1 0 0 0 李煜

著者
村上哲見注
出版者
岩波書店
巻号頁・発行日
1959

1 0 0 0 三体詩

著者
村上哲見 著
出版者
朝日新聞社
巻号頁・発行日
vol.下, 1967
著者
三浦 秀一 中嶋 隆藏 熊本 崇 山田 勝芳 安田 二郎 花登 正宏 中嶋 隆蔵 寺田 隆信 村上 哲見 三浦 秀一
出版者
東北大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1993

中世から近世にいたる旧中国の知識人が営んでいた知的活動の諸相を、文献実証額的手法に基づきつつ分析することにより、中国知識人の精神構造が歴史的にどう展開したかについて、総括的な理解と具体的な知見とを獲得することができた。成果の概略は、以下のとおりである。中国中世の仏教界を俯瞰すれば、有に執らわれず、無に陥らず、空有相即を旨とする理行二入の立場が、それに相対立する旧学の側からの、教学を軽んじ戒律を無みするものだとの激しい攻撃と、無なる心をつかみさえすれば形ある修道などどうでもよいとの甘い誘惑とを受けつつも、それらいずれにも屹然とした態度を堅持しつつ困難な歩みを踏み出した、といった構図にまとめることができる。そして、この対立の構図は、その後、一般知識人の精神生活に決定的な影響を与えたと考えられ、中国近世における知識人の精神構造の基本的な枠組みは、この構図を重層的に内面化することで形成されたと判断できる。例えば、北宋の士大夫は、みずからが如何に史に記録されるかについて並々ならぬ関心を抱き、その子孫をも巻き込んで、自身の「事迹」選述をめぐる自己保全運動を執拗につづけている。また、明末清初期の或る一族は、確証が竺少なるにもかかわらず北宋以来の名族との同宗を主張し、族譜の接合・系譜の行為を敢えておこなう。このほか、「封建」と「郡県」との是非をめぐる議論や、六経と史書とを表裏一体の関係で捉える主張が、時代をこえ飽くことなく蒸し返されるように、かれら知識人は、慥かに「有」としての命名・史書・祖法に固執する精神を把持してはいる。しかしながら、同時に、如上の議論が個々の時代社会に対する疑義ないし対案の提示としてなされている事実は、かかる「有」を越えつつそれを包み込む理論的装置をも、かれらがその精神構造の内部に確保していた証左であるとなせるのではないだろうか。
著者
村上 哲見 渡辺 武秀 浅見 洋二 熊本 崇 川合 康三
出版者
東北大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1986

中国における文学芸術の最も洗練された部分は, 「文人」と呼ばれる人々によって支えられて来た. 人間類型としての「文人」は, 魏晋の頃に出現し宋代に至って完成したものと考えられる. そこで本研究は, 宋代を中心として, この「文人」なる人間類型の特色を解明し, 更にその現実の姿ならびに文学芸術との関係などを考究すべく計画された.「文人」と並ぶ中国特有の人間類型に「読書人」と「士大夫」がある. 本研究ではこれらを対比しつつ分析することによって, それぞれの特色を明らかにした. まず「読書人」の不可欠の必要条件を考えてみると, (1)儒教の古典に通ずること, (2)文言の韻文および散文が書けること, の二点に帰着する. この点は「文人」も「士大夫」も共通で, つまり「文人」も「士大夫」も「読書人」であることを前提として, 他の要素が加わったものである. 「士大夫」にとって必須のもうひとつの要素は, 国家社会の経営に対する使命感であり, 実践としては官僚となって政治に参与することになる.つぎに「雅俗観」すなわち「雅」と「俗」とを上下に対置して一切の評価の基準とする認識は, 中国の伝統的知識人に普遍的な価値観であるが, それを純粹につか徹底的に追求する精神が, 「文人」なる人間類型の核心である. そこで実践としては, 「読書人」としての必要条件を備えるのは当然のこととして, 書画音楽など, 更に高度な芸術に秀でることになる.「士大夫」と「文人」とは矛盾するものではなく, 双方の要件を兼ね備えた人を「官僚文人」という. 歴史的にみると, 北宋では欧陽修・蘇軾など, すぐれた官僚文人が輩出したが, 南宋になると姜〓・呉文英など, 純粋型の文人が輩出し, これが南宋の文化を特色づけている. またこれらの文人が江南地方と深く結びついていることも見逃せない. 本研究ではそうした具体的な情況についても考察を進めた.