- 著者
-
河岸 美穂
綿引 伴子
- 出版者
- 日本家庭科教育学会
- 雑誌
- 日本家庭科教育学会大会・例会・セミナー研究発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.48, pp.23, 2005
<B>(目的)</B>少子化が進み、児童虐待や育児放棄などが多発している中、子どもについて理解し、乳幼児に適切に対応できる力をはぐくむことは大切である。先行研究より、乳幼児に対する興味・関心や理解を深めるために、保育体験をすることは有効であることがわかっているが、家庭科の単位数が減少している中、家庭科の授業の中で保育体験の時間を確保することは難しい現状である。そこで、幼児に対する興味・関心や理解を深めるとともに、生徒の自己理解を深め、進路選択の一助になることを期待して「総合的な学習の時間」において幼児と接するための学習と保育体験を行った。この体験が生徒の自尊感情や社会的スキルを高めることに役立つかどうかを考察することと、高校生だけでなく、参加した高校教員、保育士、幼稚園児の意識調査から、保育体験の有効性と課題を検討することを目的とした。<BR><B>(方法)</B>2005年に県立高校普通科2年生273名(男71名、女202名)を対象に総合的な学習の時間において幼児と接するための学習と保育体験を行い、保育体験学習前と体験後に乳幼児や保育体験に対する意識と、自尊感情及び社会的スキルに関する調査を行った。また、保育体験後に生徒と共に参加したクラスの担任・副担任14名、受け入れ先の保育士18名、幼稚園児365名に意識調査を行った。<BR><B>(結果と考察)</B>(1)生徒の自尊感情の平均得点は、保育体験後の方が有意に高かった。この結果から保育体験によって自尊感情が高まることがわかった。(2)社会的スキルについては体験前と後において有意差は見られなかった。短い体験時間では社会的スキルの変化までは難しいと考えられる。しかし、社会的スキルの高い生徒群ほど「子どもに対する興味・関心」「関わる自信」「成長を知ることの大切さ」が高く、子どもに対するマイナスイメージが低いことがわかった。(3)3才から5才の幼稚園児1人1人に聞いた結果、361人(99%)が「高校生と遊んで楽しかった」、359人(98%)が「また遊びたい」と答えた。(4)保育士は18名全員が園児にとって「良かった」「わりと良かった」と答えた。具体的には「大人とは違う、きょうだいとも違う年代の人と過ごす経験は大切だと思うから」「園児が自分のことを話そう、わかってもらおうとする姿がたくさん見られたこと」等と答えている。保育士さん自身は楽しかったかという質問に対しては、15名(83%)が「楽しかった」「わりと楽しかった」と答えている。その理由として「園児の違った一面を見ることができた」「つまらなそうな顔をしていた高校生が子どもと触れ合うことにより明るい表情に変化するのを見て」「普段、高校生と話す機会がないので」「若い子には負けられないといつも以上にハッスルできた」等と答えている。保育体験を続けたら良いかについては17名(94%)の保育士が続けたら「良い」「わりと良い」と答えた。保育体験の課題として、園児の安全を十分に考える、おしゃべりや私語を慎む、返事や自己紹介をしっかりする、積極的に子どもと関わる等をあげている。(5)参加した教員は回答しなかった1名を除く全員がこの体験が高校生にとって「良かった」「わりと良かった」、園児も「楽しそうだった」「わりと楽しそうだった」と答えている。意見・感想として「幼児との接し方がわからなく、幼い命が奪われてしまうことが多い中、十代のこの体験はとても意味があると思う」「実習の後、授業でもわがまま言う生徒が減った気がする。意外な生徒の意外な一面が見られて、教師側からも生徒理解を深めることができた」「園児は片づけや身支度『こんにちは』『さようなら』という基本的なことがきちんと出来ていたので、今の高校生が忘れている大切な基本を振り返る時間となった。この体験が保育に関しての知識を深め、進路決定に役立つことだろうと思う」と答えている。保育体験を続けたら良いかについては8名(57%)の教員が続けたら「良い」「わりと良い」と答えた。他の教員も保育体験をすることを否定しているのではなく改善が必要と述べている。改善点として、時期や時間帯、回数の見直し、教科との関連を探る、体験が生かされる総合的な学習の時間全体の「流れ」が必要、事前学習と身なり指導の徹底等があげられた。(6)総合的な学習の時間で行うことのメリットは、担任の引率で実施することで生徒の実習態度が良くなったこと。教室では見られない生徒の表情をみることができたこと。教員の生徒理解が深まること。デメリットは、事前事後の学習時間が確保しにくく、幼児の心身の特徴・行動パターン・接し方などの理解が充分とは言えないことである。