著者
柴田 武男
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第29巻, no.第1号, pp.47-60, 2016-10

戦時下日本で行われた国家的奨学金制度設立の議論でまず問われたのが,貸与制か給付制かであった。国家が必要とする人材の確保には給費が当然であるという意見もあったが,退けられた。給費は国家財政上ほとんど不可能だが,貸費によれば国庫の負担は少ない。したがって,多数の学生に必要額を貸費できるという財政上の理由が大きかったが,子どもの教育は,親の責任においてなさるべきであり,我が国独自の美風に立脚したとされる家族主義が思想的背景としてあった。
著者
村上 純子
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第31巻, no.第1号, pp.43-51, 2018-10-25

これまでアレルギー疾患と発達障害の関連についての研究が多くなされてきた。本論文では,アレルギー疾患と発達障害の関連についての研究をまとめたが,その関連性の有無については一致した見解がみられていない。また,アレルギー疾患と発達障害の病理学的な関連性についてもまだ明らかになっていない。しかし,その両方を発症している子どもたちは一定数存在しており,アレルギー疾患と発達障害を併発していることは双方の疾患の診断,治療,療育に深く影響している。アレルギー疾患は比較的治療可能な疾患であり,発達障害を併発しているとすれば,その子どもに適した方法での治療を行うことで,予後が良くなると思われる。したがって,アレルギー疾患と発達障害の両方を有しているケースにおいて,より効果的なアレルギー疾患の治療のために,その子どもの特徴(偏り)が理解できるようなツールの開発が期待される。
著者
加藤 恵司
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第22巻, no.第1号, pp.1-18, 2009-11

This thesis, through consideration of historical findings, discusses punishment through talio, that is, "an eye for an eye, a tooth for a tooth". Lex talionis, or retributive justice, is completely denied in legal systems throughout the world. This paper does not intend to present arguments for or against the principle of punishment; rather, it discusses the emergence and contents of talio. The process by which the Sumerian Law of West Asia led to the Code of Hammurabi is first examined. Then the concept of talio in ancient Jewish law is considered. Next, consideration of talio in Roman and Islamic Law are touched upon, Finally, the legal concept of talio held by Kant and Hegel, and how this eventually evolved into the principle of retribution, will be discussed. In reviewing the principle of retribution, an argument is made that the concept of talio is the model for the principle of legality, manifesting the principles of equality, human rights and justice.
著者
黒﨑佐 仁子
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第32巻, no.第2号, pp.93-108, 2020-03-15

本研究では,語の選択の「ゆれ」に焦点を当てる。否定辞「ない」に「過ぎ」が付いた複合語には「―な過ぎ」と「―なさ過ぎ」の二つの形がある。この「―な過ぎ」「―なさ過ぎ」の使用割合を国会会議録と東北地方および関西地方の府・県議会の会議録を用いて調査した。調査の結果,いずれの会議録でも,「な過ぎ」「なさ過ぎ」が使用されていた。ただし,会議録によって,使用割合には差があった。国会会議録では,「―な過ぎ」「―なさ過ぎ」の出現数は,ほぼ同数だった。それに対し,東北地方では「―な過ぎ」が多く,関西地方では「―なさ過ぎ」が多かった。つまり,地域によって「ゆれ」に差があることが明らかになった。
著者
横山 寿世理 金 瑛 柳田 洋夫
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第34巻, no.第1号, pp.147-159, 2021-10-25

フランス社会学者モーリス・アルヴァックスの『聖地における福音書の伝説地誌:集合的記憶研究』の序論をここに邦訳する。本書は,聖地パレスチナについての集合的記憶の枠組みが,キリスト教集団において共有されてきたことを実証する研究であった。新約聖書に始まり,数々の文学作品や伝承における聖地の記述がそれぞれ少しずつ異なっても,聖地パレスチナにおいて聖地を特定することで生じる空間的枠組みはほぼ共通していることを示している。 膨大なアルヴァックスの著作に反して,日本では,邦訳された著作が非常に少ない。本翻訳はその一部に過ぎないが,その邦訳作業の一端になることを目指す。
著者
五十嵐 成見
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第31巻, no.第2号, pp.67-84, 2019-03-20

本論文では,フィンランドにおける高福祉国家の形成に関するキリスト教の影響及びその歴史的特質を,フィンランド・キリスト教史及びキリスト教社会福祉史の観点から論じている。フィンランドでは,福音ルーテル教会を国教として導入した准国家として形成された当初から公的行政と教会の協働・連携が為されていた。ただ包括的なものとはなり得ず,その不十分さを補足する以上の形で展開されたのが女性キリスト者らによるディアコニッセの働きであった。また,ルーテル教会外部から生じた自由教会によるヴォランタリーの福祉活動も大切な役割を果たした。現在の高福祉制度へと至る過程にはこれらのキリスト教的働きが不可欠に存在しており,また今日においても重要な役割を担っている。
著者
酒井 俊行
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第32巻, no.第1号, pp.11-25, 2019-10-25

真逆に位置する2つのタイプの表現者平手友梨奈と川上奈々美を分析することによって,“黒い羊”問題を議論してみた。この二人の表現者は立ち位置は真逆であるが,実はその差は紙一重と思われる。にもかかわらず,一方が白で一方が黒。実際に社会で生起する“黒い羊”問題においても,白でも黒でもほとんどはっきりした差異は見られない。寸毫の差が白黒の分かれ目となってしまう。これが“黒い羊”問題の本質であり,それ故にここに独特の複雑性が醸し出される。
著者
牛津 信忠
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.91-117, 2019-10-25

「互酬」という在り方は,経済,社会,文化に至るまで経済体制機構の本体部分を補う存立態様に過ぎないとされる場合が多い。しかし人間の善き生という生き方にとっては,互酬という在り様が極めて有効性を持っており,それは人の生の主導性ないし主体的存立に繋がると考えることができる。その在り方はポランニーの表現に則していうならば,社会に経済を埋め戻す,換言すると,経済の動向に翻弄されるのではなく人間存在そのものが主人公の位置を取り戻すことを可能にする経済社会態様への回帰といえる。われわれはこの稿において,この互酬性を,ホワイトヘッドの「現実的実在」思想に基づく有機的世界観を通じて深く掘り下げ理解していく。それはミクロからマクロに至る世界における現実動向を統合的に把握し得る出発点となる。
著者
池 弘子
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第19巻, no.第1号, pp.33-46, 2006-11

Research has established that psychological abuse has the longest-lasting and strongest negative effect on children of any type of child abuse. There are many researchers who believe that psychological abuse is a core component of all types of child abuse. But psychological abuse has created so many difficulties and so much confusion for researchers and practitioners, and these difficulties and confusion have led to delays in protective intervention. It is pointed out that one of reasons for these difficulties and confusion lies in the absence of a unified and precise definition. This study reviews the wide range of definitions of psychological abuse and proposes an appropriate direction for defining the term. (a) Psychological abuse should be defined solely by parental behaviour having potential for harm to a child not including observable child harm. (b) Psychological abuse should be limited to nonphysical parental behaviour and nonphysical child outcomes. (c) Parental intent to harm the child is not necessary for the definition. (d) Psychological abuse should include not only repeated patterns of parental behaviour but also singular extreme incident. In addition I propose the following five subtypes of psychological abuse: spurning, terrorizing, isolating, encouraging inappropriate behavior, and denying emotional responsiveness.
著者
牛津 信忠
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.34, no.1, pp.79-104, 2021-10-25

真の主体的存在=愛としての統合主体,すなわち神を指し示すことが出来る。その神の位置を仰ぐ行為的実質の態様が福祉であり,それに関する科学的宗教における人間学が人間福祉学である。 人間はそうした人間福祉の実践を通じて神の啓示の道に在ることが出来る。ホワイトヘッドの言う神をさらに探求すると,主体たる神の作用性のなかに内包される実在を見出すことが出来る。その神は創造的前進を可能にするベクトル性を有する作用主体ないし作用掌握体という位置から抱握をなし続ける。その抱握プロセスにおける真の主体存在が愛としての統合主体であることを発見出来る。人間福祉の実践は,いつも愛としての神の作用と共にある。
著者
村松 晋
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.143-158, 2017-03

本稿は柏木義円(一八六〇~一九三八)同様、上州にあって終生、非戦・平和を訴え続けた牧師・住谷天来の、特に晩年の思想・信仰の一端に迫ろうとした一試論である。具体的には老いた天来が、戦争へとひた走る状況のもと、「孤独と貧窮」に屈せずにその志を屹立させ得たのは何故なのかを問うた。ここでは天来の志を支えた世界として第一に、「悲痛」をめぐる逆説的な信仰を、第二に天来を支えた友情の交流圏の存在を指摘しておきたい。
著者
村松 晋
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第19巻, no.第1号, pp.72-61, 2006-11

This study focuses on letters of the well-known theologian Seiichi Hatano from around 1945 that clarify his perception of society and of the times. It becomes clear through this study that one side of Hatano was that of an “old liberalist” who had great pride in the Meiji era.
著者
柴田 武男
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University
巻号頁・発行日
vol.30, no.2, pp.77-89, 2018-02

前橋市と野洲市は徴税手法で対照的である。前者は「滞納は絶対に許さない」,後者は「ようこそ滞納いただきました」という手法である。両方の手法とも市税の高い収納率を達成できるが,徴税費用を比較すると後者が低廉と見なせる。また,地方自治法の「住民の福祉の増進を図る」視点からしても,後者が望ましい。市税徴収は住民福祉の手段であり,目的ではないこと,徴税の強制力行使は慎重にという国税徴収法の精神を思い起こすことが必要である。
著者
池上 真理子
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第26巻, no.第1号, pp.197-212, 2013-10

近年,新教育基本法や新学習指導要領の中で,日本の伝統文化教育を重視する方針が打ち出されたことにより,学校教育の中に日本音楽を取り上げる動きが活発になっている。しかし,教師の側の日本音楽に対する理解不足など,実際の導入に際してはいくつかの課題もある。そのような現状を踏まえ,本稿では,日本音楽の一領域である雅楽を,小学校の音楽教育に導入する意義と可能性について,筆者が実際に行った授業の分析や,学習指導要領に基づいた具体的な指導計画の提案などをもとに考察した。そして雅楽の導入が,その音楽を知るのみでなく,日本独自の豊かな芸術的感性を体験的に理解できる,歴史,文学など他教科との関連性をもって伝統文化の体系的な理解を深められる,など幅広い学びの可能性を持つことを指摘した。
著者
寺﨑 恵子
出版者
聖学院大学
雑誌
聖学院大学論叢 = The journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.1-16, 2016

青年期の特徴を表す用語として,「第二の誕生」がある。この語は,ジャン=ジャック・ルソーが『エミール または教育について』(1762 年)の第4 篇で用いた。第二の誕生は,ライフサイクルにおける,子どもから大人への変成という節目における移行の状況を説明する用語であり,また,人間発達における危機的で根元的な転換点を説明する用語である。ルソーは,こうした第二の誕生という閾の過渡的な状況において「わたしたちの教育」が必要であることを説いた。彼の言う「教育」は,学校教育を意味していない。むしろ,それは消極的教育,つまり,生態的で発生的な自然を地とする意味をもっている。彼は,教育の原義を示し,青年期における第二の発展状況を,言葉の起源である情念のありように把握して明らかにした。本稿は,第二の誕生と教育の連関について,ルソーの言説の内実を明らかにするものである。 We know the term "the Second Birth" that represents the characteristics of adolescence. Jean Jacques Rousseau described this concept in his book, Emile , Book 4. The Second Birth refers to the process of transformation of a child into an adolescent, a life cycle in which the development of personality reaches a critical and radical turning point. Rousseau insisted on the need for education in that liminal and transitional period. For Rousseau, the term education didn't indicate a scholastic education, but rather an education which, due to its ecological and generative nature, is negative. He declared the original meaning of education, and elucidated the second developmental stage of personality relative to the origin of language, or passion. This article describes Rousseau's concepts of the second birth and education.
著者
増田 公香
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第21巻, no.第3号, pp.273-283, 2009-03

EBP, Evidence-Based Practice, appeared in the area of social work at the beginning of 2000. EBP was formally established in medicine in the 1990s, but now exists as a powerful methodology with which integrate science and intervention through social work. This article has three purposes: 1) to review the history of EBP and the reason for the appearance of EBP in the social work area; second, to examine definitions of EBP and steps for practice; thirdly, to pay attention to the use of EBP in social work education and social practices. The use of EBP in future social work will also be examined.
著者
木村 裕二
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第29巻, no.第1号, pp.105-122, 2016-10

法務省は,2015 年3 月31 日,民法の改正案を国会へ提出した。その中に,次の2 つの規定が含まれている。(1)金銭の授受がなされる前は,借主は諾成的消費貸借契約を解除することできるが,貸主は損害賠償を請求できる。(2)借主は期限前に弁済することができるが,貸主は損害賠償を請求できる。これらの規定は「元本を期限まで利用する債務」「元本返済により失われた将来利息を補償する義務」を借主に負わせるものではないことを,論証する。また,元本返済により失われた将来利息を補償する義務を定めた当事者間の合意の効力を,利息制限法がどのように制限するかを検討する。
著者
黒崎 佐仁子
雑誌
聖学院大学論叢 = The Journal of Seigakuin University (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第23巻, no.第2号, pp.1-14, 2011-03

In anime and manga, there are various expressions called Yakuwari-go ( role language) .Yakuwari-go are expressions typically used by characters in anime and manga that are not used in the real world. There are many such characters in anime and manga. This paper focuses on expressions used by the character Hakase (“Old Scientist)”.Kinsui (2003) examined ja (a part of the predicate) used by characters in popular books from the Edo period to the present and stated that the “role language” of “Hakase” resembles a sociolect used in the Edo period which, as a result, displays the characteristics of a western Japan dialect.This paper, which examines the usage of washi, a first-person pronoun in materials from the Edo period such as a dialect dictionary, texts on dialects, popular books and Japanese language textbooks, confirms that washi is characteristic of the “role language” of the character Hakase.