といった知識的な階層(26人)、そして②デザイナーや建築家、IT技術者などクリエイティブクラスの観光者(16人)が多い。彼らの意識をみると「普通と違う観光」、「典型的なインバウンド・ツーリズムに無いもの」を旅に求めて中山道を来訪していた。また中山道を歩く欧米系ツーリストは「静けさ」や「穏やかさ」、「都会からの逃避(都会と違う場所)」を求めており、彼らが典型的なインバウンド地である日本の都市型観光の喧騒に疲弊し、静かな環境や自然に身を置きたいという欲求を山間部の街道を歩くことへと向けていることがわかる。彼らが街道を歩く観光で高く評価した点をみると、①「山並み」、「木々(森林)」、「川・滝」といった比較的日本人にはありふれた山間部の自然的要素、そして②「棚田(水田)」、「農村景観」、「農村の生活」、「本物の農村(とその体験)」といった日本の農村部で一般的に見られるようないわば「普通の」景観に魅力を見出していた。そしてこれらは移動手段を歩くことに限定することで得られる体験であると多くの観光者は評価をしていた。欧米系ツーリストが過度に観光地化しておらずかつ典型的な訪日観光には無い場所、そして都会に無い静けさや自然を歩くツーリズムに求めたか観光形態が中山道における歩くツーリズムといえる。
著者
呉羽 正昭
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100065, 2017 (Released:2017-10-26)

日本では,1990年代初頭までバブル期にスキー観光が著しく発展した。その時期,さらには高度経済成長期前後にも多くのスキー場開発がなされたが,1995年前後以降はスキー観光自体が著しく衰退している。その結果,スキー場や宿泊施設など,スキーリゾートの諸施設の経営は大きく悪化した。それゆえ,スキー場索道経営会社の変更が頻繁に生じたり,スキー場自体が休業や閉鎖に追い込まれる事例が多く発生している(呉羽 2017)。 こうした日本におけるスキーリゾート問題解決の救世主となったのは外国人スキーヤーの訪問である。スキーをめぐるインバウンド・ツーリズム発展の契機は,2000年前後に生じたニセコ地域でのオーストラリア人スキーヤーの増加である。その増加要因には雪質の良さや「9.11」以降の北米スキーリゾート滞在離れがあると言われている。その後,山形蔵王,妙高赤倉,野沢温泉,八方尾根などのスキーリゾートにもこの現象が派生した。宿泊施設の経営不振・廃業などが続いていたスキーリゾートでは,インバウンド・ツーリズムの発展にともなってさまざまな変化が生じている。本研究では,インバウンド・クラスターとしてのスキーリゾートにおける諸変化について複数事例の比較分析を通じて明確にする。さらには,インバウンド・ツーリズム発展による問題点について整理する。付記:本研究はJSPS科研費15H03274の助成を受けたものである。 文献 呉羽正昭 2017.『スキーリゾートの発展プロセス:日本とオーストリアの比較研究』二宮書店.
著者
川添 航 矢ケ﨑 太洋 玉 小 松山 周一 曾 宇霆 竹原 繭子 竹下 和希 益田 理広
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100107, 2017 (Released:2017-10-26)

日本の高度経済成長期における急激な経済発展は,数々の恩恵をもたらした。一方で,経済発展を支えた人口増加により,首都圏における都市の過密化が大きな課題となった。その解決策として,ニュータウンと呼ばれる大規模な住宅団地の開発が郊外部で積極的に行われた。しかし,これらのニュータウンはバブル崩壊以降,高齢化や空き家・空地の増加などの問題を抱えることになった。これらの問題を抱えたニュータウンの再編成の過程を捉えることは,今後の住宅団地の開発にとって重要である。本研究では,空地が卓越したニュータウンの再生に着目する。茨城県県南地域は首都圏の最縁辺部に位置しており,常磐線沿線を中心に様々な規模で宅地開発が行われた。対象地域である茨城県土浦市おおつ野地区は比較的後期に宅地開発が行われ,長期間の開発の停滞とその後の大規模医療機関の進出による宅地の再生を経験した。本研究ではおおつ野地区におけるニュータウン開発の事例から,人口減少期におけるニュータウンの再生の現状を考察することを目的とする。おおつ野地区は田村・沖宿土地区画整理事業によって開発が行われた。この造成事業は1990年に始まり,一括業務代行方式によって当時の川鉄商事(現JFE商事)が開発し,2000年に事業が完了した。しかし,事業完了はバブル崩壊以降であったことから,住宅用地の購入者は少なく,空地が目立つ状態であった。 そのような状況が転換したのが,2013年の土浦協同病院の移転の決定である。土浦協同病院は災害リスクが低いこと,街路やインフラが整備されていたこと,国道354号バイパス線の開通により,県南・鹿行各地域からのアクセスが向上したこと   などを理由に,移転先をおおつ野地区に決定した。 また,土浦協同病院の付属施設である保育園,看護専門学校,関係施設である薬局なども相次いでおおつ野地区へ移転した。加えて,土浦協同病院の移転の決定以降,不動産開発が再開し,スーパーマーケットやホームセンターなどの商業施設も地区内に進出した。土浦協同病院の移転以降,おおつ野地区には高齢者,医者,看護師などの転入が進み,2008年時点では200世帯ほどであったが,現在は約500世帯まで増加した。おおつ野地区では分譲開始以降に自治会が組織され,老人会,防災訓練,防犯パトロール,子供育成会などの活動を実施している。 一方で,急激な世帯の増加により活動が硬直化し,住民の関係性も希薄化していることが課題となっている。住民のおおつ野地区への転入動機として,良好な子育て環境,定年後の居住地,などがあげられる。また,職場は土浦市内や県内各地域に位置していた。住民は病院移転による商業施設やバスの便数の増加に恩恵を感じている一方で,中心市街で買い物を行うためそのような影響が少ないという意見もあった。
著者
吉村 健司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100096, 2017 (Released:2017-10-26)

周囲を海に囲まれた日本では、海洋生物を食糧資源に限らない多様な利用がなされ、また、それらを弔ってきた。 海洋生物に関する供養碑に関する研究はウミガメやクジラに関する多くの研究がある。また、ウミガメやクジラも網羅した水生生物全般に関しては田口ら(2011)の研究がある。田口らの研究では、全国の漁業協同組合などへのアンケートや文献資料などを利用しながら、計1,141基におよぶ供養碑が確認されている。そのなかで岩手県における供養碑は33基が確認された。 こうした供養碑は、多くは沿岸地域に建立されるケースが多い。岩手県沿岸地域は、2011年3月11日の東日本大震災の津波の影響を受けた地域である。よって、供養碑も大きな影響を受けた。 報告者は2017年4月より岩手県に拠点を移し、三陸におけるサケのプロジェクトに従事している。その過程で、地域と生き物の関係を見るひとつの指標として動物供養碑に着目している。田口らの研究をもとに、現地に足を運ぶなかで、新たな供養碑の存在が判明したり、津波の被害を受けた供養碑を再建されたり(されなかったり)、さらには、その供養碑の存在そのものが地域の中でほとんど認識されていないものも少なくない。このように、震災を契機に供養塔への眼差しが変化した事例も見られ、こうした信仰に対しても震災は影響を与えている。 岩手県内で確認できた供養碑の対象および数は、サケ(12基)、魚類(11基)、ウミガメ(7基)、クジラ(3基)、アワビ(1基)、イルカ(1基)、ウナギ(1基)、オットセイ(1基)、トド(1基)、ノリ(1基)、コイ(1基)、合計で11種、40基となっている。岩手県において最も多いのはサケの供養塔である。岩手県は北海道につぐサケの生産量を誇る、岩手県を代表する魚種である。また、サケの供養塔は建立されている場所に「孵化場」があるというのも他の供養塔とは異なる特徴的な点といえる。 供養塔は時代とともにその位置づけが変化している事例も見られる。例えば、重茂漁協内に建立されている魚霊塔は、魚霊塔建立当時はブリの供養塔であったが、その後、サケへと供養対象が変化している事例も見られ、地域におけるサケの位置づけが窺える。 東日本大震災による津波によって、沿岸部の供養塔が被害を受けたケースも見られる。茂師漁港に建立されていたサケの供養塔は津波によって流失した。また、地域内4カ所に分散して建立されていた神碑もあり、それも流失した。しかし、漁港内に供養塔と神碑を集中させ、慰霊祭を行うようになった。重茂漁協管内にはアワビの供養塔が存在しているが、津波によって流失した。しかし、流失した直後に供養塔が発見され、再建に向けて動いている。種市南漁協の有家川孵化場に建立されていたサケ供養塔も津波によって流失したが、孵化場の再建が済んだばかりで、供養塔の再建は行われていない。また、それに向けた動きも出ていないのが現状である。 震災後、沿岸部の供養塔は流失するケースが見られたが、すべてが再建されているわけではない。幸いにも供養塔が発見されたケースもあれば、そうでないケースもある。また、震災の復興の進捗状況や地域的な問題も影響している。本報告では、岩手県内の震災を経験した供養碑の現状について報告を行う。 【参考文献】 田口理恵、関いずみ、加藤登(2011)「魚類への供養に関する研究」、『東海大学海洋研究所研究報告』(32):pp.53-97
著者
山根 拓
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100105, 2017 (Released:2017-10-26)

前田正名は近代日本の産業地域形成に大きく寄与した人物である。彼はその生涯の前半に政府官僚の立場でわが国の地方在来産業の育成振興政策を牽引し、1890年頃に官職を辞して以降は民間の立場から全国の在来産業の指導、育成、振興に心血を注いだ。各地の在来産業振興を目指し、前田行脚と呼ばれる全国巡回指導を頻繁に行った。在来産業振興が国力増強に資するというのが、彼の見通しであった。前田は1890年頃から地方在来産業者の全国組織化を図るため、様々な全国的同業者組織の結成に乗り出す。五二会もその一つである。五二会は前田と京都の在来産業家らを中心に1894年に結成され、その名の五は織物、陶磁器、漆器、金属器、製紙を、二は雑貨、敷物を指す。これらは在来産業由来の伝統的美術工芸品である。五二会は全国各地の産物を一堂に会し、それらの高品質化、生産強化を図るための大規模な品評会であった。美術工芸品の品質向上とそれらの全国的生産流通構造の確立が我が国の輸出貿易振興をもたらし、国力増進を図ることが、五二会会頭の前田の目指すところであった。本報告では、五二会資料(正田1979)の分析を通じ、19世紀末のわが国の在来産業の地域形成や地域編成の実際的側面を解明したい。第1回五二会大会は、1894年4月に京都市で開催された。開会式で前田は、五二会の組織を通じた在来産業振興の論理を次のように展開した。国内在来産業主体が個別に事業を行う現状では当該産業は国際貿易市場での敗北は必至で、結果的に国力は減衰する。国産品が貿易市場で優位性を得るためには国内在来産業の全国的組織化が必要だ。その組織下で国内産地産品間の比較競争を行い国産品の質の向上を図るとともに、事業者の団結と製品輸出系統の統合により外国市場での競争を優位に進める必要がある。五二会はこれら国内産業の統合と団結の中核にある。では、五二会によって国内の在来産業空間はどのように編成されたのであろうか。図1に五二会の府県本部等の分布を示した。五二会中央本部は美術工芸品生産の中心であった京都にあり、各府県には府県本部、事業部、支部が置かれた。県本部等の立地は県庁都市が主だが、五二の在来産業発達地域に立地する場合も見られた。その分布は東北以北で少なく、関東以西(関東、東海、北陸、近畿、山陽、四国、九州)が主であった。この傾向は、旺盛な生産活動の地域指標とも見られる五二会への出品者数にも表れる。図2は、1895年に神戸で開催された第2回五二会大会への出品者の府県別分布を示す。近畿、東海と北部九州への偏在傾向がみられる。これは前田正名が重視した当時の輸出志向型在来産業の生産の卓越した地域を示すものと考えられる。図2の出品者数と出品商品の売却金額・売却点数の地域分布傾向は類似パターンを示すが、後者ではより京阪神、とくに京都への集中傾向が強い。図1と図2から、当時の輸出型在来産業発達の地域的傾向について、京都など関西中心の西日本優位の産業空間構造の存在が判る。五二会等を通じ、前田はこの空間構造を分散的形態から統合的形態へと変革するオーガナイザーの役割を果たそうとした。
著者
原 雄一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100074, 2017 (Released:2017-10-26)

明治5年に横浜-新橋間で鉄道が開通、全国に拡大した鉄道網は昭和に入ってピークを迎え、昭和の後半から平成にかけて、減少の一途をたどっている。廃線となった路線は、有効活用されている事例もあるが、そのまま放置されている路線も多い。本稿では、廃線跡の路線をクラウドGISによりスマートフォン等で表示させ、廃線跡の痕跡を巡る旅としてロストラインツーリズムを取り上げる。 廃線跡は建設途中の未成線も含めると、膨大な数になる。鉄道発祥の地、イギリスでは廃線の活用を動態保存(実際に列車を運行)する先進的な事例が多いが、日本では廃線跡への認識がそこまで至っていないのが現状である。 廃線跡を巡る旅の醍醐味として、時間を超えての空間想像力が必要とされ、周辺の地形・地物から「おそらくここを通過していたのではないか」、という不確定な雰囲気から、はっきりとした痕跡を確認したときの爽快感などが挙げられる。さらに、その鉄道がなぜ建設され、どのように運営され、どのような経緯で廃線にいたったかの鉄道史を知ることができれば、地域のたどってきた歴史の理解に繋がることが期待できる。 地域の中で廃線跡をどう活かすかは重要な課題である。関心を持った時に、どこに廃線跡があるのか、自分のスマートフォンで表示できれば、廃線跡を歩くという行動に繋がりやすい。正確な廃線跡が表示されることで、廃線跡をたどるロストラインツーリズムの基本形が成立する。本稿でのクラウドGISはこのような行動を支援するものである。膨大な廃線跡をクラウドGISに格納し、スマートフォン、タブレットあるいはウォッチに表示させる試みをスタートした。
著者
小島 大輔
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100178, 2017 (Released:2017-10-26)

日本では,近年「インバウンド・バブル」と呼ばれるほど外国人観光者数が増大している。この動向は日本全国の観光地で注目され,市場化を目的として外国人観光者の行動パターンの詳細な把握が試みられている。 ところで,戦後日本の外国人観光者は一様に増大してきたのではない。1960年代,1970年代半ば~1980年代半ば,1980年代半ば~1990年代半ば,1990年代半ば~2000年代末,および2010年代以降といったような段階的な増大を示している。 これらの長期的な発展段階については,外国人観光者に関する全国的な統計データの整備が遅れたため,その行動パターンの空間的特徴やその時間的変化を国土スケールで検討することはなされていない。 そこで,本研究では,外国人入国者のゲートウェイの変遷から,日本におけるインバウンド・ツーリズムの時間的・空間的な発展傾向について検討する。 ゲートウェイという視点から分析する理由は以下の通りである。 まず,前述したように,外国人観光者の行動パターンの空間的特徴を長期的に比較検討可能な統計データが存在しないことがあげられる。そこで,本研究では,法務省『出入国管理統計年報』の港別入国・出国外国人に関する統計を使用した。電子化されていないものはデータベース化し,1961~2015年までの55年間の数値について分析を試みた。 また,観光者数の長期的な変動については,地理学では伝統的に観光地のライフサイクル(Tourism Area Life Cycle:TALC)という視点で検討がなされてきた。しかし,長期的な観光者数の変化とゲートウェイの変動という関係について検討した研究はほとんどない。 さらに,国籍別に出入国両ゲートウェイの関係を分析することによって,国籍別の日本国内の行動パターンの空間的特徴を抽出することが可能である。すなわち,入国港―出国港の関係を検討することで日本国内でのルートを類推することができる。 以上のことから,本研究は,近年増大する外国人観光者の集中する地域(インバウンド・クラスター)が発生する背景,およびそれら特定の地域における行動パターンを説明に寄与することも想定している。 各発展段階を通して,ゲートウェイは一様に発展しておらず,各発展段階においてその構成が大きく変化していることが明らかになった。ゲートウェイは,インフラ整備の影響によって,まず東京への集中および地域的ゲートウェイの出現による多極化が進展していった。続いて,「ゴールデン・ルート」に代表される「定番ルート」の形成によって,さらに多極化の特徴が強くなった。その後,「定番ルート」からのトリクルダウン,チャーター便を利用したツアー,特定の観光対象の出現・衰退,およびクルーズ船寄港などによって多様化が生じていった。 なお,これらの特徴は,外国人の国籍によって大きく異なっていることも明らかになった。欧米からの観光者のゲートウェイは,東京への集中傾向が強く,発展段階を通じてその変化も小さかった。一方,東アジアからの観光者のゲートウェイについては,入国者数の増大に伴い多様化が進展していったこと,および国籍別に集中するゲートウェイが異なることが明らかになった。   付記:本研究はJSPS科研費15H03274の助成を受けたものである。