- 著者
-
安田 二郎
津田 芳郎
中村 圭爾
吉川 忠夫
山田 勝芳
寺田 隆信
- 出版者
- 東北大学
- 雑誌
- 総合研究(A)
- 巻号頁・発行日
- 1992
中国の知識人(士大夫)層の「歴史」との関わり方の諸相を、春秋時代から清末までにわたって幅広く発掘し、各々の時代性と関連づけて解明した。主要な成果の一部を紹介すれば、以下の如くである。(1).漢武帝が、季陵の家族や司馬遷に下した厳罰は純然たる司法処置であって、怒りにまかせた感情的行為とするのは、三国期に出現した新解釈であり、ここには古代的漢武帝像から中世的武帝像への展開を見出し得る。(2).『晋書』の日食記事には、実際には観測不可能な夜日食、わらには非日食さえもが数多く見出される。地上における政治的混乱は必ず天文現象に反映するという、編纂者たちがいだく天人相関理論に対する確信が、かかる虚偽記事を記さしめた理由の一として指摘できる。この事実は、中国中世における歴史叙述の特殊な性格をうかがわせる。(3).梟雄桓温の野望を抑えることを現実的な動機とした習鑿歯『漢晋春秋』が、魏をしりぞけて蜀を正統とした理由は、司馬氏一族が魏代に行った悪業を免罪することにあり、かかる視点の設定が、司馬昭の魏帝弑殺の事実を直書することをはじめて可能とさせ、鑒誠の実をあげしめた。(4).『新唐書』には、唐代の知識人が開陳した見解をそのまま利用しているケースがいくつも確認される。中国近世独裁体制下における修史事業の複雑微妙さを考えさせる。(5).司馬光『資治通鑑』刊行後、近世士大夫層の歴史理解が専らそれに依存したというばかりでなく、征服諸王朝下においても各々の国語に翻訳され、非漢民族支配層の好箇の教本として愛読され活用された。(6).金石資史料は、既存文献とは異なる情報を数多く与えてくれるが、特に墓誌銘の場合には、極度な虚飾を加えた記述も少くはなく、利用には慎重を要する。