- 著者
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中嶋 隆藏
- 出版者
- 東北大学
- 雑誌
- 特定領域研究
- 巻号頁・発行日
- 2001
出版物としての嘉興大蔵経が、(1)どのような目的のもとどのような計画で出版されるようになったのか、その出版費用はどのようにして工面されたのか、出版を推進した人物は表面的には誰であり、実質的には誰であるか、(2)出版に至るまでの具体的経過(定本の確定、浄書、刻印、校正、刊行)はどのようなものか、頒布方法はどのようなものか、刊行された大蔵経が事後どれほどの影響を持ったのか、こういった様々な事情を具体的に跡づけることを研究の目標とした。(1)の諸問題については『刻蔵縁起』所収の諸文献がが有力な資料を提供してくれる。これによって検討した結果、次のような事実が明らかになった。末法のただ中を生きるすべての人々にくまなく真の仏教を認識させそれぞれの情況と資質に応じて仏法の実践を勧め悟りの境地へ向かわせるために、廉価で扱いやすい方冊版大蔵経を提供するというのが刊行の目的である。出版費は協賛者の醸金によるとされたが、有力信者の大口寄付を主として早期刊行を目指すか、無名信者の貧者の一燈を主とし刊行の遅延もやむを得ないとするかで見解が分かれた。表面上の推進者と実質上の推進者との意見・方針の不一致が顕在化した。(2)の諸問題については、『嘉興蔵目録』と各典籍巻末の刊記が有力な資料を提供してくれる。これによって検討した結果、次のような事実が明らかになった。定本の確定に至るまでの過程は、当初、厳密な規約によって統一的に処理されるべきであるという共通認識がされていたようであるが、その意識は時に弛緩したようで、少なくとも三度にわたって規約の確認が行われたにも拘わらず、結局一貫されなかった模様で、そのため大蔵経全体としての形式上の統一性を欠く結果を招いた。刊行には莫大な費用がかかったが頒布に際しては紙代、印刷代、製本代などの些少の印刷実費を負担すれば購入できるということで所期の目的は達成された。刊行された大蔵経がその後、中国の各種仏典刊行に際して必ずしも底本の役割を果たさなかったが、日本では、鉄眼の黄檗版大蔵経刊行において底本として採用された。