著者
末次 信行 千里金蘭大学 教養教育センター
巻号頁・発行日
no.16, pp.133-146,

1965年、貝塚茂樹は「甲骨文と金文の書体」というテーマで、殷代後期の書体の変遷について一説を提起する。甲骨文の書風の変化は、最終的に筆写体へ向かい、鹿頭文字と殷代後期の金文は、より筆写体の原物に近いものがあり、さらに筆写体をもとに金文の書体は分化し変化したと結論した。つまり、当時の「識字」者たちの標準的書体は、筆写体であり、「甲骨文と金文の書体」の基底には、筆写文字が常に意識されていたとした。本稿は、この貝塚説を踏襲し、その後の考古学的発掘による成果を加えて、周初までの筆写文字の系譜について述べたものである。
著者
末次 信行 Nobuyuki Suetsugu 千里金蘭大学 教養教育センター
巻号頁・発行日
vol.13, pp.169-173,

殷代武丁期(前1250~前1192※)に突然出現する「卜辞」について、その出現の歴史的経緯を検討したものである。そのうえで、城郭が無いという、当時の都市としての殷墟の欠陥を、「卜辞」の「盟約的機能」が代替する役目を果たし、神聖封建王朝として、あるいは戦士国家として発展する基礎を築いたという仮説を提出する。※この年代については『中国歴史紀年手冊』(気象出版社、2002年)による。一応の目安で絶対的なものではない。