著者
大塚 宜明 池谷 信之 工藤 大
出版者
札幌学院大学総合研究所 = Research Institute of Sapporo Gakuin University
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 = Journal of the Society of Humanities (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
no.110, pp.79-100, 2021-10-20

本論では,アイヌ文化期(中近世)に属する北海道せたな町南川2遺跡の黒耀石製石器を対象に,石器の技術的分析および黒耀石原産地推定分析を実施した。さらに,そのデータと、当該期の道内の遺跡や先行する擦文文化の事例との関連性を検討することで,アイヌ文化期における黒耀石利用の変遷とその歴史的意義について考察した。 その結果,①アイヌ文化期において黒耀石副葬と被葬者の性別(女性)に関係性がある一方,出土地域と黒耀石原産地の間に特定の結びつきがないこと,②擦文時代初頭の黒耀石角礫の副葬が,擦文時代後期頃に円礫に転じ,アイヌ文化期へとつながる状況が確認され,黒耀石の副葬様式が漸移的に成立したことが明らかになった。 こうした中で,15C~18C中頃と考えられる南川2遺跡の墓壙以後は黒耀石の副葬がみとめられないことから,擦文時代とアイヌ文化期の間にみとめられる黒耀石の儀器化が生じた後に,さらにアイヌ文化期内において儀器としての役割を終える過程があったことがわかった。ここに,利器としても,儀器としての役割も終える過程,すなわち北海道における黒耀石利用の終焉をよみとることができるのである。
著者
大塚 宜明 金成 太郎 飯田 茂雄 長井 雅史 矢原 史希 櫻井 宏樹
出版者
札幌学院大学総合研究所 = Research Institute of Sapporo Gakuin University
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 = Journal of the Society of Humanities
巻号頁・発行日
no.100, pp.83-99, 2016-10-01

本論では,置戸黒耀石原産地における先史時代の人類活動解明のための基盤構築を目的として,置戸黒耀石原産地調査で採集した黒耀石原石・黒耀石製石器の観察結果と,黒耀石原産地推定分析の結果を報告し考察を行った。 検討の結果,置戸黒耀石原産地を構成する所山・置戸山の黒耀石は,原産地においてはそれぞれ独立して分布することが詳細に明らかになった。人類活動については,(1)置戸黒耀石原産地内で採取可能な黒耀石原石を原料とした石器製作が個々の原産地で行われていること,(2)置戸山2遺跡採集の所山産黒耀石製石器の存在から,置戸黒耀石原産地を構成する個々の原産地が全く無関係ではないこと,(3)遠隔地産黒耀石がみとめられる置戸安住遺跡が石器や原料の搬出入の拠点である可能性,を明らかにした。 以上の検討結果から,置戸黒耀石原産地には,置戸黒耀石原産地と遠隔地を結ぶ大規模な人類の動き,置戸黒耀石原産地と直近の生業地である常呂川中・下流域を結ぶ中規模な動き,そして置戸黒耀石原産地内の原産地間を結ぶ小規模な動きといった,黒耀石をめぐる先史時代人の様々な活動痕跡が刻まれていることが明らかになった。
著者
大塚 宜明
出版者
札幌学院大学総合研究所 = Research Institute of Sapporo Gakuin University
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 = Journal of the Society of Humanities
巻号頁・発行日
no.107, pp.63-108, 2020-02-25

本論では,先史時代を特徴づける資源の一つである黒耀石のうち,置戸産黒耀石に注目し,道内全域の黒耀石原産地推定分析結果を集成し通時的に検討することで,北海道における当該黒耀石の利用の変遷およびその歴史的意義について考察する。 検討の結果,(1) 置戸産黒耀石は旧石器時代からアイヌ文化期(中世)まで通時的に利用されるものの,旧石器時代では利用範囲は限定的であり,縄文時代において道内全域で確認され広域化した後,続縄文時代では利用範囲が限定化され,擦文時代・オホーツク文化以降はその利用範囲が大きく縮小し点在化すること,(2) 旧石器時代・縄文時代・続縄文時代では狩猟具・加工具に用いられるのに対し,擦文時代・オホーツク文化においては利器としての利用方法の限定化,擦文時代とアイヌ文化期の間に黒耀石の非利器化という,黒耀石の利用方法の大きな画期が存在することを明らかにした。 これらの変化が生じた期間は,北海道における鉄器の流入と鉄器化の完了と対応することから,アイヌ文化期に特徴的にみとめられる黒耀石円礫の存在は,黒耀石が利器の原料としての役割を鉄器に譲っていく過程で,利器の原料から非実用的な儀器(副葬品)へと転化されていく,黒耀石を取りまく先史人類社会の変動を示していることが明らかになった。
著者
大塚 宜明
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.200, pp.1-35, 2016-01-31

本論では,日本列島中央部(愛鷹・箱根山麓,関東地方,中部高地)を対象に,ナイフ形石器製作技術と石材の利用状況を検討する。それにより,姶良Tn火山灰(以下AT)下位石器群における石器製作技術の地域化のあり方とその背景を明らかにする。第一に,愛鷹・箱根山麓のAT下位石器群を対象に,ナイフ形石器の技術的特徴に注目し,出土層位を踏まえ4グループに区分した。そして,ナイフ形石器の調整技術とサイズおよび素材構成を観点に整理することで,時間的な4つの段階として捉えた。第二に,¹⁴C年代および広域テフラとナイフ形石器製作技術を観点に,中部高地と関東地方の石器群を検討し,愛鷹・箱根山麓との編年対比を行なった。以上の検討により,日本列島中央部のAT下位石器群における編年(Ⅹ~Ⅵ層段階)を構築した。その結果,Ⅸ層段階は全地域で対比できたものの,Ⅹ・Ⅶ層段階に対比される石器群は中部高地には確認できず,Ⅵ層段階の愛鷹・箱根山麓のナイフ形石器製作技術は中部高地と関東地方の両方と異なることが明らかになった。第三に,日本列島中央部における地域間の関係を明らかにするために,黒耀石利用の時期的変遷を検討した。結果,信州産黒耀石の供給地(中部高地)と消費地(関東地方,愛鷹・箱根山麓)という関係性,地域間のつながり,それらとナイフ形石器製作技術の結びつきを確認することができた。最後に,ナイフ形石器製作技術の変遷と石材利用を総合的に検討した。それにより,列島中央部のAT下位石器群には石材利用の在地化(Ⅶ層段階)とナイフ形石器製作技術の地域化(Ⅵ層段階)がみとめられ,それらは時期にして一段階分のズレがあることがわかった。そして,この石材利用とナイフ形石器の画期の時間的なズレを,原料の地域化がきっかけとなり,ナイフ形石器製作技術が地域独自化するという列島中央部における石器製作技術の地域化の過程(人類の定着)として位置づけた。