- 著者
-
栗田 陸雄
- 出版者
- 日本法哲学会
- 雑誌
- 法哲学年報 (ISSN:03872890)
- 巻号頁・発行日
- vol.1978, pp.181-189, 1979-10-15 (Released:2008-11-17)
- 参考文献数
- 54
本書は八つの章からなる。第一章「始まり」では、Grotius (2)及びPufendorf (3)の思想を中心に、社会契約による国家の裁判権の基礎づけ(4)が説明される。(1)Grotiusによれば、自然状態においては自力救済(5)が支配する。もっとも、自力救済は最後の手段であるから、これを用いる前に可能なあらゆる手段、たとえば友好的説得、仲裁人による仲裁、占いなどが試みられなければならない。その中では、仲裁人にょる仲裁手続が国家的裁判と対比されるが、この仲裁手続においては、仲裁人は理性に従って手続を進めるので、手続の規定を考える必要がないことになる(S. 3-4)。(2)この手続規定の軽視は、自然法思想のひとつの特徴である(6)(S. 4-この傾向は、後にフリードリッヒ訴訟法典において、裁判官を手続の形式性から解放することになる)。(3)またこの時期に、みぎのような自然法とは全く系統を異にする自然法思想が見出される。中世後期の伝統(7)を承けて、現行の簡易訴訟(8)(Processus summarius)における本質的要素を、古典的意味における自然法の要求と看做すところの流れが、それである。この思想は後の時代まで残り続ける。同時代の代表者として、Althusius (9)とCarpzov (10)をあげることができる(S. 6-7)。 第二章「BoehmerからWolffまで」では、具体的国家性へ接近した自然法説の視野における訴訟観が説明される。ひとつの社会秩序及び法秩序の偉大な理想的草案は、現実にも利用できるものでなければならない。そこで、かかる草案を描くところの自然法は、いまやその視野をひとつの国家の全体の法秩序に、つまりそのあらゆる部分、したがって訴訟にも及ぼさなければならない。その代表者としては、まずJustas Henning Boehmer (11)が取り上げられる。Boehmerは二つの性質の異なった自然法的主張を行う。(1)まず、彼は近世自然法の流れにおいて、彼の絶対主義的、国家法的問題提起の枠内で裁判を論じ(12)(S. 8)、(2)次に、訴訟法が存在しない場合に裁判官が従うべきところの、その自然法的訴訟秩序の輪郭を描く。この秩序は、普通法の伝統において簡易訴訟の本質的内容から構成される。また、この自然の秩序は、継受以前のドイツの古い手続法と同一視され、現行のドイツの訴訟手続と対立させられる(13)(S. 9)。(3)この古い手続法を現行の手続法と対比する自然法的思惟は、継受とともにドイツに浸透してきたカノン法に対する一般的な敵意の反映である。かかるカノン法に対する一般的敵意は、Christian Thomasius (14)に見出される。カノン法の拒絶と古い手続法に対する愛着は、一八世紀に広く用意されたものであるが、これはまた自然法とゲルマニスティークの同盟の先ぶれを示している(S. 13)。(4)Boehmerは普通ローマ法を個々的に自然法として採用したが、Samuel Cocceji (15)はこれを明確な原則の形式において自然法と同視する。両者は現行の訴訟法を自然法と看做す点で共通している。但し、前者の自然法は簡易訴訟、後者のそれは正規訴訟である点で異なる(S. 15)。(5)Christian Wolff(16)の自然法的訴訟観はGrotius及びPufendorfが拓いた道に戻るもので、前進していない(S. 16-17)。 第三章「Nettelbladtと訴訟行為の概念」では、(1)「弁論主義(Verhandlungsmaxime)」の他に近世自然法が訴訟理論にもちこんだもうひとつの概念、つまり、Nettelbladt (17)が体系整備のために自然法的概念形成の方法によって獲得した「訴訟行為(Prozeβhandlung)」の概念が取り上げられる(S. 19)。(2)Nettelbladtは実体的な法的行為と訴訟行為を区別し(18)、彼の訴訟理論の中で、訴訟行為をなす技術の理論となされた訴訟行為に関する技術の理論を区別する。この点に眼を奪われて、Degenkolb (19)以来、彼が訴訟を行為に関する技術と看做している、と非難することが行われているが、この非難は、第一に彼の全体像を、第二に彼の「行為」の意味を理解しないことに基づく不当なものである(20)(S. 20-21)。(3)Nettelblabtは、訴訟の実施にさいして現われる個々の行為を訴訟それ自体、つまり訴訟の経過から区別することで、我々のテーマにとって決定的な一歩を踏みだしている。つまり、彼の発見した「訴訟行為」は、彼自身によっては理論化されなかったが、一九世紀の普通訴訟法学において、民事訴訟法の説明を秩序づけるという重要な役割を果たすことになる(S. 21-23)。 第四章「フリードリッヒ訴訟法」では、実際に自然法思想によって立法化されたところの、フリードリッヒ訴訟法が取リ上げられる(21)。(1)この立法の特徴は、理性に対する信仰だけでは訴訟秩序を明示することが難しいという認識(22)の下に、まず全体訴訟を導くための具体的な指導理念が展開されたことである。