著者
益田 理広
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.88, no.4, pp.363-385, 2015-07-01 (Released:2019-10-05)
参考文献数
88

地理学はしばしば「空間の学」と称される.これは斯学が空間なる概念を根本対象あるいは方法,すなわち理論上の基礎として遇していることを意味するが,その重用とは裏腹に,現今の地理学的空間は確乎たる意義を失し,ただその名のみが無数の概念を覆う事態に陥っている.本研究は,この空間概念の混乱という理論上の危機を打開すべく,事物の本質的な結果のみを重んじるプラグマティズムに範を取り,演繹法を用いた分析によって地理学的空間概念の一般的性格を見出した.その際には,空間に関する古典論から基本的な4類型を示し,中でも地理学理論に深く関係する3類型を分析した.結果,地理学においては空間を物質そのものとみなす傾向が甚だ強く,加えてそれらの大半が可視的な性質を伴っていることが理解された.さらに,この一般的性格が,空間論の興隆と同時期に衰微したラントシャフト概念と共通する特徴をもつ,一種の後継概念と目される点についても指摘した.
著者
益田 理広 Michihiro MASHITA
出版者
Japan Association on Geographical Space
雑誌
地理空間 = Geographical space (ISSN:18829872)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.19-46, 2018-06-20

地理学の語源たる「地理」の語は五経の一,『易経』を典拠とする。『易経』は哲学書としての性格を有し,「地理」の語義についてもその注釈を通し精緻な議論が展開されている。本稿は,初期の「地理」注釈である唐宋の所説を網羅し,東洋古来の「地理」概念がいかなる意味を以て理解され,かつどのように変遷したのかを明らかにしたものである。唐代における最初期の「地理」には,地形や植生間の規則的な構造とする孔穎達,及び知覚可能な物質現象たる「気」の下降運動とする李鼎祚による二説が存在する。続く宋代には「地理」の語義も複雑に洗練され,次のような変遷を経る。即ち,「地理」を(1)位置や現象の構造とする説,(2)認識上の区分に還元する説,(3)形而上の原理の現象への表出とする説,(4)有限の絶対空間とする説の四者が相次いで生まれたのである。これら多様な「地理」の語義は,東洋地理学および地理哲学の伝統の一端を開示する好資料といえる。Di-Li ( 地理)”, supposed to be the word origin of “geography,” is authentically based on the “Yi-Jing (Book of Changes),” one of the “Five-Classics” of Confucianism. This metaphysical book has predominated in Chinese philosophy and other sciences for more than two thousand years since published. Confucians, therefore, always have relied on commentaries on this book when they defined the concept of “Di-Li.” The oldest definition of this word was noted during the Tang dynasty (618 - 907 ). This paper surveys all the relevant commentaries about “Book of Changes,” written until the Song (960 - 1279 ) period, in order to clarify how the “Di-Li,” the concept of geography in East Asia, was understood over time and how those commentaries were formed.First, we discuss the earliest two types of definition of the “Di-Li” that was written in the Tang period: Kong Ying-da (孔穎達) considered the “Di-Li” as an orderly “structure” in landforms and vegetation; Li Ding-zuo ( 李鼎祚) regarded the “Di-Li” as a kind of atmospheric vertical circulation which is sensible in our “cognition”. Next, we analyze the commentaries on Yi-Jing written in the Song period. In this period, following four types of theories about a definition of the “Di-Li” were provided: (1 ) “structure” as abstract positional relations; (2 ) “cognition” as a basis of an idealistic classification criterion; (3 ) “phenomenon” as an incarnation of a metaphysical principle; (4 ) “space” that is absolute but finite. These diverse definitions of the “Di-Li” provided during Tang-Song period preserve certain aspects of philosophy of traditional Chinese geography.
著者
益田 理広 Mashita Michihiro
出版者
琉球大学国際地域創造学部地域文化科学プログラム
雑誌
地理歴史人類学論集 = Journal of geography, history, and anthropology (ISSN:21858535)
巻号頁・発行日
no.10, pp.119-132, 2021

本研究は儒学的「正名」の伝統を範とする所謂シェーファー対ハーツホーン論争の中心概念,「空間関係」並びに「地域」の仔細な検証である.前編たる本稿では,両概念及びシェーファー,ハーツホーン両氏の理論に関する既往の解釈に就て,その系譜を確認するとともに,各解釈に存する問題を剔出した.同論争に対する解釈には,主として①"空間を重視するシェーファー"と"場所に固執するハーツホーン"の対立として図式的に捉える者,②両氏の対立の原因を空間概念理解の哲学的相異に求める者,③両氏を新旧地理学の潮流の代表と考え,各々の美点に於ける融合を奨める者,④既に確定的な学史の一部として記述する者の四者が認められるが,孰れにも素朴な誤解と自説への付会が介在し,為めに混乱を来している.殊にハーツホーンに関する解釈は各論ともに不正確であり,両氏の著作そのものに即した「正名」が必須であることが自ずから知られるのである.
著者
益田 理広
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

1.研究の背景と目的 地理学という分野に冠された「地理」なる語が,五経の第一である「易経」,詳しく言えば,古代に記された「周易」本文に対する孔子の注釈である「十翼」中の一篇「繋辭上傳」に由来することは,漢字文化圏において著されたいくつもの地理学史や事典にも明記された,周知の事実である.しかし,その「地理」はいかなる意味を持つのか,何故地理学の語源となり得たのか,といった概念上の問題については,余り深く注視されてはこなかった.確かに,「繋辭上傳」の本文には「仰以觀於天文,俯以察於地理」とあるのみで,そこからは「天文」と対置されていること,「俯」して「察」るという認識の対象となっていることが読み取られるばかりである.それ以上の分析は,「地」「理」の二字の意味を知るよりほかはないであろう.「土地ないしは台地のすじめであり,大地における様々な状態つまり「ありよう」を指したもの」(海野,2004:44)「地の理(地上の山川で生み出される大理石や瑪瑙の筋目のような形状)」(『人文地理学事典』,2013:66)といった定義はまさに字義に依っている.辻田(1971:52,55)も「易経でいう地理をただちに今日的意味で理解するのはやや早計」としながらも,「古典ギリシャ時代の造語であるゲオーグラフィアに相当する地理という文字」とする.また,海野は後世における「地理」の使用例から,客観的な地誌的記述と卜占的な風水的記述をあわせ持った,曖昧模糊たる概念とも述べている. それでは,この「地理」なる語は古代より明確に定義されぬままであったのであろうか.実際には,「地理」の語義は「周易」に施された無数の注釈において様々に論じられてきた.そしてその注釈によって「地理」を含む経典中の語が理解されていたのも明らかであり,漢字文化圏においてgeographyが「風土記」ではなく「地理学」と訳された要因もこうした注釈書に求められよう. 中国の研究においてはそれが強く意識されており,胡・江(1995)は「周易」の注釈者は三千を超えるとまで言い,「地理」についても孔頴達の「地有山川原隰,各有條理,故稱理也」という注に従いながら「大地とその上に存在する山河や動植物を支配する法則」を「地理」の語義としている.また,于(1990)や『中国古代地理学史』(1984)もやはり孔頴達に従っている.ただし,孔頴達の注は唐代に集成された古典的なものであり,「地理」に付された限定的な意味を示すものに過ぎない.仮にも現代の「地理学」の語源である「地理」概念を分析するのであれば,その学史的な淵源に遡る必要があろう.そしてその淵源は少なくとも合理的な朱子学的教養を備えた江戸時代の儒学者に求められる(辻田,1971).「地理学」なる語も,西洋地理書の翻訳も,皆このような文化的基礎の上でなされたものなのである.従って,現代に受け継がれた「地理学」の元来の概念範囲は,この朱子学を代表とする思弁的儒学である宋学における「地理」の語義を把握しない限りは分明たりえないであろう.以上より,本研究では,宋学における「地理」概念の闡明を目的として,宋代までに撰された「周易」注釈書の分析を行う. 2.研究方法 主として『景印 文淵閣四庫全書』(1983) 經部易類に収録されたテキストを対象とし,それらの典籍に見出される「地理」に関わる定義を分析する.また,上述のように「地理」は「天文」と対をなす語であるため,この「天文」の定義に関しても同様に分析する.なお,テキストは宋代のものを中心とし,その背景となる漢唐の注釈も対象とする. 3.研究結果 「天文」および「地理」なる語に対する古い注釈としては王充の論衡・自紀篇の「天有日月星辰謂之文,地有山川陵谷謂之理」および班固の漢書・郊祀志の「三光,天文也…山川,地理也」がある.周易注釈書としては上述の孔頴達の疏が最も古く,これは明らかに上記二者や韓康伯の系譜にあり,「天文地理」は天上地上の物体間の秩序を表すに過ぎない.ところが,宋に入ると,蘇軾は『東坡易傳』において,天文地理を「此與形象變化一也」と注し,陰陽が一氣であることであるという唯物論的な解釈を行い,朱熹は「天文則有晝夜上下,地理則有南北高深」と一種の時空間として定義するなど,概念の抽象化が進んでいく. 【文献】 于希賢 1990.『中国古代地理学史略』.河北科学技術出社.海野一隆 2003.『東洋地理学史研究・大陸編』 .清文堂. 胡欣・江小羣 1995.『中國地理學史』. 文津出版. 人文地理学会編 2013.『人文地理学事典』.丸善書店. 中国科学院自然科学史研究所地学史組 主編 1984.『中国古代地理学史』. 科学出版社. 辻田右左男 1971.『日本近世の地理学』.柳原書店.
著者
益田 理広
出版者
地理空間学会
雑誌
地理空間 (ISSN:18829872)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.79-91, 2012 (Released:2018-04-11)

本研究の目的は「シュルレアリスム文学」である安倍公房『壁』を用い,その舞台となる都市に対する著者自身の地理的イメージを明らかにすることにある。シュルレアリスム文学は作為を極限まで除去するという特質を有するために,文学作品の分析においてより純粋な地理的イメージを得ることができると期待される。『壁』の分析に際しては機械的に「都市空間要素」に該当する語句を抽出し,その種類と出現数によって,そこに見出される都市イメージを確認した。この「都市空間要素」は,大きく3 つのカテゴリーに分かれており,各々のカテゴリーへの該当数によって都市イメージ解釈を可能とする。更にこの結果を,本作の主要概念の意味と関連させて解釈した。また,都市イメージを得た後には『壁』中の主要な概念の関係図を作成した。まず語句抽出分析の結果を述べると,語句数は合計977 個で特に灯火や光に関係するカテゴリーや固有地名のカテゴリーに該当する語句が少なく,そこから抽象的・匿名的な都市イメージが存在することが予想された。これに場面ごとの分析を施し,屋内に語句が集中することや語句数の少ない場面と多い場面が交互に現れることも明らかにした。その後,頻出語句や作中における「壁」「身の回り品」といった主要概念の意味解明を行い,『壁- S・カルマ氏の犯罪』における都市イメージの中心には「人間=壁」と「都市=世界」の対立が認められること,その周縁にはそれを象徴するかのような「砂丘」での「壁」の成長や都市社会的な「身の回り品」の反抗が存在することを示した。更に,それらのイメージの核として「拘束」「遮断」が内在していることを明らかにした。
著者
卯田 卓矢 益田 理広 金 錦 細谷 美紀 久保 倫子 松井 圭介
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.120, 2013 (Released:2013-09-04)

北陸地方は「真宗王国」とも称されるように浄土真宗(以下,真宗)の篤信地帯として知られている.真宗は「講」を基盤とした集団活動を通して教線を拡大させたといわれるが,北陸においても小地域単位での講の組織化が信仰を拡大,あるいは持続させていく上で大きな役割を果たした. 他方で,講のような信仰集団は,精神的な結びつきを生むだけでなく,村落の社会構造を反映し,村落社会の秩序や成員相互の紐帯を維持・強化する機能も有している.真宗の講組織においても,庚申講や山の神講などの信仰的講と同様に,村落社会と構造的に結びつていることが指摘されてきた.宇治(1996)は,村落の社会構造が寺御講や村御講の基盤となり,かつ講組織の維持にも深く関係すると述べている.また,宇治は村落構造を分析する視点として,集落内の階層性や血縁関係,社会組織などに着目している. そこで,本研究ではこの視点を踏まえ,富山県下新川郡入善町の道市地区を事例に,当地区の血縁・同族関係,社会組織との関係性から,講組織の構造とその持続性について明らかにすることを目的とする. 入善町道市地区は市街地の入膳地区から1kmほど西に位置し,人口は241人である(2012年9月現在).住民によると,ここ50年の間に当地区へ転入したのは2世帯のみであり,新住民が僅少であることが地区の特徴の一つといえる. 道市地区の社会組織は班,及び地区を単位とする組織から構成される.班は同族関係を基盤に形成され,冠婚葬祭などの諸行事において顕著に結びつく.一方,地区の組織は自治会と各種団体が存在し,住民は年齢ごとに地区の様々な行事の運営,維持に携わる.こういった活動は地区の伝統や文化を継承することの重要性を自然と吸収し,道市住民としての自覚を養うことに寄与している. 次に真宗の講組織について見ると,当地区では住民のほとんどが大谷派,及び本願寺派の門徒である.講組織は寺御講,村御講,報恩講が存在し,地区内の門徒はいずれの講にも積極的に参加している.その中で,村御講は毎月大谷派と本願寺派の門徒が合同で営み,講の当番は各戸の戸主が担当し,当番と同じ班の戸主の参加が慣例となっている.ここからは,班と深く結びつく形で村御講が営まれていることがわかる. 以上を踏まえ,講組織(村御講)の構造とその持続性について検討すると,村御講は班との構造的な関係性,班及び地区の社会組織の活動を通した住民意識,また真宗門徒が多数を占め,かつ新住民の僅少といった道市地区の地域性が重層的に結びつく中で,現在に至るまで維持されていることが確認できる. 当地区を含む北陸地方では真宗の篤信地帯という特性から,講組織の維持に対して信仰や宗教的側面に関心が向けられることが少なくなかったが,こういった地域の社会構造との関係についても注視する必要があると考えられる.
著者
益田 理広 碓井 建哉 川村 一希 久保 尭史 柳 鍇
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2013年人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.68-69, 2013 (Released:2014-02-24)

東京大都市圏辺縁部の居住者に対する、主としてメンタルマップを用いた地理的な帰属意識と空間認識の分析に関する発表。
著者
益田 理広 秋山 祐樹
出版者
地理空間学会
雑誌
地理空間 (ISSN:18829872)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.1-26, 2020

本研究は近年顕著に関心の高まる空き家に関する研究の動向について,特に和文文献に焦点を絞り,その展望を試みたものである。本研究では,まず空き家研究全体の盛衰を探るべく空き家に関連する論文の発表数の経年推移を追い,次いで研究対象となる地域,主として空き家を研究する学術領域,および各個の研究の使用する統計の種類についてそれぞれ分析した。更に,各個の研究の採用する調査と分析の手法について,その採用数と採用率を明らかにした上で評価を行った。その結果,2019年現在において空き家研究は質,量の両面に最盛期を迎えており,研究方法の面では計算機による特定指標の緻密な分析に重きが置かれ,建築学や都市工学の長所を有する一方で,自然環境から社会条件に及ぶ総合的分析の不足が指摘された。そこで,本研究は,地域のような総合的対象の分析に適する地理学的観点の導入によって,研究状況の学際的補完を提言するものである。
著者
矢ケ﨑 太洋 竹下 和希 松山 周一 川添 航 竹原 繭子 曾 宇霆 玉 小 益田 理広
出版者
Association of Human and Regional Geography, University of Tsukuba
雑誌
地域研究年報 = Annals of Human and Regional Geography (ISSN:18800254)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.75-103, 2018-04

日本の高度経済成長期に「ニュータウン」と呼ばれる新興住宅地が郊外地域で多数形成された.今日,ニュータウンの課題として住民の高齢化や空き区画の増加などが指摘され,ニュータウンの再開発や再生が求められている.そこで本研究は,土浦協同病院の移転によって発展が加速する茨城県土浦市おおつ野を対象に,ニュータウンの再開発について考察した.聞き取りおよびアンケート調査を実施して,おおつ野の開発史,土浦協同病院の移転経緯,住民のライフコースと日常生活の変化を明らかにする.茨城県南部におけるニュータウンは,バブル崩壊後の都心回帰の傾向が強まる中で,東京大都市圏の郊外としての機能が低下し,地方都市の郊外として戸建住宅の用地を供給する役割を持つように変化した.その結果,おおつ野では空き区画が増加したが,土浦協同病院の移転により,商業施設が立地し,生活環境が改善され,ニュータウンとしての再発展が始まった.
著者
川添 航 矢ケ﨑 太洋 玉 小 松山 周一 曾 宇霆 竹原 繭子 竹下 和希 益田 理広
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100107, 2017 (Released:2017-10-26)

日本の高度経済成長期における急激な経済発展は,数々の恩恵をもたらした。一方で,経済発展を支えた人口増加により,首都圏における都市の過密化が大きな課題となった。その解決策として,ニュータウンと呼ばれる大規模な住宅団地の開発が郊外部で積極的に行われた。しかし,これらのニュータウンはバブル崩壊以降,高齢化や空き家・空地の増加などの問題を抱えることになった。これらの問題を抱えたニュータウンの再編成の過程を捉えることは,今後の住宅団地の開発にとって重要である。本研究では,空地が卓越したニュータウンの再生に着目する。茨城県県南地域は首都圏の最縁辺部に位置しており,常磐線沿線を中心に様々な規模で宅地開発が行われた。対象地域である茨城県土浦市おおつ野地区は比較的後期に宅地開発が行われ,長期間の開発の停滞とその後の大規模医療機関の進出による宅地の再生を経験した。本研究ではおおつ野地区におけるニュータウン開発の事例から,人口減少期におけるニュータウンの再生の現状を考察することを目的とする。おおつ野地区は田村・沖宿土地区画整理事業によって開発が行われた。この造成事業は1990年に始まり,一括業務代行方式によって当時の川鉄商事(現JFE商事)が開発し,2000年に事業が完了した。しかし,事業完了はバブル崩壊以降であったことから,住宅用地の購入者は少なく,空地が目立つ状態であった。 そのような状況が転換したのが,2013年の土浦協同病院の移転の決定である。土浦協同病院は災害リスクが低いこと,街路やインフラが整備されていたこと,国道354号バイパス線の開通により,県南・鹿行各地域からのアクセスが向上したこと   などを理由に,移転先をおおつ野地区に決定した。 また,土浦協同病院の付属施設である保育園,看護専門学校,関係施設である薬局なども相次いでおおつ野地区へ移転した。加えて,土浦協同病院の移転の決定以降,不動産開発が再開し,スーパーマーケットやホームセンターなどの商業施設も地区内に進出した。土浦協同病院の移転以降,おおつ野地区には高齢者,医者,看護師などの転入が進み,2008年時点では200世帯ほどであったが,現在は約500世帯まで増加した。おおつ野地区では分譲開始以降に自治会が組織され,老人会,防災訓練,防犯パトロール,子供育成会などの活動を実施している。 一方で,急激な世帯の増加により活動が硬直化し,住民の関係性も希薄化していることが課題となっている。住民のおおつ野地区への転入動機として,良好な子育て環境,定年後の居住地,などがあげられる。また,職場は土浦市内や県内各地域に位置していた。住民は病院移転による商業施設やバスの便数の増加に恩恵を感じている一方で,中心市街で買い物を行うためそのような影響が少ないという意見もあった。
著者
益田 理広
出版者
地理空間学会
雑誌
地理空間 (ISSN:18829872)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.19-46, 2018 (Released:2018-12-20)
参考文献数
21

地理学の語源たる「地理」の語は五経の一,『易経』を典拠とする。『易経』は哲学書としての性格を有し,「地理」の語義についてもその注釈を通し精緻な議論が展開されている。本稿は,初期の「地理」注釈である唐宋の所説を網羅し,東洋古来の「地理」概念がいかなる意味を以て理解され,かつどのように変遷したのかを明らかにしたものである。 唐代における最初期の「地理」には,地形や植生間の規則的な構造とする孔穎達,及び知覚可能な物質現象たる「気」の下降運動とする李鼎祚による二説が存在する。 続く宋代には「地理」の語義も複雑に洗練され,次のような変遷を経る。即ち,「地理」を(1)位置や現象の構造とする説,(2)認識上の区分に還元する説,(3)形而上の原理の現象への表出とする説,(4)有限の絶対空間とする説の四者が相次いで生まれたのである。 これら多様な「地理」の語義は,東洋地理学および地理哲学の伝統の一端を開示する好資料といえる。
著者
益田 理広
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100234, 2015 (Released:2015-04-13)

1.研究の背景と目的 地理学という分野に冠された「地理」なる語が,五経の第一である「易経」,詳しく言えば,古代に記された「周易」本文に対する孔子の注釈である「十翼」中の一篇「繋辭上傳」に由来することは,漢字文化圏において著されたいくつもの地理学史や事典にも明記された,周知の事実である.しかし,その「地理」はいかなる意味を持つのか,何故地理学の語源となり得たのか,といった概念上の問題については,余り深く注視されてはこなかった.確かに,「繋辭上傳」の本文には「仰以觀於天文,俯以察於地理」とあるのみで,そこからは「天文」と対置されていること,「俯」して「察」るという認識の対象となっていることが読み取られるばかりである.それ以上の分析は,「地」「理」の二字の意味を知るよりほかはないであろう.「土地ないしは台地のすじめであり,大地における様々な状態つまり「ありよう」を指したもの」(海野,2004:44)「地の理(地上の山川で生み出される大理石や瑪瑙の筋目のような形状)」(『人文地理学事典』,2013:66)といった定義はまさに字義に依っている.辻田(1971:52,55)も「易経でいう地理をただちに今日的意味で理解するのはやや早計」としながらも,「古典ギリシャ時代の造語であるゲオーグラフィアに相当する地理という文字」とする.また,海野は後世における「地理」の使用例から,客観的な地誌的記述と卜占的な風水的記述をあわせ持った,曖昧模糊たる概念とも述べている. それでは,この「地理」なる語は古代より明確に定義されぬままであったのであろうか.実際には,「地理」の語義は「周易」に施された無数の注釈において様々に論じられてきた.そしてその注釈によって「地理」を含む経典中の語が理解されていたのも明らかであり,漢字文化圏においてgeographyが「風土記」ではなく「地理学」と訳された要因もこうした注釈書に求められよう. 中国の研究においてはそれが強く意識されており,胡・江(1995)は「周易」の注釈者は三千を超えるとまで言い,「地理」についても孔頴達の「地有山川原隰,各有條理,故稱理也」という注に従いながら「大地とその上に存在する山河や動植物を支配する法則」を「地理」の語義としている.また,于(1990)や『中国古代地理学史』(1984)もやはり孔頴達に従っている.ただし,孔頴達の注は唐代に集成された古典的なものであり,「地理」に付された限定的な意味を示すものに過ぎない.仮にも現代の「地理学」の語源である「地理」概念を分析するのであれば,その学史的な淵源に遡る必要があろう.そしてその淵源は少なくとも合理的な朱子学的教養を備えた江戸時代の儒学者に求められる(辻田,1971).「地理学」なる語も,西洋地理書の翻訳も,皆このような文化的基礎の上でなされたものなのである.従って,現代に受け継がれた「地理学」の元来の概念範囲は,この朱子学を代表とする思弁的儒学である宋学における「地理」の語義を把握しない限りは分明たりえないであろう.以上より,本研究では,宋学における「地理」概念の闡明を目的として,宋代までに撰された「周易」注釈書の分析を行う. 2.研究方法 主として『景印 文淵閣四庫全書』(1983) 經部易類に収録されたテキストを対象とし,それらの典籍に見出される「地理」に関わる定義を分析する.また,上述のように「地理」は「天文」と対をなす語であるため,この「天文」の定義に関しても同様に分析する.なお,テキストは宋代のものを中心とし,その背景となる漢唐の注釈も対象とする. 3.研究結果 「天文」および「地理」なる語に対する古い注釈としては王充の論衡・自紀篇の「天有日月星辰謂之文,地有山川陵谷謂之理」および班固の漢書・郊祀志の「三光,天文也…山川,地理也」がある.周易注釈書としては上述の孔頴達の疏が最も古く,これは明らかに上記二者や韓康伯の系譜にあり,「天文地理」は天上地上の物体間の秩序を表すに過ぎない.ところが,宋に入ると,蘇軾は『東坡易傳』において,天文地理を「此與形象變化一也」と注し,陰陽が一氣であることであるという唯物論的な解釈を行い,朱熹は「天文則有晝夜上下,地理則有南北高深」と一種の時空間として定義するなど,概念の抽象化が進んでいく. 【文献】 于希賢 1990.『中国古代地理学史略』.河北科学技術出社.海野一隆 2003.『東洋地理学史研究・大陸編』 .清文堂. 胡欣・江小羣 1995.『中國地理學史』. 文津出版. 人文地理学会編 2013.『人文地理学事典』.丸善書店. 中国科学院自然科学史研究所地学史組 主編 1984.『中国古代地理学史』. 科学出版社. 辻田右左男 1971.『日本近世の地理学』.柳原書店.