著者
次山 淳 松村 恵司 松村 恵司 次山 淳 池田 善文 梅崎 恵司 江草 宣友 小畑 弘己 神崎 勝 北野 隆亮 木村 理恵 小泉 武寛 小林 義孝 栄原 永遠男 芝田 悟 関口 かをり 高橋 照彦 田中 大介 永井 久美男 濱崎 真二 降幡 順子 古田 修久 松崎 俊郎 松村 恵司 宮崎 貴夫 森岡 秀人
出版者
独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

3カ年にわたる研究により、銅銭を基軸に据えた貨幣制度の導入が、中国式都城の建設と一体的に企画され、富本銭が発行された歴史的経緯が明らかになった。和同開珎の発行時には、銭貨の規格性を維持しつつ発行量の増大を図るために、鋳銭体制の整備と鋳銭技術の改良が図られていること、地金貨幣である無文銀銭を駆逐するために和同銀銭が発行されるなど、7世紀末から8世紀初頭にかけての貨幣関係記事が、名目貨幣である国内通貨の定着に向けた一連の貨幣政策として整合的に理解できるようになった。
著者
次山 淳
出版者
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

日本列島の弥生時代終末から古墳時代前期にあたる3・4世紀において、中国大陸・朝鮮半島をはじめとする東アジア諸地域との間にさまざまなかたちの交流があったことは、彼我の多様な考古資料と、『魏志倭人伝』等の文献史料の記載からうかがい知ることができる。本研究では、考古資料、なかでも土器を主たる材料として、当時の日本列島と朝鮮半島の交流のありかたを考察した。日韓双方の土器の分布状況の分析から、当該期には遺構の密集度の高い大規模な集落群を結ぶ交通路が形成され、対外交渉の場を博多湾沿岸におく極めて方向性の明確な通交体制が形成されていた様子が理解された。