著者
森 英子
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.57, pp.266, 2005

発意 郵便局の民営化・分離独立計画策は発案されて久しいが、反対異論続出でむしろ後退している。喫緊性が疑問視される新幹線や空港の公共事業など。経済効率からは考えられない政策・建設が昔から繰り返されている。幾つかの個別例を検証する。私は尊敬、同感するエコノミストの日経新聞紙上の論文を永く保存し続けているが、歳を思い、関心と共にいっさいを清算する記念とする。〈BR〉 方法 空前のバブル崩壊による不況の1992_から_1993年時に日経新・経済教室に載った政府・官僚・審議会委員等(現在も積極的な論者多数)の論説を主に、逐次発表されたそれや、その他の関連発言記事の中から取り上げ、彼等エコノミストの立案や施策が経済理論に基づくものでありながら、実現せず時としては予期せぬ危険な方向に発展してしまった事例をもって現場音痴を検証する。〈BR〉 実例・音痴たらしめる主因・アノマリースの階段 検証 赤字国債の膨張歯止めは至難 高橋是清蔵相ー不況克服に一時的が軍部の圧力で失敗、戦後は福田・太平蔵相ー一年か短期間で均衡財政復帰のつもりが赤字国債発行ゼロにするだけにバブルの恩恵があったにも拘らず十年を要した。経済理論通の各蔵相を実情音痴たらしめたのはレント・シーカー(公的タカリ屋)による拡大圧力を軽視しているからである。逆に官庁エコノミストは統計偏重で実体経済把握に甘く不況に後手であり、積極財政をとのエコノミストの声もある。経済理論からのアノマリースは第一に人の本能の経済合理思考と感情の葛藤が第二に行動経済学となり第三に社会的奸智がさらにアノマリース幅を拡大し恒常化してしまう。
著者
森 英子
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.56, pp.90, 2004

目的 標準経済理論によれば、収入は金額の多寡・時期・定期不定期などに拘らず無差別であるはずである。しかし、日常生活では違和感が大きい。標準経済理論では無名の抽象金額に過ぎず、限界消費性向したがって貯蓄率も唯一つ一定と仮定する。心理的にはそれぞれの収入の受けとめ方は独自のものであり限界消費性向・貯蓄にまわるものも様々である。換言すれば私達は複数の主観的収入支出口座(勘定)を設置している。 方法 標準経済理論の代表的モデルはフランコ・モジリアーニの「ライフサイクル理論」である。現在の収入・資産・将来の期待される収入を合わせ、その資金から一律平均年収入金額を算出し、その金額を消費する。(死後に残さない) 生涯のあらゆる時期の消費は等しい。しかし、実地に試すとまったく妥当せず、心理を加味した種々のモデルが作成されているが、実地試みの具体例をもって収入の限界消費性向の差異・そこから主観的勘定を推測する。 結果 (1)主観的勘定は経常所得勘定イー当座預金口座 資産勘定ロー長期金融資産 将来所得勘定ハ イの限界消費性向は限界消費性向1に近く、ハのそれは0に近く、ロはイとハの中間にある。即ち、イロハ間の代替可能性は低いのが現実である。(2)消費は生涯の年平均所得でなく、経常所得の変動と相関が深い。収入でも臨時収入か予期していた収入かで限界消費性向は異なる。(2)「ライフサイクル理論」では、人は不屈の意志で実行するが、人々は自己規制が利かないと自覚しているので、保険に加入し途中解約不可不利の金融商品を選び、手もと流動資金が不足しても借入を極力避ける。賢明鉄人の行動をモデルにしているか、愚鈍意志薄弱人の行動を描いているかである。