著者
牛津 信忠
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.91-117, 2019-10-25

「互酬」という在り方は,経済,社会,文化に至るまで経済体制機構の本体部分を補う存立態様に過ぎないとされる場合が多い。しかし人間の善き生という生き方にとっては,互酬という在り様が極めて有効性を持っており,それは人の生の主導性ないし主体的存立に繋がると考えることができる。その在り方はポランニーの表現に則していうならば,社会に経済を埋め戻す,換言すると,経済の動向に翻弄されるのではなく人間存在そのものが主人公の位置を取り戻すことを可能にする経済社会態様への回帰といえる。われわれはこの稿において,この互酬性を,ホワイトヘッドの「現実的実在」思想に基づく有機的世界観を通じて深く掘り下げ理解していく。それはミクロからマクロに至る世界における現実動向を統合的に把握し得る出発点となる。
著者
牛津 信忠
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seiogakuin University
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.139-157, 2017-10

ホワイトヘッドにおいては,西田幾多郎のいう無の世界との近似性を把握できる側面がある。特に,「根底無」の世界に広がる「極微の存在」が人間の意識的存在に連続して在ることを知ることができる。このような作用連関と捉えうる有機的世界がホワイトヘッドのいうプロセスの内実であるとわれわれは考える。このように捉える時,個という存在を,そこにある福祉的可能性から明らかにしていく道を根底的に提示できるようになる。そうした議論について論理的解明をなすとともに,この第二部の後半部分においては,ハーマンス等の思想を福祉次元における有機的作用連関の具体的な方途の開発例として取り上げ解題している。 Whitehead's theory includes a theorized part through which we can grasp the approximation to the world of "nothing," as advanced by Nishida. In particular, we can learn about the submicroscopic existence that spreads into Nishida's world of "fundamental nothing" by scrutinizing the intentional existence of man. We realize that the organic world as such an operational connection is the reality of the "process" propounded by Whitehead. With such an understanding, we can fundamentally show the way toward clear individual existence with the possibility of welfare. Where operational connection exists, continuous meaning formation, i.e., creative working, is also present. While making a logical elucidation about such an argument, in the second half of part II of this study, we consider and expound the thoughts of H. Hermans and others as an example of developing a concrete way of organic operational connection in a welfare dimension.
著者
牛津 信忠
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.34, no.1, pp.79-104, 2021-10-25

真の主体的存在=愛としての統合主体,すなわち神を指し示すことが出来る。その神の位置を仰ぐ行為的実質の態様が福祉であり,それに関する科学的宗教における人間学が人間福祉学である。 人間はそうした人間福祉の実践を通じて神の啓示の道に在ることが出来る。ホワイトヘッドの言う神をさらに探求すると,主体たる神の作用性のなかに内包される実在を見出すことが出来る。その神は創造的前進を可能にするベクトル性を有する作用主体ないし作用掌握体という位置から抱握をなし続ける。その抱握プロセスにおける真の主体存在が愛としての統合主体であることを発見出来る。人間福祉の実践は,いつも愛としての神の作用と共にある。