著者
池谷 信之
出版者
明治大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2016-04-01

後期旧石器時代初期、本州で出土する神津島産黒曜石は人類史上最古の往復航海の証拠となる。既存の出土例の収集と新たな産地推定を進めた結果、愛鷹山麓を中心として、中部地方は八ヶ岳東南麓、関東地方では足尾山地南部まで広がり、3.7万年前から3.4万年前まで継続して搬入されていたことを明らかにした。また産地推定の信頼性を高めるためにミズーリ大考古科学研究所で実施した中性子放射化分析結果を公表した。さらにシーカヤッカーによる伊豆南端-神津島間の航海事例を検討し、当時の舟で渡航が可能な海況とその予測方法について検討した。
著者
大塚 宜明 池谷 信之 工藤 大
出版者
札幌学院大学総合研究所 = Research Institute of Sapporo Gakuin University
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 = Journal of the Society of Humanities (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
no.110, pp.79-100, 2021-10-20

本論では,アイヌ文化期(中近世)に属する北海道せたな町南川2遺跡の黒耀石製石器を対象に,石器の技術的分析および黒耀石原産地推定分析を実施した。さらに,そのデータと、当該期の道内の遺跡や先行する擦文文化の事例との関連性を検討することで,アイヌ文化期における黒耀石利用の変遷とその歴史的意義について考察した。 その結果,①アイヌ文化期において黒耀石副葬と被葬者の性別(女性)に関係性がある一方,出土地域と黒耀石原産地の間に特定の結びつきがないこと,②擦文時代初頭の黒耀石角礫の副葬が,擦文時代後期頃に円礫に転じ,アイヌ文化期へとつながる状況が確認され,黒耀石の副葬様式が漸移的に成立したことが明らかになった。 こうした中で,15C~18C中頃と考えられる南川2遺跡の墓壙以後は黒耀石の副葬がみとめられないことから,擦文時代とアイヌ文化期の間にみとめられる黒耀石の儀器化が生じた後に,さらにアイヌ文化期内において儀器としての役割を終える過程があったことがわかった。ここに,利器としても,儀器としての役割も終える過程,すなわち北海道における黒耀石利用の終焉をよみとることができるのである。