著者
竹森 一正
出版者
中部大学経営情報学部
雑誌
経営情報学部論集 (ISSN:09108874)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.175-188, 2013-03

わが国は昭和40年代後半の公害訴訟の時代から約半世紀を経過した。今日,留意すべきことは,体験の風化である。当事者自身がつらいことは話したがらないし,近親者もあえて聞こうとする姿勢が弱いから,体験の継承は徐々に困難となる。これは戦争体験の継承問題でよく示されている。犠牲者の住民が身体の痛みに耐えて横たわっていた家屋敷や布団,使用していた食器,使用していた着衣,急患の家族を運んだという自転車とリアカー,戸板(臨時に患者を搬送するために用いた板製の雨戸),衛生よりも利便を優先した川水を引き込む樋(トイ)などの生活の遺品が,生活様式の変化により不要品の扱いとなり,粗大ゴミとして廃棄されている。特に犠牲者が亡くなると,歴史的に貴重な証拠品である生活雑具は捨てられ,証拠の品々は急速に消滅していく。被害者当人は積極的に継承させないことが一般的であり,さらに当時の状況を物語る生活用品が消滅する状態は昭和の時代の情報を風化させるものとなり,公害という独特の惨禍に対する歴史認識が日々薄いものとなるかもしれない。以上の認識の下に,公害体験継承の状態を考察し,今後の公害研究の課題を検討する。
著者
森 一正 石垣 修二 前平 岳男 大矢 正克 竹内 仁
出版者
社団法人日本気象学会
雑誌
Journal of the Meteorological Society of Japan. Ser. II (ISSN:00261165)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.459-482, 1999-04-25
参考文献数
37
被引用文献数
1

1993年8月30日から9月1日まで、(19N, 129E)周辺の北西太平洋上を西進した初期の緩やかな発達期にあった台風Yancy(T9313)が、気象庁観測船啓風丸で観測された。この期間中、Yancyの循環中心は啓風丸の北80kmまで接近した。Ydncy中心部の対流が、船上で得られたレーダー、海上気象、高層気象観測データと最近利用可能になった衛星データを用いて解析された。セルエコー追跡風(CETwinds)が見積もられYancy周辺の下層風データを補うために使用された。初期発達期間中に、雲が1500kmスケールの下層低気圧性循環(LLCC)の南西象限に存在し中心を一にしない構造が、雲システム中心部の円形の厚い上層雲('CDO')の形成を経て同一中心を持つ構造へと遷移した。この同一中心を持つ構造の確立後、Yancyの後期の急激な発達が始まった。Yancy内に様々なメソスケ-ル(100-500km)降水体(MPFs)が次々に組織され時間発展した。このMPFsの形態は台風初期発達過程が4つのサブステージを経て進展するにしたがって変化した。第1サブステージでは大きな(400km)エコーシステム(LES)がLLCCの南西象限に組織され、その上に円形雲システムが出現した。第2サブステージでは、長続きするメソスケールの強い対流域(MICA)がLESの北西端に組織され、それが円形雲システム中の'CDO'のメソスケール降水実体であった。LLCCはMICAの形成後500kmスケールで強化されたようであった。第3サブステージでは、強い低気圧性循環中で、LESと雲システムは500km以上の長さを持つコンマ型スパイラルバンドへと進化した。最終サブステージでは、スパイラルバンドの曲率は増し、より内側のほぼ円形に近いスパイラルバンドが更に強化されたLLCC中に現われた。コンマ型システムの北側頭部はLLCC中心を巻き込みつつあった。MICA周辺に、下層の流れに垂直な線状システムと平行な線状システムが、第1サブステージと第2サブステージに各々形成されていた。LESとMICAは初期発達過程にあるYancyの核構造を構成していた。MICAは、長続きする、エコー頂が高度16kmに達する強い対流にとって3次元的に都合よく組織された構造を持っていた。MICAと500kmスケールのLLCCは互いに強め合っているようであった。MPFsのいくつかの特徴がまとめられ、それらは山岬(1983, 1986)により数値的に再現された、発達中の台風内のメソ対流の特徴とよく対応しているようであった。
著者
森 一正
出版者
社団法人日本気象学会
雑誌
Journal of the Meteorological Society of Japan. Ser. II (ISSN:00261165)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.491-508, 1995-06-15
被引用文献数
2

TOCA COARE IOP(熱帯海洋及び全球大気変動国際共同研究計画、海洋大気結合応答実験、集中観測期間)中の1992年11月3日から16日の間、7.5分間隔のレーダー観測と6時間間隔のラジオゾンデ観測が、気象庁の観測船啓風丸により、集中フラックス観測領域(IFA)の中心付近、0.5S、154.5Eにおいて実施された。エコー強度は、2.5kmメッシュでデジタル化され500km四方の領域を覆っている。メソ降水系に注目して、観測された赤道付近の対流が記述された。エコー面積により、観測期間は4つの期間に分けられた。11月3-4日には対流活動は弱く、対流活動のメソ降水系への組織化は抑制されていた。11月5-8日には、対流活動は活発で、エコーは水平スケール100-300kmのメソ降水系へと組織化されていた。対流は深夜から早朝(14-20UTC、0006LT)に強まる日変化を示していた。主なメソ降水系は、対流セルとして夜(10UTC、20LT頃)発生し、深夜から早朝(14-20UTC、00-06LT頃)強いエコーを含む広いエコーへと成熟し、朝(23UTC、09LT頃)には散在する弱いエコーへと衰弱していた。主なメソ降水系の履歴はLearyとHouze(1979)により示されたメソ降水系(MPFs)の履歴と似ていた。11月10-12日には、急速に西進する大規模(1500-2000km)雲擾乱の通過に伴い、より大きいメソ降水系を含む活発な対流が1.5日間にわたり起こった。メソ降水系は東進していたが、大規模雲擾乱の西方への通過に対応して、メソ降水系の発達する場は西進しているようであった。これらのメソ降水系は発達期には北東から南西に走向を持つ長さ300-500km以上のいくつかのライン状構造をしていた。メソ降水系は長寿命であり対流の日変化は見られなかった。11月13-14日には対流は完全に抑制されていた。11月5-8日の夜間の対流強化は、暖水域でも大規模場の状態によってはメソ降水系の夜間の出現を通して強い対流が日変化的振る舞いをすることがあること、を示唆している。11月10-12日の密に束ねられた、引き続く西方への東進メソ降水系の出現は、メソ降水系群と西進する大規模雲擾乱との相互作用を暗示している。この大規模雲擾乱の性質が吟味された。