- 著者
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栗林 梓
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集 2023年度日本地理学会春季学術大会
- 巻号頁・発行日
- pp.184, 2023 (Released:2023-04-06)
Ⅰ はじめに 日本では大学進学率が上昇し,同年齢人口の50%以上が大学に進学するようになった.しかし,中には,経済的,心理的負担の問題から離家を伴う大学進学を諦める者もいる.大学進学・学生生活における学生の経済的,心理的負担を軽減し,彼ら/彼女らの教育を支えていくことは,社会的に重要な問題といえる. このような問題へのアプローチの一つとして,教育の地理学的研究においては学生の教育空間を多様な関係性の中で捉え直そうとする動きが強まっている(中澤 2022).栗林(2022b)は,中でも住まいとの関係性に注目し,上述のような問題にアプローチする可能性を示した.住まいの中でも学生の経済的,心理的負担の軽減という意味では学寮に期待が寄せられてきた(例えば, 日下田 2006).しかし,その意味を考察するには,寮生が大学進学・学生生活の中で学寮をどのように位置付け,経験してきたのかを解明しなければならないが,そのような議論は十分になされてこなかった. Ⅱ 研究目的・方法 そこで,本発表では学寮の一形態である県人寮に着目して,大学進学・学生生活においてそれらが経済的,心理的に学生を支える可能性と課題について明らかにすることを目的とする.ここで特に県人寮に着目したいのは,進学先での同郷者の存在が,大学進学・学生生活において心理的な支えとなる可能性が考えられるためである(遠藤 2022).また,県人寮の事例として長野県の県人寮の1つである信濃学寮(男性専用)を取り上げる.信濃学寮は全国学生寮協議会に加盟する41の県人寮の中でも,寮費が最も安価な部類である.また,定員が100名を超える比較的規模の大きい11の県人寮の1つである.さらに,長野県は大学教育の需要の割に大学教育の供給が少ない県のひとつであり,大学進学にあたっては経済的,心理的負担を伴う離家が必要となる場合が多い(栗林 2022a).以上,負担の軽減やデータの入手可能性といった側面から信濃学寮に着目することに一定の意義があると判断した. まず,県人寮の歴史や実態を把握するために,県人寮に関する新聞記事や運営母体の会誌を収集するとともに,信濃学寮の事務局に対して聞き取り調査を行なった.また,大学進学・学生生活における県人寮の可能性と課題について考察するため,寮生に対するアンケート調査を行なった(90部配布,71部回収).アンケート調査では寮を知った契機や入寮理由,寮生活のメリット,デメリットなどを中心に基礎的な事項を把握した.さらに,卒寮前の寮生を対象に,聞き取り調査を行なった(継続中).聞き取り調査では,アンケートの回答に関する質問に加え,大学進学までの人生や学生生活,将来展望などについて寮生に自由に語ってもらい,1時間〜1時間半程度の生活史を聞き取った. Ⅲ 結果および当日の議論 いま東京の県人寮は減少傾向にある.これは,経営難,老朽化,入寮生の減少によるところが大きい.1933年に完成した信濃学寮も入寮者は減少傾向にある.それでは東京の県人寮は役目を終え,不要になったのだろうか? 筆者は,調査結果からも,そのような結論は早計であると主張したい.例えば,信濃学寮の強み(魅力)として,60名が「経済的負担」挙げている一方で,50名が「食事」を,30名が「寮生間交流」を挙げている.寮生の語りからは,これらが学生生活における心理的な支えとなっていることがわかる.もちろんこれらの要素に価値を見出す程度には個人差がある.しかし,やはり寮生の語りからは,寮生が信濃学寮をホームとすることにより学びの継続を可能としている側面があることを理解できる.各地の県人会がその意義を変化させながら存続してきたように(山口2002),信濃学寮も運営母体や理念,役目を変化させながら,長野県出身子弟の大学進学・学生生活を支え続けている. 発表当日は,アンケート調査の結果や学生の語りを拠り所としながら,上述の議論を深めてみたい.また,大学進学おける離家や,彼ら/彼女らを都市空間の中で捉えようとする理論,概念,先行研究での議論が,教育を取り巻く構造の中で,どうにかして東京に進学し学びを継続しようとする学生の存在を周縁化してしまう恐れがあることに若干の批判的検討を加えながら考察を展開したい.