著者
李 元重 Wonjung Lee
出版者
同志社大学
巻号頁・発行日
2016-03-20

日本基督教会は1904年、大韓帝国で植民活動をしていた日本人を対象に伝道を開始した。1915年朝鮮中会を建設し、1941年日本基督教団朝鮮教区として他の在朝鮮日本人教会と合同するまで16前後の教会、約2,000人の信徒を有した。一部の例外を除いて朝鮮人に対する伝道や隣人愛の活動はできず、主に植民者の教会としての限界を乗り越えることはできなかった。敗戦後、日本人キリスト者は引き揚げたが、残した礼拝堂などは韓国教会の再建の土台の一部にもなった。
著者
李 元重 Wonjung Lee
出版者
同志社大学人文科学研究所
雑誌
キリスト教社会問題研究 = The Study of Christianity and Social Problems (ISSN:04503139)
巻号頁・発行日
no.65, pp.43-78, 2016-12-22

1904年旧日本基督教会が朝鮮半島の日本人を中心に伝道を開始した以来、日本の敗戦まで朝鮮半島の日本人教会の数は最大50、その信徒は5400人を超えていた。戦後、すべての日本人信徒は日本に引き揚げたが、彼らが使っていた教会の礼拝堂と牧師館などは、解放後教会の再建を試みていた朝鮮の牧師とキリスト者の一部が伝道を開始するか、あるいは既存の教会の再出発の土台になることができた。韓国の草洞教会と日本の青山教会は、それがきっかけでエキュメニカル宣教を展開した。
著者
李 元重 リ ウォンジュン Lee Wonjung
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.76, no.1, pp.103-121, 2014-06

論文(Article)日本基督教会は、1904年釜山より在朝日本人を対象にして朝鮮伝道を開始した。伝道は在朝日本人が多い町を中心に進展して、1915年朝鮮中会が建設された。植民地における教会として営みに困難があったものの、教勢は1930年まで8独立教会、4伝道教会、4伝道所、会員は2,000名近く伸びた。朝鮮の3.1独立運動の際には、相対的に日本帝国の無断統治を批判したこともあったが、在朝日本人教会の信徒はそもそも植民地支配の支配層であり、その政策の実行者であった。The Church of Christ in Japan (CCJ) inaugurated the Korea mission at Pusan in 1904, mainly for the Japanese in colonial Korea. They expanded their mission to the cities where Japanese towns are located. They could establish "Chosen Presbytery" in 1915. Located in alien colony, they had difficulties in managing churches. However, they could increase to 8 self-supported, 4 half-supported and 4 dependent churches with almost 2000 members by 1930. During the 3.1 Independence Movement in 1919, the CCJ in Korea criticized the Japanese military rule, which was very limited though. The members of CCJ in Korea were of the ruling class and took active role in Japanese colonial rule.