著者
東 晴美
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.305-332, 2011-10

近代の歌舞伎研究については、明治以降に新作された作品、得に局外者と呼ばれる文学者が手がけた新歌舞伎に注目されることが多い。しかし、前近代に初演された純歌舞伎狂言も、近代を経て現代に伝えられている。本稿では、江戸時代に初演され、現代においても中学生や高校生の歌舞伎鑑賞教室などでも上演される機会の多い「鳴神」をとりあげる。「鳴神」は明治期に二代目市川左団次によって復活上演された。左団次は小山内薫とともに自由劇場をたちあげ、近代劇にも深く関与した。本稿は、左団次が渡欧した一九〇七年から一九一〇年の「鳴神」の復活上演までの活動を検証し、前近代の作品が現代に継承される過程で、近代の知識がどのように関わったのかを明らかにする。これまでの二代目市川左団次の評価は、新歌舞伎や翻訳物を手がけ、小山内薫と自由劇場を立ち上げたことから、「近代的」とされることが多い。しかし、左団次の近代性がどのようなものなのか、明らかにされてこなかった。本稿では、松居松葉と二代目市川左団次の一九〇七年における渡欧体験を分析し、左団次の近代性は一九〇七年のヨーロッパの演劇の動向と深く関わっていることを指摘した。また、左団次が復活上演した「鳴神」は、劇評や左団次の芸談が「自然主義」に触れているため、近代の自然主義を取り入れたものと指摘されてきた。しかし、日本における自然主義は近年の研究で、十九世紀末二十世紀初頭においては極めて多義的で象徴主義や表現主義にも連なっていくことが明らかにされてきた。本稿は、このような研究成果を踏まえて、復活上演された「鳴神」にみられる自然主義が同時代の文芸思潮と密接に関係するものであったことを検証した。