著者
池田 さなえ
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.7-73, 2023-03-31

本稿は、明治期の政治家を中心として広がる多彩な属性の人的ネットワークを可視化する方法を考案し、それをもとに明治政治史における地方人士「組織」の問題に新たな光を当てるものである。明治期の政治においては、地方人士の中に根強く存在した強固な反政党意識や組織への強い忌避感という条件のもと、議会に基盤を持たない藩閥政府の指導者たちはそのような「組織されたくない人びと」にアプローチせざるをえなかったという固有の困難が存在した。 本稿では、このような条件下での藩閥政府の指導者による「組織」の実態を明らかにするために、藩閥指導者を中心とした地方人士のネットワーク把握の方法を考案・提示した。具体的には、明治期に地方「組織」に奔走した政治家の一つの拠点に軸を据え、明治政治史の基礎的史料である書簡のみならず、異なる種類の複数の史料から人名データを抽出し、独自の指標で四象限平面上に配置・色分けする方法である。本稿で検討対象としたのは、政社―国民協会、団体―信用組合の組織化を目指して全国をくまなくめぐり、自らの手足と耳目で「組織」することにこだわった政治家・品川弥二郎とその京都別荘・尊攘堂である。 分析の結果として、以下の諸点を指摘した。1. 品川にとって尊攘堂は、政治家別荘一般について指摘されているような政界からの逃避や慰安のためだけの場ではなく、また維新殉難志士の慰霊・祭典を行うという堂創設の本来的目的のみでもなく、在野における地方人士「組織」のための拠点、あるいは連絡機関であった。2. 品川―尊攘堂を中心とするネットワーク自体の持つ魅力に惹き寄せられ、全国から多様な属性の人びとが集まっていた。3. 尊攘堂は、これら様々な背景を持つ人びとがそれぞれの目的や持ち場を一時的に離れて集う大規模なコミュニタスであり、このようなコミュニタスを持ったことが、組織を忌避する地方人士を品川が幅広く把握できた要因であったと考えられる。