- 著者
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栗田 昌之
- 出版者
- 法政大学公共政策研究科『公共政策志林』編集委員会
- 雑誌
- 公共政策志林 (ISSN:21875790)
- 巻号頁・発行日
- vol.5, pp.91-103, 2017-03-24
危機の想定はあらゆる危機管理の前提であり,その正確な想定は被害低減に直結する。しかし危機に対する有効な対処は,ときに技術的な,ときに政治的な,その他様々な要因により完全な施策として実施されることは少ない。危機管理行政の限界ともいえるこの問題の克服は,危機管理の最大の課題である。本稿では,伝統的危機管理である軍事的な危機について,東西冷戦期の主として1970年代,日本の防衛当局が脅威をどのように想定していたかについて整理することを目的とする。1970年代の対称脅威全盛の時期,危機の想定,その前提としての脅威の見積りを知ることは当時の防衛力の整備がどのような前提のもとで進められたかを知る手がかりである。防衛力の整備は少なくとも「基盤的防衛力構想」以前は,脅威に対抗させる防衛力すなわち脅威対抗防衛力を整備するとの観点で進められていた。脅威の前提である「仮想敵国はどこなのか」という追及に対して明確な回答を避けながら,事実上ソビエト社会主義共和国連邦の侵攻に対抗できるよう進められていた。日本の安全保障の分野では,様々な要因から,脅威を想定すること自体が問題とされることがあり,それらの情報を公にすることは避けられる傾向がある。そこで本稿では,研究者,防衛当局者OBの公開した情報に加え,入手できた内部資料を使いながら,当時語られていた北方脅威論についての考察を試みる。