著者
村上 公子
出版者
早稲田大学
雑誌
早稲田大学人間科学研究 (ISSN:09160396)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.109-127, 2003-03-31

エーリカ・マン(1905-1969)は19世紀終盤から20世紀前半、ドイツ語で執筆する世界的な作家として名声を博したトーマス・マン(1875-1955)の長女である。彼女はヴァイマル共和国時代、一歳年下の弟クラウス・マン(1906-1949)と共に、「退廃的」なヴァイマル・ドイツ期の若者の典型のような生活を送っていたが、ナチズムの台頭が明らかになるにつれ、これに対する抵抗の姿勢を次第に明確にし、1933年1月にはミュンヒェンで政治的な文学カバレット「胡椒挽き」を旗揚げする。活動の自由を求めて同年3月にはスイスに亡命、9月にはスイスで「胡椒挽き」を再結成し、1936年までヨーロッパ各地を巡演した。1937年「胡椒挽き」のアメリカ公演失敗後、エーリカはアメリカ合衆国に残り、講演、および執筆によって生活を立てると同時に、アメリカの世論を反ヒトラー・ドイツに向けさせるべく力を注いだ。アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦した後は、従軍記者となり、連合軍のノルマンディー上陸、あるいはアメリカ軍のドイツ西部占領、さらには終戦後のニュルンベルクにおける軍事法廷の取材、報道を行っている。戦後、亡命知識人の少なからぬ部分が(東西を問わぬ)ドイツに帰国しなかったが、その中でもエーリカとクラウスのマン姉弟のドイツに対する批判的な態度は目立っている。本論考後半では、エーリカの残した著作、原稿における一人称複数の代名詞類の使用法を手がかりに、エーリカ・マンの自己理解の変化を明らかにしようと試みた。まだ調査数は少ないが、アメリカヘの移住当初、圧倒的に「ドイツ人」「移民」の意味で用いられていた一人称複数代名詞が、従軍をきっかけに「連合国民」「アメリカ人」を意味するようになっているという傾向は明らかである。